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シャンソン歌手クミコ「銀巴里」デビューから42年…歌い続ける「愛の讃歌」最後は光のもとに

日刊スポーツ / 2024年8月19日 8時24分

笑顔でポーズを決めるシャンソン歌手のクミコ(撮影・千葉一成)

<情報最前線:エンタメ 音楽>

シャンソン歌手のクミコ(69)が、パリオリンピック(五輪)効果によるシャンソンへの関心の高まりを期待している。

シャンソンはフランス発祥の歌。開会式で世界的歌手セリーヌ・ディオン(56)が「愛の讃歌」を歌い、世界中に感動を与えた。28日からはパリパラリンピックが開幕し、さらなる効果が予想される。クミコに自ら「愛の讃歌」を歌い続ける意味や、シャンソンへの思いなどを聞いた。(文中敬称略)【笹森文彦】

   ◇   ◇   ◇

パリ五輪開会式のクライマックス。気球形の聖火台に点火されると、エッフェル塔の特設ステージで、ディオンが「愛の讃歌」を力強く歌い始めた。フランスでもっとも愛されるシャンソン歌手エディット・ピアフの名曲。ピアフ自身の不倫を歌ったものだが「あなたが望むなら祖国も友も捨てる」と、愛の強い力を歌い上げる。

クミコ もちろん見ていました。聖火がともった丸い気球が地球のようで、それと対峙(たいじ)するかのように、セリーヌ・ディオンが「愛の讃歌」を歌った。まるで、混沌(こんとん)とした世界を目の当たりにしながら、やはり一番大切なのは愛だよと、総括しているような象徴的なシーンでした。

ディオンは、体が硬直したりけいれんする神経疾患のスティッフパーソン症候群で、22年から活動を休止していた。その復帰ステージでもあった。

クミコ 自分の体に巣くった病と闘うように、手を振り上げて歌った。それは何かと闘う象徴のようで、言葉は分からなくても、「愛の讃歌」が闘って、勝ち取っていく歌のようにも聞こえました。

まさに平和の祭典と、これから戦う選手たちへのメッセージだった。

シャンソンはフランス語で「歌」の意味。恋愛や庶民感情などを、詩的な歌詞と美しいメロディーで歌う。その代表曲「愛の讃歌」は、クミコにとっても大切な1曲だ。

クミコ 自分をリセットしてくれるというか、立ち位置を確かめさせてくれる歌ですね。大丈夫か、お前はどういう状況で歌っているのか。気持ちを入れてきちっと歌えるのか、ということを問うてくれている歌のような気がします。

早大を卒業後、バンド活動などをへて、82年に東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」のオーディションに合格した。27歳だった。当時、美輪明宏、戸川昌子、金子由香利らが出演し、シャンソンの殿堂のような存在だった。

クミコ お店のアンケート用紙に、必ず「愛の讃歌」のリクエストがあるんです。私には大曲で、恐れ多くて、私が歌うようになったら、この国のシャンソンも終わりだ、と言っていました(笑い)。それほど懸け離れた感じがしていたのに、人生の大半の伴奏者でいてくれる歌になるとは、思ってもいませんでした。

「愛の讃歌」への思いを強くしたのが、自身も現地で被災した東日本大震災(11年)。仕事で2度訪れたウクライナへのロシアの侵攻。そして、イスラエルによるパレスチナ自治区ガザへの攻撃、である。

クミコ 愛でしか救えないんですよね、きっと。口幅ったいとか、甘いと言われても、じゃあ他に何があるの? って。神様に備えてもらった愛という感情をいま、総動員して頑張らねば、すべてが終わってしまうかもしれないような時代に入っていると思います。

クミコが歌う「愛の讃歌」は、名訳詞家の岩谷時子が日本語詞にした越路吹雪の歌詞。「あなたの燃える手で…」と、普遍的な愛を歌う。ピアフの原詞とは大きく異なる。

クミコ かつては甘ったるい歌のような気がして、そこまでの歌と思ったこともありました。今は、その向こう側に、そうではない世界を見させられる歌と思っています。この簡単な歌詞の中に、違う思いを込めて歌う役割を自分が持っているんだ、と強く思うようになりました。

それはディオンが、世界に、選手に向けて歌ったのと同様の役割といえる。

7月10日にカバーアルバム「私の好きなシャンソンVol.2~シャンソンティックな歌たち~」を発表した。「愛の讃歌」も新たに録音した。

クミコ 歌の後に長い後奏が続きます。そこで見えてくるのは光だというイメージで歌っています。社会や世界でいろいろなことがあっても、最後は光のもとに歩いていく。絶望から希望に変わっていく、と思って歌っていきたい歌です。

銀巴里でプロ歌手としてデビューしてから、42年が過ぎた。いまがもっとも本気でシャンソンに向き合っているという。

クミコ 年齢を重ねて、シャンソンが思いのほか、自分と同じような年齢の方々に届くような気がしています。年を武器にできる唯一の音楽ジャンルだと思います。シャンソンには、ステレオタイプではない、いろんな人間や人生の物語があります。演歌や歌謡曲だけでなく、シャンソンも自分の人生を重ねられる歌の1つということを、知っていただければ。パリオリンピックを機会に見直されるのは非常にラッキーです。なじみのなかった方に、少しでも届くように、私も努力したいと思います。

◆クミコ 本名斉藤久美子。1954年(昭29)9月26日、茨城・水戸市生まれ。早大教育学部卒。78年にバンド「ホンキートンク」のボーカルとして、第16回ヤマハポピュラーソングコンテストで優秀曲賞を受賞。同年、ソロ(本名)で第9回世界歌謡祭予選に出場も落選。00年に作詞家松本隆のプロデュースで、クミコに改名してアルバム「AURA」を発表。03年の「わが麗しき恋物語」がヒット。10年に広島の「原爆の子の像」をモチーフとした「INORI~祈り~」で、NHK紅白歌合戦初出場。代表曲は「十年」「純情」「妻が願った最期の『七日間』」など。血液型B。

■100年ぶりパリ五輪 女王越路吹雪生誕100年…多くのイベント

100年ぶり3回目のパリ五輪に加え、今年は日本のシャンソンの女王・越路吹雪の生誕100年。シャンソン・イヤーとして、多くのイベントが組まれている。

10月23日には「ニッポン・シャンソン・フェスティバル 2024」が、東京国際フォーラムホールCで開催される。同イベントは、6月30日にBS朝日で放送された特別番組「ニッポン・シャンソン~越路吹雪・銀巴里…歌い継がれる愛の讃歌~」を、そのままコンサートにした。

クミコは番組で司会を務め、「アプレ・トワ」「愛の讃歌」「わが麗しき恋物語」「時は過ぎてゆく」「愛しかない時」を披露した。コンサートでも司会と、同様の曲を歌う予定だ。

ほかに松田優作夫人でシャンソン歌手としても活動する松田美由紀、俳優松村雄基、元宝塚の安蘭けい、日野真一郎(LE VELVETS)、3人グループ「ア・ラ・シャンソン」(ソワレ、きゃんひとみ、メイリー・ムー)、新星レジョン・ルイが出演する。

日本でシャンソンは巧みな日本語詞で、独自に進化してきた。クミコは「ニッポン・シャンソンはとてもいいタイトルだと思います。初めての方もぜひ聞いてほしい」と願った。

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