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ドクター・中松氏、都知事選初の街頭演説は秋葉原で第一声、思い出の地・新橋でも

日刊スポーツ / 2024年7月5日 21時18分

東京都知事選

都知事選に立候補している国際創造学者・発明家のドクター・中松氏(本名・中松義郎=96)が5日、都内のJR秋葉原駅前で、選挙戦で初の街頭演説を行った。

この日は、選挙カーで幼少期の遊び場だった明治神宮外苑をスタートし母校・麻布中がある麻生、東大前を経て、秋葉原駅電気街口に降り立った。中松氏は実質的な第一声で「なぜ、秋葉原か!? 私は部品を買い、自分のはんだごてで発明を作った。恩人の秋葉原にお礼に来た。ありがとう!」と感謝。すると「ドクター・中松だ!」「本物だ!!」と一気に人だかりができた。

当初は96歳と高齢であることも踏まえ、6月13日に都庁で開いた出馬会見では、街頭演説に立ったり選挙カーに乗るなど、従来の選挙戦は展開しない考えを示した。そして、公示日の同20日に立候補の手続きを済ませた上で、公式GPTs「答えマース」を設置。物価高や貧困の解決、災害への対処、環境改善といった自身の政策を落とし込んでおり、政策などについての質問にも、本人に成り代わって、回答含めて24時間、やりとりできるよう整えた。ただ、SNSを中心に直接、生の声を、街頭演説を聞きたいと街頭演説を求める声が相次ぎ、前日4日に緊急街頭演説を決断した。

この日、都内は最高気温約36度の暑さだったが、中松氏は選挙カーの助手席に座る形で30分強、秋葉原駅前で語り続けた。

「私の名前は義郎。義の男、義理堅く、真面目です。小学校から東大まで無遅刻無欠席。この真面目な人を都知事にすべき」

「徳川幕府の直参旗本の末裔(まつえい)。400年(一族で)東京に住んできた。私が1番、東京を知っているし、愛している。私は武士、侍だから全て都民に還元する」

手のひらには、猛暑と節電の両方を実現する新発明「猛暑×節電×二刀流」を乗せていた。22年7月に発表した発明で、四角いボックス型の本体についたモーターで、小さな羽を回すことで冷たい風を起こして肌と接する面を冷やす。ワイヤで額や首筋、耳など、つけたいところにつけることができる画期的発明を駆使し、自らが訴え続ける「発明的選挙」を実践した。中松氏は「手のひらに乗せるだけで全身が涼しくなる、私の発明であり特許。他の候補が使わない発明で、暑い日も外に出ておりますし、この発明は米軍でも採用しています」と力を込めた。

中松氏は秋葉原駅前での街頭演説を終え、JR新橋駅前に移り、この日2度目の街頭演説を行った。東大卒業後の53年に三井物産に入社し、デジタル時計や表示板、さらには現在のパチンコの元になる自動パチンコ装置など次々と発明を世に送り出すも、57年に同社を退社。独立し、日本のベンチャービジネスの先駆けとなるドクター中松創研を創設したが、三井物産時代に利用していたのが新橋駅だった。

中松氏は「私は、新橋を通って家に帰りました。サラリーマン時代に大変、お世話になった思い出の場所・新橋にお礼に参りました」とあいさつ。選挙カーの周りには2、3重にも人が並び、秋葉原以上の熱気を生んだ。

投開票日2日前の第一声を終え、中松氏は「街頭演説は、やって良かった。(有権者は)皆、笑顔になっている」と手応えを口にした。有権者からは「期日前投票をしました!」と声をかけられ「ありがたい。有権者と生の接触をした価値があった。熱を感じた」と笑みを浮かべた。

1991年(平3)を皮切りに、これまで都知事選7回、衆院選3回、参院選6回の計16回、立候補してきたが、14年12月の衆院選以来9年半ぶり、都知事選でみれば14年2月以来、10年ぶりの出馬となった。過去16回の選挙では、都知事選で4回、戦った石原慎太郎さんが、選挙戦期間中に中松さんの選挙カーに乗り込んできたこともあった。過去の選挙戦と比較して「石原さんは、もういらっしゃらないけども、今日は同じ熱量でやった。今まで、最高の選挙。現場の熱量もそうだし、SNSも盛り上がっている」と手応えを口にした。【村上幸将】

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