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越路吹雪を小朝が語り 玉三郎が歌う「ピースがハマった感覚」歌舞伎座特別公演

日刊スポーツ / 2024年7月4日 8時9分

7月の歌舞伎座特別公演で坂東玉三郎と共演する春風亭小朝

<情報最前線:エンタメ 舞台>

「坂東玉三郎×春風亭小朝 歌舞伎座特別公演」が7月25日に上演される。「越路吹雪物語」と「怪談牡丹燈籠 御札はがし」の2本立て。「越路吹雪物語」は昭和の大スターだった越路吹雪さんを主人公にした新作落語「越路吹雪物語」を小朝が語り、玉三郎が越路さんの代表曲を歌う。「怪談牡丹燈籠」は玉三郎と小朝が登場人物を演じ分ける。すでにチケットが完売する人気ぶり。先日は「ニュースの教科書」でも取り上げられ、生誕100年でもある越路さんの魅力を小朝が語ります。【林尚之】

■小さい頃に頭をなでられた

前座の頃に、先輩の落語家から「チケットが2枚あるから」と誘われて、日生劇場の「越路吹雪ロングリサイタル」を見たのが越路さんとの最初の出会いだった。

「憑依(ひょうい)したかのように歌う越路さんのすごさに魅了されました。大人が楽しめるエンターテインメントにしびれました。越路さんの衣装、舞台装置もすばらしかったし、見に来るお客様もおしゃれでした。その時分、『日本の歌姫と言えば誰?』というアンケートで1位は美空ひばりさんでしたが、洋楽で選ばれていたのは越路さん。インターネットのない時代に1カ月公演のチケットが毎年2日で完売してしまうってすごいですよね。僕も頑張って購入しておりました」

しかし、越路さんは1980年に56歳の若さで亡くなった。

「いつか、この人の物語を作ってみたいと思うようになりました。国内で出版された本、雑誌、新聞などが収蔵されている大宅壮一文庫で資料をいっぱい借りて、越路さんのマネジャーだった作詞家の岩谷時子さんにお話をうかがいました。越路さんを撮り続けた写真家の松本徳彦さんにもお目にかかり、長年お世話したお手伝いさんにも群馬まで会いに行きました。親交のあった黒柳徹子さんにもエピソードをいただきました」

■「淡谷のり子物語」も候補に

そして、十数年前に新作落語「越路吹雪物語」が出来上がった。その時、小朝は越路さんとの不思議な縁を知ることになった。

「母が『あなた、覚えていないと思うけど、小さい頃に越路さんに会っているわよ』と言うんです。母によると、越路さんのコンサートに僕を連れて見に行った時、ステージから降りてきた越路さんが通路脇に座っていた僕を見て、頭をなでてくれたと言うんです。まったく記憶になかったけれど、何かご縁を感じました」

越路さんはエピソードの多い人だった。

「大スターだったけれど、舞台袖では極度の緊張のあまり震えていたそうです。そんな時、岩谷さんが背中に指で『虎』と書き、『あなたは虎、何も怖いものはない』と暗示をかけてもらってステージに向かっていたそうです。玉三郎さんも、最近は大丈夫になったけれど、以前は初日の前日は『緊張で眠れなかった。越路さんの気持ちが分かるわ』とおっしゃっていました」

小朝が語り、玉三郎が「愛の讃歌」など越路さんが愛したシャンソンの曲を歌う「越路吹雪物語」は今年1月、大阪松竹座で上演された。しかし、ほかに候補があったという。

「実は玉三郎さんから、『淡谷のり子物語』をできないかと言われたんです」

淡谷のり子と言えば、「別れのブルース」「雨のブルース」などのヒット曲で知られ、戦前・戦後に活躍した「ブルースの女王」だった。昨年秋から放送されたNHK朝ドラ「ブギウギ」では、主人公笠置シヅ子のライバルで心の友としても登場している。

「越路さんの時と同様に大宅文庫で資料を集め、いろいろと調べて、構想も出来上がっていました。でも、最終的に玉三郎さんから『越路吹雪物語』にしましょうと言われて、実現しませんでした」

