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なぜ豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?【流れゆく水のように 豊島将之竜王・叡王インタビュー 第1章】

ニコニコニュース / 2021年5月24日 11時0分

 4歳の頃から将棋を始め、史上初の小学生プロ棋士の期待すらかかり、令和初の竜王名人となった、平成生まれ初のプロ棋士・豊島将之竜王(叡王)へのインタビュー企画が実現。

 聞き手を務めるのは、『りゅうおうのおしごと! 』作者である白鳥士郎氏。全3章に渡る超ロングインタビューをお届けしていく。

第2章 最強の棋士像

第3章 そして、叡王へ……

※取材は、緊急事態宣言の発出前に、感染対策を行ったうえで実施いたしました。


取材・文/白鳥士郎
撮影/諏訪景子

 豊島将之。
 将棋界最高位タイトルである竜王。そしてドワンゴが主催した最後の叡王を獲得した、現代最強の棋士の一人

 将棋界で今、最も勢いがあるのは、藤井聡太二冠だろう。
 ありとあらゆる記録を更新し続ける天才は、将棋界という枠を超えた有名人でもある。

 豊島は、その藤井聡太に6連勝した。デビュー戦から29連勝したことで知られる藤井は、デビューしてから豊島に6連敗していたのだ。
 現在、藤井に2勝以上で勝ち越している棋士は、豊島を含め5名しかいない。そのうち4人は1勝差であり、6勝1敗という圧倒的な戦績を残しているのは豊島だけだ。
 しかし、豊島と藤井のレーティング(実力を数値化したもの)は拮抗している。数値上、ここまで対戦成績に差が出ることは考えづらいのだが……。
 
 その理由の一端を今回、豊島自身の口から聞くことができた。

 あまりにも長くなってしまったので3章構成にした超ロングインタビューの第1章は、誰もが気になるこの話題からにしよう。


 なぜ……豊島将之は藤井聡太に6連勝したのか?

電王戦の時は『ソフトに負けてしまうと、この後どうなってしまうんだろう?』という不安があった

──本日はお忙しい中、インタビューを受けていただきありがとうございます。最初にコンセプトを説明させていただきます。

「あ……はい」

──豊島先生が、ドワンゴ主催の最後となる叡王戦でタイトルを獲得なさったこと。そして電王戦でAIと戦ったことがきっかけでご自身が大きく変わられたと語っておられること。主にその二つから、豊島先生を通して、ドワンゴが将棋界に与えた変化というものを探っていくような記事にできたらなと考えておりまして。

「はい」

──こちらで調べた感じですと、豊島先生の対局が初めてニコニコ動画で流れたのが、2014年の朝日杯。羽生(羽生善治九段)先生と雪の日に戦われた将棋です。

「ああー……準決勝の」

──はい。準決勝の。羽生先生がスノーブーツを履いて来られたという。豊島先生は、惜しくも羽生先生に敗れてしまったのですが……。

「はい」

──そうやってご自身の将棋が中継された映像って、ご覧になっていましたか?

「いやぁ……あんまり見ていなかったですかね、最初の頃は。コメントとか流れてきて……怖い気持ちもあったので(笑)」

──『とよぴー』と呼ばれたり、『かわいい』という評価が付いたり。そういうの、意外でしたか?

「こんなふうになるとは思っていませんでしたね(笑)。そもそも自分がメディアに出ることになるなんて思わなかったですし」

──で、この2014年2月に行われた朝日杯中継の1ヶ月半後に、電王戦に出られたということだと思うのですが。

「はい」

──世間からの反響というものは、いかがでしたか?

「電王戦の時は……出る前からすごく注目されているのは感じていて」

──世間からの注目というのは、豊島先生に何か影響を与えましたか?

「ええ。最初はそんなに、練習対局をしてガチガチに作戦立ててやろうと思っていなかったですし」

──そうなんですか!? 1000局近くも練習対局をしたことに、全世界が衝撃を受けたんですが……最初は、そんなことするつもりがなかったと?

「はい。やっていく中で、注目されているんだなということを感じて。あとは、けっこう……『ソフトに負けてしまうと、この後どうなってしまうんだろう?』という不安を、自分も持っていましたし、将棋界全体そういう空気もあったので」

──電王戦、すごく壮大だったじゃないですか。メンバー発表の時からニコファーレで派手にやって。お土産用に豊島先生の顔写真入り団扇も作って。それまでの将棋界の催し物とは、規模も方向性も違うというか。

「そうですね。『電王戦を見てから応援しています!』ということは、よくおっしゃっていただけるようになりました」

──街を歩いていたら声をかけられることが増えた、みたいな?

「街……を歩いていても声をかけられることはないんですけど(笑)。前夜祭などでファンの方から『電王戦を見ていました!』と言ってもらえたりはします」

──ネットメディアが華やかな頃で、あべのハルカスで対局ですよ! 普通のタイトル戦でも体験できないような場所で将棋を指してみて、いかがでしたか?

「や、そうですね。本当にいい経験になったというか。タイトル戦に初めて出た時も緊張しましたけど、それ以上に……緊張感はありましたね」

──相手がコンピューターだということも含めての緊張感だったんですかね?

