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桑原征平「水中で体を蹴ったり、どついたり、何でもアリでしたね」成城大時代の水球部の思い出

日刊スポーツ / 2024年7月29日 5時30分

中学、高校時代は水球選手だった桑原征平氏。200メートルバタフライで京都府の中学記録を更新した(本人提供)

パリ五輪の各競技が、本格的にスタートした。元関西テレビ(カンテレ)のアナウンサーで、現在フリーの桑原征平(80)は、成城大時代に水球部で鳴らしたスポーツマン。28日に初戦を迎えたポセイドンジャパン(水球日本代表)にエールを送るとともに、自身の水球人生を振り返った。

“元祖”関西の名物バラエティーアナの桑原は大学、社会人と計6年間、水球選手として活動した。2人の兄も水球選手。次兄重治さんは1964年(昭39)の東京五輪に日本代表として出場した。

「日本代表は東京五輪では1勝もできなかったけど、会場はどこも満員でした。水球は千駄ケ谷の東京体育館で行われて、私は日本の応援団として最前線で大声を出していて、その模様は新聞でも紹介されました」

当時は、寒い時期でも練習できる温水プールが東京には2カ所しかない時代。成城大の水球部員だった桑原は、冬になると練習のために東大の温水プールに通った。

「ひとつのプールで、いくつもの大学が入れ替わりで練習するんですよ。深夜2時に練習開始、4時に終了ということもありました。あのころの水球は、水中で対戦相手の体を蹴ったり、どついたり、何でもアリでしたね」

まさに水中の格闘技。対戦相手に負けないよう、泳ぎを鍛えるため、2人で押し合いながら泳いだり、足を使わずに泳ぐ練習も行った。その成城大は水球の名門で、ずっと1部リーグの強豪だった。桑原も日本代表の練習相手に選ばれた。しかし、4年のときに2部に転落。

「おかげで弱くした代のメンバーだと、その後ずっと言われました。それでも水球は楽しかった。他の団体スポーツにも通じることですが、1人1人が集団になることで何倍にも強くなれるんです。今の水球選手は昔と違って女性ファンの人気も高いそうで。パリ五輪は、ぜひテレビ観戦で声援を送りたいと思っています!」

桑原といえば関西テレビのアナウンサー時代、ライオンに尻をかまれたり、アカプルコにある高さ40メートルもの絶壁から決死のダイビングを敢行するなど、体を張ったロケで名をあげた。その体力とバイタリティーは、水球の猛練習で培われたものでもある。

ポセイドンジャパンは昨年、中国で行われたアジア大会で53年ぶりに優勝。リオデジャネイロ五輪、東京五輪に続いて3大会連続となる五輪切符を手にした。開催国フランス、セルビア、スペイン、オーストラリア、ハンガリーと同組の予選ラウンド。初戦のセルビア戦は1点差で落としたが、今後の活躍を桑原も期待している。【取材・構成=三宅敏】

◆桑原征平(くわばら・しょうへい)1944年(昭19)5月14日生まれ、京都市出身。成城大卒業後、酒問屋の営業マンを経て、69年アナウンサーとして関西テレビ入社。「ハイ!土曜日です」「おはよう!ナイスデイ」「土曜大好き!830」などに出演。体当たりロケでは、従来のアナウンサー像を打ち破るキャラクターを発揮した。60歳で関西テレビ定年後、ABCラジオに出演。80歳の現在も「桑原征平 粋も甘いも」「征平・吉弥の土曜も全開!」に出演中。

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