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R-1優勝街裏ぴんく「ウケへんけど好き」ザコシ評価信じ、うそつき漫談貫く/インタビュー前編

日刊スポーツ / 2024年9月2日 5時0分

ポーズをとるお笑い芸人の街裏ぴんく(撮影・千葉一成)

ピンクの衣装に巨大なボディーを包み、ウソと妄想で固めたファンタジー漫談でグイグイと独自の笑いの世界に引き込んでいくピン芸人、街裏ぴんく(39)。今年3月に「R-1グランプリ2024」で優勝して半年がたった。雌伏20年をへて、地下芸人から表に出て光を浴びた王者の声を2回にわたって聞いてみた。

   ◇   ◇   ◇

21年からの3年間、ピン芸人日本一を決めるR-1は芸歴10年までの制限を設けた。今年、その制限が解けて「石川啄木にプールで邪魔された」などの妄想漫談で優勝。「R-1には夢がある」と叫んだ。

「決勝に行けるかも知れないという気持ちはあったんですけど、優勝は全然、頭の中になかった。決勝に出たことすらなかったですから、テレビのゴールデンタイムでというのは本当にどうなるか分からない。舞台とテレビでは反応も違う。本当にいろんな巡り合わせが重なって優勝させてもらえました」

決勝のファイナルでは、審査員のうち陣内智則(50)とバカリズム(48)が女性ピン芸人の吉住(34)に投票。街裏ぴんくにはマジカルラブリーの野田クリスタル(37)、ハリウッドザコシショウ(50)、そして小籔千豊(50)。強引に言ってしまえば若くしてテレビに出始めた2人が吉住、地下芸人出身の野田、ザコシショウ、そして売れずに吉本新喜劇からたたき上げた小籔が街裏ぴんくを支持した。

「ザコシさんと野田クリスタルさんはネタを知っていただいてたんで、本当にベストパフォーマンスでやるということを意識しました。小籔さんはお会いするのも、ネタを見てもらうのも初めて。どう転ぶのかなと思ってたんですが、僕は元々、吉本新喜劇に入りたかったので、本当にリスペクトしていたんです。どうにかハマりたい、面白いと思ってもらいたいと思っていたんで、ありがたいですね。『どんな人生を歩んできたらこんな漫談にたどり着くのか』『自分の中では100点つけたいぐらい』みたいな言葉を言っていただいた」

優勝して生活が変わった。

「仕事量は、めちゃくちゃ増えました。やっぱりテレビに出て、全国の人に漫談を見てもらうのは大きいんだなと。その代わりに『何が面白いんだ』って言ってくるような人たちも多いから、それと戦いながら、無視はせずに分からせていくつもりです」

R-1優勝で、世に流布し始めたファンタジー漫談、うそつき漫談。

「もともと漫才を3年やってたんですけど、2004年から07年の段階で、僕が書く漫才は、妄想漫談みたいな漫才でしたね」

漫才ではボケてわけの分からないこと言っても、ツッコんでくれる相方がいた。

「もともと架空のものをしゃべりで紡いでいく。ダウンタウンさんとか中田ダイマル・ラケット師匠の影響でやり始めました。それをピン芸にするには、どうすればいいかと。見た目が怖いんで、柄悪く怖いことを言うぶち切れ漫談をやりつつ、自分の中で始めたのが今の漫談やったんです。ぶち切れ漫談は全くウケなかったんですけど、うそをたたみかけるファンタジー漫談の方がね。『美川憲一さんの眉毛を僕、食べまして』みたいなことから始まって『わりとおいしいんですよ。塩っぽくて』と矢継ぎ早にうそをついていく。それが段々、一貫性あるストーリーを1本のネタで見せるっていう風に変わってきました。ウケへんけど、これが好き。新しいものを世の中で打ち出したいっていう思いで、やり続けてきました」

R-1に優勝する前から、芸人仲間、お笑いのプロの間では評価が高かった。16年にR-1に優勝したハリウッドザコシショウが、同じ状況だった。

「そう言ってもらえるんだという気持ちと、結果が残せない自分っていうのが、ジレンマとしてありましたね。自分の中で自慢なのは、何年か前にザコシさんが周りの芸人から自分のことを聞いて、街裏ぴんくが来そうやみたいに思っていたと。あの人に存在を知ってもらっていたのは自慢ですね。そこからだいぶ時間がかかりましたけど、あの人自身に評価してもらい、見てもらい、優勝できたのは特別なものがあります」

16年にR-1王者になったハリウッドザコシショウだが、今のような売れっ子になるまでに時間を要した。

「ハマり切るのに2年ぐらいかかったって、言ってました。テレビのバラエティーに出て、その日一番ウケてバーンってやっても売れず、2回、3回とやってタイミングが来たと。(お笑いドキュメンタリー)『ドキュメンタル』があって、あそこでバツッと来て、3回優勝してますね」

芸人になるとは思ってなかったが、子供の頃からお笑いが好きだった。

「藤井隆さんの『ホット、ホット』が好きで、小4の時にクラスのお楽しみ会で披露する機会があって、それがウケたことがきっかけで“お笑い担当”になったんで。藤井さんきっかけで人を笑わせることの自我みたいなのが芽生えました。それからは、ランジャタイの国崎(和也)みたいに息つく間もなく、人を見たらボケるみたいな。『ほんまにあいつ、ヤバいんちゃうか』って言われてました」

その後はダウンタウン。

「ダウンタウンさんは小学生の時に理解できないものも多かったんですよ。中学の時に、フジテレビの『ごっつええ感じ』のビデオが出だして、借りてきて全部見返してハマるっていう。それから日テレの『ガキツカ(ガキの使いやあらへんで)』の“はがきトークトーク”へ行って。そこで松本(人志)さんがうその話をして、浜田(雅功)さんがツッコむ。あれをピンでもやれるんじゃないかと思って。でも、やっぱり松本さんと違うニュアンスでやらなきゃパクリって言われちゃうから、そこは気を付けながら。だからこそ最初からトップギアで、訳分からんことを言い続けるっていううそ漫談になっていきました」(続く)【小谷野俊哉】

◆街裏(まちうら)ぴんく 1985年(昭60)2月6日、大阪・堺市生まれ。04年、神戸学院大在学中に高校の同級生と漫才コンビ「裏ブラウン」結成。07年ピン芸人「街裏ぴんく」に。12年上京。17年第2回地下芸人まつり優勝。19年R-1。グランプリ準決勝進出。22年、芸歴11年以上が参加のBe-1グランプリ優勝。24年R-1優勝。178センチ、110キロ。血液型B。

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