「それもありますけど、やっぱり注目度の高さみたいなもので」

解説の仕事は控え目にして将棋の研究を

──電王戦の約半年後には王座戦で羽生先生に挑戦なさるなど、豊島先生の対局は数え切れないほど中継されました。しかし解説役として初めてニコ生にご登場なさったのは、電王戦からずっと後の……第3期叡王戦第1局なのではということなんですが、これは正しいでしょうか?

「そうですね。それ以前に解説者として1日いたことはなかったような。タイトル戦の副立会人として、少し登場させていただくということは何度もあったとは思いますけど」

──やはり関西にお住まいなので、スケジュールが合わなかったというのが、引き受けなかった大きな理由なんでしょうか?

「それもありますけど、その頃は結構そういう仕事は断って、研究することも多かったので……」

──解説の仕事を?

「全部断っていたわけではないんですけど。控え目にしていて」

──そういう時でも、なるべく出ようと心がけていたお仕事ってありますか?

「(出身地である)愛知県の関係の仕事は受けていましたかね」

──ですよね! 私が初めて豊島先生を生で拝見したのが、2013年の名人戦第5局。名古屋のホテルで行われた名人戦に、豊島先生が副立会人としていらしていて。

「ああ……そうですね」

──その対局……の、翌朝の朝食会場で、豊島先生が一人で座ってスマホを見ながらご飯食べてるのを、私は偶然すぐ後ろの席に座って見てて(笑)。

「ふふふ」

──でもその頃は、ちょっと声をかけづらかったというか……。

「そうでしたか?」

──インタビューを拝見すると、2012年から13年の頃は、伸び悩んでおられたとあります。それで、その……思い詰めるような感じだったんでしょうか?

「それは……もうちょっと後のことですかね。まあでもその頃も、何となく危機感はあったんですけど」

「自分の中では、あんまり上手くいっていないなという感じはありましたけど、同年代の中からタイトルを獲得するような人たちが出るのは、多分もう少し先のことになるので」

「まあでも、ちょっと焦りみたいなものはありましたけど」

──その頃は、名人戦は羽生森内(森内俊之九段)ばかり。将棋でも矢倉が主流で、しかもその矢倉も4六銀3七桂型ばかりで。

「はい」

──トップが固定され、一つの将棋が掘り下げられていた時代。戦法的な閉塞感のようなものはあったんですかね?

「あー……そうですね。横歩取りやゴキゲン中飛車も、だんだん厳しくなってきていて」

「2手目に8四歩を突けば、いろんな戦法になるんですけど……でもそうすると、羽生先生の世代の方々が、すごく研究してきた形の中で戦うことになるので……」

──相手の土俵で戦わざるを得ない?

「大変だな、というような感じはありましたよね……」

──少し話が飛ぶんですけど……リアル車将棋ってありましたね?

「ありましたね(笑)」

──いろいろなお仕事を断っておられた中で、どうしてあの企画に? やっぱり(愛知県に本社がある)トヨタ関連の仕事だから?

「あ、いや(笑)。まあ、あれは対局なので」

──あ、そうか。対局でしたね(笑)。

羽生先生と指せるんだったら、当然……

──受ける一手だと。ご出演なさって、いかがでしたか?

「テストドライバーの方が、すごくいい人で! それは記憶に残っていますね。将棋界にはあんまりいない感じの人たちで」

──駒になった車を運転していた人たちですね。スポーツマンみたいな?

「そうですね。体育会系な感じで。スポニチの記者の方々にも、そういうものを感じるときはありますけど。王将戦とかだと」

──リアル車将棋は、ファンがもう一度見たい将棋番組の中でも上位に入っているんですが。

「あっ、再放送されるんですよね?」

※ニコニコネット超会議2021にて4月30日に再放送された。

──豊島先生は車を運転なさるんですか?

「いや、乗らないです。免許も持っていないので」

──『ちょっと車、買ってみようかな?』とはならなかったですか?

「『免許取りたいな』と、その時には思ったんですけどね。結局、取らず仕舞いで」

──棋士は考え事をしながら運転しちゃって危ないと聞きますしね。

「それはありそうですね」

多少、抵抗はあった“評価値”の表示

──中継で評価値がリアルタイムに表示されるようになったのは、ニコ生が初めてだったと思うのですが、いかがでしたか? 自分の将棋に評価値が表示されるのは。

最初は多少、抵抗はあった……ですかね

──それは、自分の将棋が機械に評価されることについて? それとも、その評価が自分の考えているものと違うから? どちらなんでしょう。

「どっちも……という感じですね。当時はそんなにソフトも……まあ強いのは強いですけど、間違った判断をしていることも多かったので。けど、評価値って(視聴者には)信用されてますから」

──私も、棋力がないので盲信してしまっていて。数字の力は強いですよね……。

「でも、いいことのほうが多かったと思います。やっぱり。評価値」

──ファンにとってわかりやすくなったから?

「ええ。かなり見る方も増えましたし。それに最近は精度が上がっているので」

──よっぽど違和感のある評価も出ないと。

「そこは昔も……はっきり『間違ってる』って言い切れることは少ないんですけど、実際に進めてみたらどうだったのかな? という感じでしたかね」

──電王となったポナンザは一般公開しておらず、ポナンザの評価を知ろうと思ったらニコ生に登場している時に見るしかなかったと思うんですが、そういう評価を参考になさったことはありますか?

