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元テレ朝 女性アナ先駆け南美希子が生島企画室入り「テレビが好き、バラエティーや音楽番組に」

日刊スポーツ / 2024年7月18日 5時0分

幅広く活躍する元祖女子アナとして知られる南美希子(撮影・中島郁夫)

フリーアナウンサー南美希子(68)が、7月から芸能事務所「生島企画室」に所属したことを受けて、このほど取材に応じた。テレビ朝日で「OH!くらぶ」などの司会を務め、女性アナの先駆けとして活躍。これまでエッセイスト、美容家としても活動してきた。“人生100年”時代を迎え、まだまだ元気な生き方、仕事に対する思いを聞いた。(文中敬称略)【小谷野俊哉】

◇◇  ◇◇

新たに事務所に所属した南は「エッセーや講演会の仕事もいただきますけど、やっぱりテレビが好き。バラエティーや音楽番組にも出たい。歌番組でイントロの音付けがやりたいですね。ただ『どうぞ』って言うだけじゃなくて、音楽が鳴り出している中、ちゃんと紹介するプロの仕事をね。私は、Number_i(ナンバーアイ)が大好きで応援しているんです。だけど、あの世代って私のことは何者か分かっていない。だから、そういう若い人の中に入って『よろしくお願いします』って頭を下げて、仕事をやっていきたい。そういう私を見てもらいたい」と意気込んだ。

1977年(昭52)にテレビ朝日に入社。同年入社は在京キー局の女性アナウンサーに人材がそろっていた。TBSには吉川美代子、三雲孝江、フジテレビには益田由美、城ケ崎祐子、後に「ウゴウゴルーガ」をプロデュースした櫻井郁子も。

「当時、80年のモスクワ五輪の独占放送権を獲得したテレ朝は、私の同期で古舘伊知郎さん、渡辺宜嗣さん、宮嶋泰子さん…と9人のアナウンサーを採用したんです。当時のテレ朝は短大卒の資格でアナウンサー試験を受けられたので、3年の時に受けて合格、3年いっぱいで中退して入社しました。アバウトで、いい時代でした(笑い)」

入社翌年に音楽バラエティー「笑アップ歌謡大作戦」で、09年に70歳で亡くなった山城新伍さんとコンビを組んで司会を担当した。

「バラエティーは、私自身の希望でした。当時の女性アナウンサーの役目はアシスタント。ニュースも番組の合間に読むか、お天気予報のお姉さんっていう感じで、それが嫌だったです。とにかく名前を早く覚えてほしい、それには華やかな番組に出るしかないと思って、アナウンス部長に直訴したんです。他にも関口宏さんと『歌謡ドッキリ大放送』、ツービートと『クイズ!!マガジン』をやって、すごく勉強になりました」

バラエティーに起用されて、衣装に困ったという。

「歌手の人たちにはスタイリストやヘアメークが付いてくる。だけど、私の場合には、全くそういうものがない。世田谷の実家から通っていたので、給料はまるまる使えたんだけど、それでも1着半しか衣装を買えない。毎週収録があるのにどうしたらいいんだろうと思ってたら、その時のディレクターがビギグループの大楠祐二社長と知り合いで紹介してもらいました。それで大楠さんも奥さんもいい人で『いいよ、いいよ』って言ってくれて衣装を借りられることになりました。毎週菓子折りもって行きましたが、買うことを考えたら安いもんでした」

86年、「OH!!くらぶ」の司会を作家田中康夫氏(68)と務めている最中に退社、フリーになった。

「辞めたのがちょうど30歳の時。フリーになって3年間は事務所に所属しなかった。制作会社のワークスのディレクターが『僕のテーブルの上に黒電話を引いて(仕事を)受けてあげるよ』って言ってね。営業なしでも、女子アナの独立なんてない時代ですから、面白いように仕事が来ました。男性では、私の1年前に同期の古舘さんが独立していました」

独立して、年収がアップした。倍どころか10倍近くに跳ね上がった。

「バブルに向かって、世の中にもテレビ界にもお金があふれていた時代。年に3回は香港に行ってブランド品を買ってました。ちょうどブランドブームの時で、本当にお買い物天国。それこそ金額もよく見ずに当時は買ってたんで。ホテルに帰ってみたら、こんなセーターが4万6000円なんだと思ったら46万円(笑い)」

95年に結婚。96年に40歳で息子を出産した。

「今では40歳で出産なんて珍しくないけど、当時は高齢出産って言われました。その時に『40才からの子育て』(光文社)を出版しました。書くことは大好きで、いろいろな連載をやらせてもらって、女性のこと、美容のこと、いろいろと本も出しました。エッセーをずっと書き続けているけど、これからは、もっとテレビで自分の考えを発信しいけたら」

テレビではコメンテーターとして呼ばれることが多い。

「独立してワイドショーの司会を担当した時は『結婚も離婚もしたことないのにやれるのか』とも言われました。今は結婚、離婚、子育て、介護も経験しました(笑い)。よく、すごく若い人がコメンテーターに呼ばれることがありますけど、自分が体験したことに基づいて提言していけたらと思っています」

女性アナウンサーとして、道なき道を切り開いて歩き続けてきた。これからも、歩き続ける覚悟だ。

★南美希子(みなみ・みきこ)1956年(昭31)2月26日、東京生まれ。東京女学館中、高を卒業して聖心女大へ。77年に大学を3年で中退して、テレビ朝日にアナウンサーとして入社。同期は古舘伊知郎、渡辺宜嗣、古沢一彦、佐々木正洋、宮嶋泰子ら。「笑アップ歌謡大作戦」「歌謡ドッキリ大放送!!」「クイズ!!マガジン」「トゥナイト」「OH!エルくらぶ」などを担当して、86年に退社してフリーに。その後は日本テレビ系「芸能スクランブル!!」「EXテレビ」「ザ・ワイド」、フジテレビ「バイキング」など。血液型O。

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