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著述家松岡正剛さんが80歳で死去、がん再発から肺炎で 後日「お別れの会」開催予定/発表全文

日刊スポーツ / 2024年8月21日 10時52分

松岡正剛さん(2017年3月撮影)

編集者、著述家の松岡正剛(まつおか・せいごう)さんが肺炎により亡くなったことが21日、分かった。80歳だった。

松岡正剛事務所が公式サイト内で発表した。遺族の意向により、葬儀は近親者のみで密葬にて執り行れた。

公式サイトは「松岡正剛が、2024年8月12日(月)午後1時53分、東京都内の病院で肺炎のため逝去しました」と発表。17年に肺がんの手術を受けた以降もがん再発に見舞われたという。「2カ月前に肺炎を患ってからは療養生活が続いていましたが、それでも片時も本とペンとノートを手放したことはありませんでした」と明かした。

「セイゴオちゃんねる〈松岡正剛 公式HP〉」の公式Xでも「STAFFなお、遺族の意向により、葬儀は近親者のみで密葬にて執り行いました。また、ご供花、ご供物、ご香典もご辞退させていただいております。改めて『お別れの会』を開催する予定です」とした。

京都市出身の松岡さんは東大客員教授、帝塚山学院大学教授を歴任。株式会社松岡正剛事務所代表取締役、編集工学研究所所長などを務めていた。著書に「知の編集術」「日本数寄」(2000年)、書評「千夜千冊」(2006年)などで知られる。

▼発表全文

松岡正剛が、2024年8月12日(月)午後1時53分、東京都内の病院で肺炎のため逝去しました。

すでに松岡自身が「千夜千冊」で明らかにしてきましたように、松岡は2017年に肺癌の手術を受けて以来、幾度かの癌再発に見舞われてきました。そのたびに治療のため一時的に仕事を中断したものの、退院後はただちに仕事の前線に戻り、さらに苛烈な編集・執筆を自分に課すという生き方を貫きました。そうして、最初の肺癌以降、じつに40冊もの書籍を世に送り出すという多産ぶりを発揮してきました。

今年になってまた新たな癌を抱えることになりましたが、あいかわらず休養もせず、日々、言葉を紡ぎ、イメージを編み、それを多くの場で多くの人びとに伝え続けました。2カ月前に肺炎を患ってからは療養生活が続いていましたが、それでも片時も本とペンとノートを手放したことはありませんでした。

松岡は、つねにたくさんの計画を携えていました。書籍だけでも、これから手掛けるつもりの企画を10冊以上温めていました。ついに陽の目をみることのなかった、松岡の脳内だけに存在していた目論見も数々あります。これまで、松岡の仕事をよく知る方々から、「松岡正剛は唯一無二である。代理の利かない存在である」という言葉をいただいてきました。確かに、松岡がやり残してしまったことの中には、これから誰も継承できないだろうもの、実現できないだろうものが数々あります。

けれども一方で松岡は、多様な人びととチームを組みコラボレーションをしながら計画を実現するという仕事も数多く手がけてきました。そういう機会を通して、松岡の編集哲学や方法論を共有してくださっている仲間たちが、すでに各地に、各世代に、各分野に多くいるのです。たとえば、2000年の開講以来、松岡が校長として慈しみ育ててきたイシス編集学校、故郷である近江から「日本という方法」を発信する近江アルスプロジェクトは、松岡と志を共にしてきた皆さんの手で、すでに揺らがない地盤が築かれつつあります。

私ども松岡正剛事務所、そして松岡と長きにわたり歩みをともにしてきた編集工学研究所、さらに松岡にとって一番若いプロデュース会社「百間」は、唯一無二の松岡正剛の方法を、イシス編集学校を始めとする皆さんとともに、これからも共読し、研究し、精進しつづけます。それとともに、松岡が何よりも大切にしてきたコラボレーションの「場」と「縁」を大切にし、さらに充実させていくような活動に邁進していく所存です。

これまでの松岡正剛への温かいご支援、ご厚誼に感謝するとともに、どうかこれからの私たちの歩みを、ひきつづき見守っていただきたくお願い申し上げます。

松岡正剛事務所 代表取締役 太田香保

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