「やっぱり、自分でパソコンをいじって、『この手だったらどうなのか?』ってやれないと、理解するのは難しいなと思いましたね。放送で流れる評価を見ているだけでは……」

「自分で『ここは疑問だな』というところを何回も繰り返して評価させてみても、やっぱりわからないところはあるので。それですらわからないところがあるのに、初めの評価値だけでは理解できない……感覚として蓄積していって、どこかの段階でわかるようになる、ということはあると思うんですけど」

──読み筋をいくつか比較していかないと、身につかないということですか?

「その場ではわからないですよね。とりあえず」

──放送を見て、そこに表示されている評価値を見ただけでは、プロ棋士もわからないと。

「たくさん見ていくうちにわかることは、あるかもしれませんけど。読み筋が表示されていたとしても、どこかの段階で『ここをこう指していたらどうなっていたんだろう?』というのはあるので」

──YSSと電王戦で戦われた直後に、大阪弁護士会のインタビューを受けていらっしゃいますよね?

「あ、はい」

──そこで『(ソフトの将棋は)人間同士とは別物なので、自分の中で消化するまで時間がかかる』とおっしゃっています。この『消化する』とは、どういった作業になるのでしょう?

「…………自分の感覚と、コンピューターの感覚の、どっちが正しいのかは、すぐにはわからないので。そのへんを……」

「今になって思うと、コンピューターの側も、行き過ぎていたところもあったと思いますし。自分も……人間も、一般的な常識がおかしかった部分があって。結局、その中間くらいのところに落ち着いた感じはあるんですけど」

「当時のソフトって、攻めが好きで。どんどん攻めていってて、人間はそれを『無理攻め』と評価していたと思うんですけど」

「あと、飛車とか角をどんどん切っていって。相手の陣形を荒らして、金銀と交換できたらいいという感覚だったと思うんです」

──はい。昔のソフトは金銀の価値が高かったですよね。

それが新しい感覚だった部分もあったし、でもちょっと行き過ぎだった部分もあったと思います。たぶん今のソフトも、その中間くらいの部分に落ち着いたんだと思っていて

「あとは、角換わりだと5八金型が主流でしたけど、4八金がいいとされて。100点とかプラスで出るんですけど。けどそれも、指していかないとわからない。何となく『いいのかな』とは思うものの、たくさんソフトの将棋を見たり、自分たちで指していって、ようやく共通認識になっていったと思うんですけど。そういうところまで、やっぱり時間がかかるというか」

「中盤の感覚とかもそうですし、序盤の駒組みとかも。やっぱり数をたくさん見ていかないと、判断がつかないというか」

「あとは、ソフトは人間よりもたくさん読んでいる。人間はどうしても(読みの量が)少なくなってしまうので。だからソフトが指しこなせる将棋だとしても、人間が指しこなせない将棋も当然あるはずなので。そういうのを……『これは指しこなせる』『これは難しい』『難しいけど、あとちょっとやれば指しこなせるようになるかもしれない』そういうところがわかってくるまで、時間がかかったということですかね」

『評価値はいいけど指しこなしづらい将棋』と『評価値が悪いけど指しこなしやすい将棋』

──ソフトの感覚と人間の感覚、そのどちらが正しいかという検証作業は、具体的にはどういう方法になるんでしょう? 読み筋を比較するだけなのか、それともソフトと実際に対局するのか。

「ええっとぉ…………指すとやっぱり、ソフトが勝つんですよね。無理攻めでも。ずっとそんなに、ちゃんと受け続けられないので。それで『あ、ソフトが正しいのかな』って」

「でもそういう感覚で、実戦で他の棋士に指すと……やっぱり自分の感覚では、上手くいかないので」

──ああー……。

「それが結構、続いてましたね。無理攻めして、負けて。だからどっちが正しいのか、わかんないなー……って思いつつ」

「結局、その中間くらいの感覚に落ち着いて。でも、自分が『そうなのかな』と思ったくらいで、ソフトも『技巧』とかが出てきて」

技巧は結構、受けが強かったので。自分の元々の感覚と近いなぁと思いましたし

「だからソフトの側でも、中間の評価をするものが増えてきた感じでした」

──なるほど……。

 

 

 『技巧』は2015年の第3回将棋電王トーナメントで5位になったソフトだ。
 第3回将棋電王トーナメントは優勝ソフトのポナンザのみ人類(山﨑隆之叡王)と対局することになったため、技巧は公の場で人類と対局していない。また、世界コンピュータ将棋選手権でも、ポナンザに次ぐ準優勝という成績だった。

 それでも技巧が非常に高く評価されたのは、指し手が人間に近いとされたからだ。

 実は、私も『りゅうおうのおしごと!』で棋譜を作る際、技巧の読み筋や評価値をベースにしている。その読み筋を、監修のプロにチェックしてもらい、ストーリーに落とし込むという作業だ。
 現在では、様々な用途に特化したソフトがたくさん開発されているため、他のソフトも用いているが、技巧はよき相談相手として今でも活躍してくれている。

 

 

「指すとやっぱり、引っ張られますよね! ソフトのほうが、疲れないですし。自分……指してても、どうしてもミスが出てしまうので。それで自分の感覚自体がおかしかったんじゃないかと思ってしまいますから。負けると」

──ソフトは攻め将棋なので、対局していると極端な受け将棋になってしまうというお話を他のプロ棋士の先生がしておられたのですが、豊島先生はそうはならなかった?