実は、今も越路さんに関する新しい資料を集めているという。

「新たなエピソードを『越路吹雪物語』に取り入れたりしています。本当に生で越路さんのステージを見られたことは幸せだったと思います」

歌舞伎座公演の後は、8月4日に愛媛・西条市(西条市総合文化会館)、同12日に愛知・東海市(東海市芸術劇場)、11月15日に北九州市(北九州芸術劇場)などでも玉三郎との共演で「越路吹雪物語」を上演する。

■玉三郎が歌い「作品が成仏」

玉三郎と小朝の舞台共演は、昨年7月の京都・南座、今年1月の大阪松竹座に続いて3回目となる。

小朝は「玉三郎さんのシャンソン、僕の語りで『越路吹雪物語』がいつかできたら、と思っていたのですが、今年1月に実現しました。『越路吹雪物語』はずいぶん前に作った落語で、何度も高座にかけていましたが、パズルで言うと、いくつかのピースが足りていない状況でした。それが、大阪松竹座で、玉三郎さんが実際に出て歌うことで、ピースがハマった感覚がありました。初めてこの作品が成仏したという感じでした」

玉三郎も「公演をご覧になる方で、越路吹雪さんをご存じない方もいらっしゃると思いますが、小朝さんがその人生を語り、そこに歌が入ることで、越路さんがどういう方だったのか分かっていただけると思う。越路さんの形態模写をするのではなく、雰囲気やイメージを大事にしています。幸いなことに、私は10代後半から、越路さんの舞台はほとんど見てきました。その経験を生かすことができれば」と話す。

■「怪談牡丹燈籠」は噺と芝居

「怪談牡丹燈籠」は三遊亭円朝の怪談噺で、幽霊よりも怖い人間の業を描いている。玉三郎が歌舞伎で、小朝は高座で演じてきた。小朝は「一緒にやったらどうなるのか、ワクワクしています。僕が語ったら、その場面が玉三郎さんによって芝居となって、またちょっと語って、また芝居になるという流れになると思います。お客様にも楽しんでいただけるのでは」と言えば、玉三郎は「立役のパートを小朝さんがやって、私がお露、お米、お峰を演じることになるかと思います」。

■母親含め40年を超える関係

2人の交流は、小朝が前座時代に踊りを習った師匠が玉三郎の母だった関係で40年を超える。小朝は「芸を極めた方。踊りのこと、お芝居のことをいろいろ質問しても、端的で確信を突いた答えが返ってくる。あとは、たくさんお話ししてくださるのがうれしいですね。先日、2時間半食事して黙っていたのは3分ぐらい。本当にいろんなお話を聞かせてくださって、録音しておきたかったぐらいでした。人間的にも、芸の上でも素晴らしい方ですし、僕にとっては人生を変えるご縁ですね」。

玉三郎は「江戸言葉を流ちょうにしゃべれる人が身近にいるのは、私にとって貴重なこと。世話物の登場人物が、そのまま隣にいる感覚ですね。これだけ江戸言葉をしゃべれる人と、舞台をご一緒したいと思い、何度もお誘いをしているんですけど、『芝居って大変でしょう』って遠慮していらっしゃるの。だから、今回の『牡丹燈籠』で、まずは座ってやってみて、徐々に(芝居に)引き入れられれば」と話した。

◆越路吹雪(こしじ・ふぶき)1924年(大13)2月18日生まれ。宝塚歌劇団のトップスターとして活躍し愛称は「コ-ちゃん」。退団後は歌手、女優として活躍。代表曲はシャンソンの「愛の讃歌」「ラストダンスは私に」「ろくでなし」など。舞台は「王様と私」「結婚物語」のミュージカルのほかに、浅利慶太演出で「ロングリサイタル」、ピアフの半生を描いた「ドラマチックリサイタル」が人気を博した。80年6月に主演舞台「古風なコメディ」終了後に入院し、同11月7日に胃がんのため亡くなった。

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