「あー……そうですね。攻め、というか……ソフトの強いところを学びたいという気持ちを持ってやっていたので。うん。あと……あっ、崩してください(笑)」

──す、すみません……(正座を崩す)。

──失礼しました。ええと……ソフトのいいところを吸収しようと思っていらしたと?

「思っていて。ソフトが相当攻め将棋だったので、自分とソフトが指した将棋よりも、かなり条件のいい状態で攻めることができるようになっていたんです」

──あっ! 人間と将棋を指すときは?

「そういう時は、大概よく指せていました。でも同じような条件の局面になると、自分の攻めが無理攻めになってしまって……」

「上手く攻めが繋げられないという、自分の技術の低さもあったと思うんですけど」

──豊島先生からご覧になって、早くからソフトの影響を受けているなと感じた先生はいらっしゃいますか?

「自分と同じではないんですが、千田(千田翔太七段)さんからは、早くから影響を受けているなと感じるところがありましたよね。どう見ても」

──ご自身と違うな、と思われたところはどういう部分でしょう?

「自分が『ちょっとこれは真似しづらいな』と思ったところでも、上手く取り入れて指しこなしている部分とかですね」

──少し前の豊島先生のインタビューでは、『自分の棋風に合っていないと取り入れづらい』というご発言がありましたが、直近のインタビューでは『長く指しつづけるには評価値の裏付けがないといけない』とありました。

「はい」

──それは、他の棋士もソフトの研究が進んできたので、そういう自分には合ってない局面にも踏み込まざるを得なくなった……という感じなんでしょうか?

「評価値は下がらないけど自分が指しこなしづらい局面ですか? そうですね、確かにそれを全て拒否していては、指す戦法がなくなってしまうっていうのはありますよね(笑)」

──指しこなしづらくても、指さざるを得ない。

「『これはちょっと難しいな』と思っていても、やっているうちに指しこなせるようになるかもしれないし。準備をしっかりして、それで『もしかしたら上手くいくかもしれない』と思ってやるしかないというところはありますね」

「全部、その……自分が上手くさせる将棋で、しかも評価値が悪くならないというのは、無理なので」

「だから『評価値はいいけど指しこなしづらい将棋』と『評価値が悪いけど指しこなしやすい将棋』のどちらかを選ぶという選択は、常に迫られているというか」

──その場合、どちらを選ぶことが多いんでしょう?

「私はやはり、評価値を下げないようにしたいという意識がありました。ただ、評価値を下げたとしても、たくさん読ませたら、また上がることもあります。そういう手を発見するのが、すごく楽しい。そういう気持ちで研究をやっていました」

──楽しい。

「ただ最近は、わざと一回下げる手を挟んで、それで自分の知っているところ(局面)へと誘って、それで結果を出すというやりかたも流行っているので。そういうのも取り入れつつっていう感じですけど……」

「そこまでは、あんまりやりたくないなぁ……というのがあったんですけど。そうも言っていられないというか」

「明らかにそれは、何回か使えば使えなくなってしまうので。どこかで使えなくなってしまう研究をするのはちょっと……というのがありましたし」

「あとは、評価値を下げているように見えていても、ちょっと進めたら上がるという手を発見するほうが、なんていうか……なんて言うんでしょう?(笑)」

──ふふふ。

「ふふ。面白い、という感じがありました」

──見つけたときはどんな感じですか?

「自分の思い浮かんだ手をとりあえず入れてみて、それで読み筋を何手か進めてみたら上がる……というのが、たまにあるんです。それが楽しくて研究をやってるというのも、けっこうあったので」

──どれくらいの頻度で見つかったんですか?

「初期の頃はけっこうあったんです。でもやっぱりだんだんそういうのは減ってきましたね」

──一日に何個も見つかったり?

「そんなに見つかることはないですね」

──数日に一つ見つかる感じでしょうか?

「そう……ですね。そういう感じですね」

──宝探しレベルですね……。

「最近だと、新しいソフトに変わると、対策を施されていたりすることもありますね。自分が『お! これは発見したかな?』と思っていた手が、新しいソフトになると、普通にその手を読むようになってしまっていたり(笑)」

──ああ~! それは切ない(笑)。入っていた定跡がマズくて、それに対策を施されちゃった感じなんですか?

「いえ。定跡はオフにして研究しているので」


第76期A級順位戦の羽生戦

──豊島先生が本格的にソフトを使って研究を始めたのは、公平性の点を重視して、(2015年に電王戦FINALに出場した)『Apery』が一般公開されてからだと過去のインタビューで拝見しました。

「はい」

──その後も様々なソフトが公開されてきましたが、豊島先生が『このソフトは研究パートナーとしてよかったな』と思ったソフトがあれば教えてください。

「うーん……基本的には新しいソフトを使って、という感じなんですけど。一番強いとされているソフトを。複数あったら、いろいろ試してみたり

「でも、技巧が出てきた時は、研究をやりやすくなったなと思いました

「感覚が、自分に近いというか、合うので。それまでのソフトは、『これ、無理攻めなんじゃないのかな? それとも自分の感覚がおかしいのかな?』って、ずっと疑いながらやっていた感じなので」

「そこのへんがピッタリくる……あんまり違和感なく使えるので」

「あとはそうですね、『そういう感覚が違うところから学んだほうが強くなるのかな?』と思っていた時期があったので」

──強くなったんですか?

「どうだったんでしょうねぇ?(笑)」

──はははは!

「わからないんですけど。けどなんか、羽生さんと私が指したA級順位戦で、私が初めてA級に上がったときの将棋なんですけど……」

 

 

 来た。
 私は思わず前のめりになる。
 豊島がこれから語ろうとする将棋については、必ず聞こうと決めていて、入念に準備をしてきた。
 それを豊島自身から進んで話してくれるとは……。
 この将棋は羽生に勝ってA級でも戦っていける手応えを得たという意味で豊島にとって大きな価値を持つが、他にも、豊島がビックリしたことがある。
 それは────

 

 

「そのとき、角を渡して、こっちは歩をたくさん持ってじっとしておくという順で。こっちが苦しそうながらも意外といい勝負というのがあって……」

「藤井聡太さんも、その棋譜を見て『感覚に驚いた』とコメントしていたのがあって」

「それは自分が昔のソフトから影響を受けていたので、そういう感覚になったのかなと思いました」

──無理攻めをしてしまう?

「無理攻めというか、角とか飛車とかの評価が低かったというか」

──駒の価値、ですか?

「ええ。昔のソフトは金銀の評価が高かったので。そういう評価が自分の中に残っていて……多分その後のソフトだと、そこまで極端なことはしていないはずなので」

「藤井さんは、もうちょっと後のソフトから使い始めていると思いますから」

──ソフトにあまり触れていない羽生先生や、触れるのが豊島先生よりも遅かった藤井先生にとっては、驚いてしまうようなものだったと。

「そういうところはあったかもしれません。でもそれは部分的に上手くいっただけかもしれませんし……」

──今おっしゃった将棋は、ご著書『名人への軌跡』にも収録されている、この将棋ですね? 第76期A級順位戦の羽生戦。

「あ、そうですね。はい」

──6四角と切っていくところ。実は私……この手をソフトにかけてきたんです。最新の。

「あ……」

──豊島先生の選んだ角を切る手は、浅い読みだと候補には上がってきません。けど、深く読ませると一瞬だけ出てきます。その後さらに読ませると、また消えてしまいます。蜃気楼みたいに……不思議な一手だと思いました。

 

 

 羽生は駒の価値について、金を6、角を9とする。角の価値は金のおよそ1.5倍。これは多少の差こそあれ、プロ棋士には共通の価値観といえるだろう。
 しかし豊島が戦った当時のソフトは、金を6とした場合、おおよそ角を8と評価していた。
 よって豊島は角を切ることをいとわない棋風となる。
 その後、ソフトは金を5.5、角を9.5として、伝統的な人間の価値観に歩み寄る。
 藤井がそこまで違和感なくソフトを研究に取り入れることができたのは、この価値観の修正が大きいと見ることもできるだろう。
 人間は自らの視点でしか物事を把握しないため、「藤井が成長してソフトを研究に取り入れられるタイミングになった」「藤井の棋風とソフトでの研究が噛み合った」と考える。それは否定しない。
 しかしソフト側から見れば、また違った結論があるはずだ。
 そして豊島は、ソフト側の視点からも物事を見ることができる、希有な棋士といえた。

豊島将之と藤井聡太

──豊島先生がA級に上がったこの年は藤井フィーバーが起こりつつあるタイミングで、熱局プレイバックのトップ10は藤井先生の将棋ばかり。豊島先生の将棋は入っていませんでした。しかし藤井先生は、豊島先生の将棋によく投票していて……この将棋の他にも、三浦先生とのA級順位戦に『二転三転の白熱の終盤戦。リアルタイムで観ていて、とてもおもしろい将棋だった』とコメントを寄せています。

「あ……そうでしたね」

──愛されていますよね?

「あははは!」

 豊島は笑うが、あながち冗談ともいえないと思う。
 藤井はインタビューなどで目標とする棋士を尋ねられることが多い。そのたびに「いない」と答えている。
 それは自身の発言が世間からどう受け止められるかをよく理解しているからだろう。
 だが、丹念に藤井の発言を追えば、誰の将棋を最も意識しているかは、伝わってくる。

 『将棋世界』2021年6月号に掲載された2020年度の熱局プレイバックでもやはり藤井の将棋が10局中5局を占めた。
 では当の藤井がどの将棋に票を投じたかといえば……。

 第1位 叡王戦第4局 永瀬拓矢vs豊島将之
 第2位 名人戦第3局 豊島将之vs渡辺明
 第3位 A級順位戦  豊島将之vs羽生善治

 何と、1位から3位までを豊島の将棋が独占している。
 もはや藤井は、豊島への気持ちを隠そうともしていない。いや、もともと隠していたわけではないのだろうが……。
 では豊島は、藤井のことをどう思っているのだろう?

 

 

──藤井先生のこういったコメントなどを丹念に拾っていくと、やはり豊島先生を意識しておられると感じます。ご自身ではそういうの、感じますか?

「いやー……どうなんでしょう?」

──豊島先生と対局されるときに、気負っているような様子などは見えますか?

「別にそういうことはないですかね」

──対戦成績で豊島先生が圧倒していることは、様々なところで取り上げられています。終盤で追い込まれてから大逆転といった将棋もありました。藤井先生が終盤で逆転するところは多く目にしますが、その逆ができる人がいるとは……。

「(6勝目となった)王将戦のあの将棋に関しては……王様が5九くらいにいたときは『もうダメだな』と思っていましたが、お互いに時間もなくなっていましたし。完全に諦めたわけではなく、しっかり考えていました。99%負け、という時もありましたが、自分も完全に負けるところまで読み切れていたわけではなかったので」

──以前のインタビューだと『豊島将棋は勝つにしろ負けるにしろ一方的になりやすい』とおっしゃっていました。しかし最近、たとえば竜王戦での羽生先生との将棋のように、終盤に逆転するような大熱戦が増えていると思います。あと永瀬先生との叡王戦のように、持将棋になったり。

「そうですね。長期戦になることは増えました」

「今の将棋は、序盤で差を付けづらいので。それで難しい将棋になりやすいです。評価値が拮抗するようにお互いが序盤を組み立てていることが多いので」

「そうすると……昔の将棋って、自分たちが上手く指せるか指せないかで選んでいたので。戦型を。中終盤とかもシンプルな形になりやすいんですけど、最近の将棋は、ねじり合って難しいので。そういうところもありますし……」

「自分の将棋というところでは、無冠のときは、無冠だったけど勝率もよくてレーティングも高かったという時期は、序盤戦で有利になることが多かったので。序盤の時に優位に立って、そのまま勝ちきることが多かったです。だけど熱戦になると、負けてしまうことも多くて」

「あとは、タイトルを獲れていないので力が入りすぎて、最後のほうで体力切れになったこともありました」

「今は、序盤では他の棋士と差を付けられなくなって。むしろこちらが少しでも気を抜くと、悪くなってしまうこともあるんですけど。でも、たくさん経験できたというか」

「序盤戦でリードできて、そういう勝ちパターンを持っていたときに、対局もたくさんしましたし、タイトル戦とかにたくさん出て、いろいろ経験してきましたし、その部分で中終盤とか落ち着いて指せるようになって。そういうところが今は活かせているのかなと」

 

 

 豊島と藤井の将棋観の違いは、ソフトを取り入れた時期……正確には、扱い始めた頃のソフトの棋風の違いにある。
 その点は、豊島の分析する通りなのだろう。

 しかし……だとしたら、疑問がある。

 豊島と同世代の棋士たちは、同じようなタイミングでソフトを取り入れているし、駒の価値の件についても同様の発言をしている。
 なのになぜ豊島だけが、藤井に勝てるのか?
 同世代で豊島よりも早くタイトルを獲った棋士もいるのに、なぜ……?

棋聖戦に負けたときが一番苦しかった

──ニコ生だと、同世代のライバルのタイトル戦などが中継されることもあったと思うんですけど、そういうのをご覧になることは……?

「棋譜だけ見てることが多かったですかね。特に当時は。何か、あんまり……全体を見たくないな、というのはあって(笑)」

「自分の将棋に取り入れられるものがあれば取り入れたいけど、なんだか……タイトル戦に自分が出れていなかったら、そんなに見たくないなというのはありました」

──私が豊島先生と初めてお話しさせていただいたのは、佐藤天彦先生と稲葉陽先生の名人戦が岐阜で行われた時でした。豊島先生は解説で来られていましたが……やはり内心、悔しさというものがあった?

「あのときはもう、慣れてきて。他の棋士の方もタイトルを獲って。同世代で活躍されていて。そんなに……まあ、まあ…………いいなぁとは思いましたけど。うらやましいなあとは思いましたけど、冷静に見られる感じで。自分もA級に昇級できたところでしたから」

──焦りなどが大きくなってきた頃というのは……具体的なエピソードがあれば教えていただきたいんですが。

「ああ、苦しかったエピソードですか?」

──端的に言えばそうなっちゃうんですけど(苦笑)。

「なんかずっと上手くいってないような感じは、ちょっとずつ焦りに変わっていったというか……」


「初め、王将戦に20歳で挑戦して、負けて。まあでも負けたときは『まだいくらでもチャンスがあるし、明らかに久保先生と自分では実力に差がある』と思っていたので。2勝できましたし、そんなに……負けたから当然、悔しさはありましたけど。先が……先に、希望が広がってるようなイメージはあったんですけど

「その次の年も、王将リーグは結構いい成績を取ってたんですけど、途中で負け続けてしまって。2回くらい連続で挑戦の一番があったんですかね? 確か。それを連敗して、挑戦できなくて」

「そのへんから、ちょっとずつ……って感じですかね」

「そのころは、同年代というか2~3年年上くらいのグループの中で、自分がわりと先のほうを走っているような感触はあったんですけど。まあ成績的にも」

「でもやっぱり、うーん…………そこまで、棋力が伸びていっていないな、というのがあって

「その後……タイトル戦に全然縁が無くて。そこから数年は。で、その数年は……まあ順位戦や竜王戦で昇級はできていたんですけど、それでは満足し切れていないというか」

「そういうのも、今にして思えば、一つ一つ積み上げていくのも当然大事ですから、そこで達成感を感じて、それでやる気に変えていければよかったと思うんですけど……あんまり、そういうふうにも思えなくて」

「それで、そうですね……だんだん、苦しくなっていったというか

「で、その後、電王戦に出て」

「そうですね。電王戦に出て、王座戦や棋聖戦のあたりは……どういうふうにやったらいいか、まだわかっていなかったというか」

「将棋ソフト使っても、どういうふうにどうなるというのが、ぜんぜんわかっていなかったので」

「棋聖戦で、羽生先生に挑戦して負けたあたりは……ああでもあのへんは、将棋は相当一生懸命やっていたんですけど。それまでよりも特に量を増やして、やっていて」

「でも結局、最後のほう全然勝てなくなって終わったので……」

思えば、あのへんが一番苦しかったですかね。棋聖戦、負けたあたりが

「うん。そのあとは何か、やりかたを変えて。成果が割と出たので。レーティングも上がっていって、勝率も高くなって。A級に上がれたりJT杯に優勝できたりしていたので」

「棋聖戦に負けたときが、一番……本当に、どうしようもなかったというか……」

「そこからは、将棋の内容は上向いてはいくものの、タイトル戦に出たりとか結果を出したりできないというところなので」

──……過去のインタビューに『ミスをすると自分が許せなかった』という発言があったんですが、やはりその時期は、特に自分を責めるようなところはあったんでしょうか?

「ああー……ありましたね。やっぱり」

──自分に向かっちゃうんですか? 相手が悪い……というか、相手が強いからとかではなく。

「うぅーん。でもやっぱ、自分に向かっちゃいますね。特に棋聖戦の第四局とかは、もちろん羽生先生はムチャクチャ強いんですけど……歩を打って成り捨てたりしてるわけですよ(苦笑)

──『いまのナシ!』みたいな感じでね(笑)。あれはびっくりしました。

「それをこっちが咎めに行って、負けているので(笑)。だから、何て言うか……あのへんは、キツかったですね……」

──向こうが間違っていることを両者が認めているにも関わらず、それでも負けたという……。

「そうですね……」

──自分のやりかたがおかしい、という考えになったんですか?

「時間はたくさんかけていたんですけど……やりかた、というか、『こうやったらこうなるだろう』というのが間違っていたんだろうなと、今となっては思うんですけど」

──どんなことをやっていたか、具体的に教えていただけますか?

「当時取り組んでいたのは…………」

 

 

 これまでのインタビューでは、豊島が人間との研究会を全て辞めてから具体的にどうソフトを活用していたのか語られることは、ほぼなかった。
 おそらくそれは、豊島自身が、自らの使い方について『あまりよくなかった』と感じていたからだろう。
 豊島は語り始めた。
 耳を疑うような内容を。

『中盤が強くなりたい』と思い、矢倉でソフトと指し続けていた

「……あの、電王戦終わってからも、そんなにはソフトを使っていなかったんですよ」

「使ってはいたんですけど、指した将棋の振り返りとかに使っていて。結構、補助的に使っていまして」

「で……それでも『そんなに成果が上がっていないな』と思っていて」

「同世代の棋士がタイトル取ったりしていたので、『もうちょっと思い切って踏み込んでいかないといけないのかな?』と思って……」

「棋聖戦の頃は、ソフトが一番強いのは、中盤の、ねじり合いの部分だと思ったので。私は」

「実際、YSSとかと指しても、序盤とか終盤で勝負ができるなと思っていたので。中盤が長くなるとキツくなるなと思っていたんですよ」

「だからやっぱり中盤が強いと思っていて」

「だからそこを自分に取り入れたいと思って。だから、なんか……棋聖戦の将棋も、矢倉が多かったんですけど、その頃は矢倉ばっかりソフトと指していて」

 

 

 ……ん?
 豊島の発言に引っかかるものを感じた。
 指す? 矢倉ばかり? ソフトと?
 まさか……。

 

 

「矢倉とかそういう、中盤がねじり合いになるような、そういう将棋をやって」

「苦しいんですけど、なんていうか……どれくらいまで耐えられるかというか。中盤、どのくらいまで互角で耐えられるかということをやっていて……」

「まあ、あんまり……ほとんど勝てないですし……」

──た、対戦していたということなんですか!?

「ああ、対局していました」

──矢倉にして?

「矢倉にして。局面は、途中まで自分で作って」

──指定局面で?

指定局面というか、互角くらいの局面にして。作って、そこから指していましたね。ひたすら

──…………。

 

 

 中盤が強くなりたい。
 だからソフトと中盤から指す。ソフトが最も力を出せる、矢倉で。
 狂気を感じた。
『若返りたいから、赤ん坊を食う』くらい短絡的な行動だと思った。それができれば、みんなやってる。電王戦を見れば、できないことなんて誰でもわかる。矢倉でソフトに勝った人類など、一人もいない。

 豊島が棋聖戦で羽生に挑戦したのは、2015年6月。
 その3ヶ月前には電王戦FINALが行われている。
 豊島は出場しなかったが、前年に行われた第3回電王戦で人類唯一の白星となった豊島の将棋を分析し、人間の勝ちパターンを磨いたことで、プロ棋士の側が勝ち越すことに成功している。
 電王戦でコンピューターと戦った他の棋士たちは、いかに人間の持ち味を引き出し、ソフトの長所を消すかを考えていた。
 ソフト開発者側もまた、いかに人類に序盤の作戦を狙い撃ちされないかを考え、指し手を散らすプログラムを組み込んだりした。

 しかし同じ頃、豊島は人間の長所を封じ、ソフトの最も強いところを引き出して、戦っていた。
 豊島はコンピューターと片手を鎖でつなぎ、殴り合ったのだ。
 人間の持ち味を封じ、足を止めて、ただひたすら殴り合った。このやせっぽちの青年が、鋼鉄の身体と拳を持つ機械と、真っ向から。
 人間との研究会を全て辞め、一人で部屋にこもり、家族から『変人になるのでは』と心配されながら。

 しかも……しかも豊島はそれを、あろうことか羽生とのタイトル戦と並行して行っていた……。

 

 

「でも、なんか、それで……当時のソフトも、自分よりかはちょっと強いんですけど、全体的に見て。自分が勝とうと思ったら、序盤を工夫して良くしにいくか、あとは中盤の、その、戦い……ねじり合いになったときに、結構、一直線の将棋に踏み込んでいけば、終盤でソフトが頓死筋をうっかりすることがあるので。一手違いにしてしまえば、何局かに一局は勝てるんですけど。当時のソフトだと……」

「でも、それをやっちゃうと、人間同士だと粘りのない手になってしまうんですよ。中盤の指し手が。それだとあんまり勉強にならないのかな、と思って」

──人間の良さを封印して、中盤からソフトと対戦していたんですか……。

「まあ、どれくらい耐えれるか……というか、どこまで互角でいけるかという。だいたい最終的には負けるんですけど。耐えるような指し方をしていくと。互角でどれくらいまでついて行けるかということをやっていて……」

「そうですね。でもそれは、やっていて苦しかったですし

──そりゃそうですよ……。

「ふふふ。ほとんど勝てないので(笑)」

 


 冗談だろう? その条件で、たまに勝っていたのか……?
 私は叫び出したくなった。
 人間にそんなことができるなんて……あの当時でも現在でも、想像すらしていなかった。

「でも、初めの頃は結果が出てたんですよね。棋聖戦に挑戦するまでのあいだは、けっこう勝っていたので」

「けど最終的には体力が切れてしまったというか。タイトル戦で、いろんなところに行って対局しながら、それもずっとやっていたので(苦笑)」

──そんな……苦しいに決まってますよ。そんな、電王戦とタイトル戦を一緒にやってるみたいな……。

「途中からもう、将棋を指すのが……」

──イヤになってしまった?

「イヤ……には、なっていないんですけど。ボロボロになって。あと順位戦とかがぜんぜん勝てなかったですね。体力的な問題になったというか。家でそんなに研究とか実戦を指していなかったら、大丈夫だったんでしょうけど」

「順位戦で連敗したあたりで『これをこのまま続けたらヤバいことになる……』と思って(笑)」

「元のスタイルは、研究将棋というか、角換わりとか横歩取りとかがメインだったんですけど。戻したら勝てるようになって」

「…………という、感じでしたね」

──……当時の苦しみが、矢倉の再流行で活きてきている面はあるんですか?

「うぅーん…………やっぱり、違う矢倉ですかね」

「(ソフトと指していたのは)組み合う矢倉ですし。形としては、今とは違うような矢倉戦でしたけど。まあでも、序盤の決まっている形を研究するよりも、中盤の力を付けたいというのは、今でも思っていますけどね。それが目標というか」

──あの……今でもやっておられるんですか? ソフトとの対局……。

「今はもう。ソフトが強くなるにつれて、どんどん指すことは少なくなっていったというか」

 

 

 かつて囲碁のプロ棋士である大橋拓文六段から、こんな話を聞いた。
『コンピューターに2000敗して世界チャンピオンになった棋士がいる』
 その話を聞いたとき、正直に言えば、半信半疑だった。囲碁なら成立しても、将棋では難しいだろうとも思った。
 しかし……それと同じようなことをした人間が今、目の前に座っている。
 狂気の一人電王戦の末に、豊島は棋聖戦で羽生に敗れた。
 けれどその3年後の棋聖戦で羽生に勝ち、初タイトルを獲得。そこから一気に花開き、わずか1年で三冠。そして竜王名人へと駆け上がる。
 果たして豊島の無謀な実験は失敗だったのか? それとも……。
 話の濃度に息苦しさを覚えた私は、明るい話題で空気を変えようとしたが……。

 

 

──ドワンゴは、他の放送とは異なり、開発者の方々にもスポットライトを当てた企画を行ってきました。そういう企画をご覧になって、いかがでしたか? 個性的な人が多いなぁとか(笑)。

「確かに、開発者の方々は個性的な方が多かったですね(笑)。あっ、YSSの山下さんは、とても紳士的な方でした」

──そうですね。山下さんは人格的にも素晴らしい方で……。

「でも、ソフトはいいですよね」

──え?

間違った成長をしたら、バージョンを戻せばいいだけだから。人間は、そうもいかないので(笑)」

 

 

 そう言って笑う豊島の目を見て、私は……背筋に冷たいものを感じた。
 その笑顔には、引き返すことすらできない場所へと進んでしまった者の孤独と、人間から隔たってしまった自分への満足感のようなものが、同居していたから。

 同世代の棋士の中で……いや、人類の中で、豊島と同じバージョンの者は存在しない。
 だからこそ藤井聡太にとって豊島の指し手は驚きに満ちているのだろう。

 豊島将之の中には今も、狂気の残滓が鼓動している。

 

(続く)

第2章 最強の棋士像

第3章 そして、叡王へ……

 

―あわせて読みたい

・藤井二冠の自作PCについて最強将棋ソフト開発者に聞いたらトンデモないことが判明した件

・藤井聡太はなぜ矢倉でタイトルを取ったのか

・将棋名人戦開催の舞台裏──「コロナの影響は?」「開催地はどうやって決めてるの?」朝日新聞社の”中の人”にタイトル戦運営の裏側を聞いてみた

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