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街裏ぴんく「安売りせんとこって」テレビサイズにスタイル変えずありのまま/インタビュー後編

日刊スポーツ / 2024年9月2日 6時0分

ポーズをとるお笑い芸人の街裏ぴんく(撮影・千葉一成)

ピンクの衣装に巨大なボディーを包み、ウソと妄想で固めたファンタジー漫談でグイグイと独自の笑いの世界に引き込んでいくピン芸人、街裏ぴんく(39)。今年3月に「R-1グランプリ2024」で優勝して半年がたった。雌伏20年をへて、地下芸人から表に出て光を浴びた王者の声を2回にわたって聞いた後編。

   ◇   ◇   ◇

2004年(平16)に組んだ漫才コンビを、3年後の07年に解散。ピン芸人「街裏ぴんく」が誕生した。妄想漫談の形は完成しつつあったが、売れる気配はみじんも無かった。そして、12年に上京した。

「大阪でフリーでやってて、1カ月に出るライブが5個ぐらいやったんですよ。そうすると同じお客さんばっかりになってくる。数も少なくて、やっぱり温かいんですよね。もう見方が分かっているから、どんなネタやっても街裏ぴんくだなっていう目で見てくれる。これはよくないと思って、全く知らない人に見てもらわなきゃと思って上京しました」

ぬるく、希望の見えない状況を変えるべく状況。だが、甘くはなかった。

「ファンタジー漫談とぶち切れ漫談を武器として東京に来たんですけど、何もかもウケないんですよ。半年間くらいは、エントリー代として3000円くらいかかるライブだけ。もうドブに捨てるようなもんやったんですよ。そんな日々を過ごしていても、人のつながりもないからエントリーすれば誰でも出られるライブしかない状態でした」

先の見えない芸人生活。頼るすべはない。

「これはあかんなと思ってた時に、後輩から、浅草でギャラも交通費も出ないけど、エントリー代がかからずに舞台をめっちゃ踏めるとこありますよって。『リトルシアター』っていう浅草のそれが、完全に僕の芸能人生のキーになりました。4年ぐらいずっと、1日に3回とか4回、舞台に立てるんですよ。自分らで外でチラシを配って、お客さんを集めてきて。解散しちゃったゾフィー、漫才協会でやってるおせつときょうたとかが一緒に出ていました」

芸人同期は華やかだ。吉本興業ではかまいたち、解散した和牛、藤崎マーケット、天竺鼠、しずる、ハリセンボン、ライス、サルゴリラ…。

「僕がまだ、漫才時代からピンになるくらいまで、大阪でライブに一緒に出てたんですけど。初めの頃の天竺鼠とかいまいたちがいて、もうね、売れるオーラがあって、格が違うって感じがしましたね。そのまま吉本に行って売れていったんで。でも、当時は売れるとか、そういうことの前にウケてもなかった。ずっと怒りながら、なんでこんなおもろいのにウケへんねんみたいな。そこで行き詰まってたんで、悔しいとかいう感覚もなくて、別世界の人やなっていう目で見てました」

キングオブコント2017王者である、超売れっ子のかまいたちとも、R-1王者になって再会した。

「でも、なかなか同期っていう感じでは振る舞えないぐらいでね。この間、かまいたちの(朝日放送)『これ余談なんですけど…』に出たんですけど、同期っていう感じじゃないですよ。やっぱり、活動を共にしてないから。だからこそ一から掘るようなトークをしてくれて、それありがたかったですね。でも、同じだけやって来たんだよなっていうのは、やっぱどこかでうっすら絆じゃないけど、あるんじゃないかな。勝手に同じだけやってきた人たちやんなとか。サルゴリラだって、去年のキングオブコントのチャンピオンじゃないですか。そういうところでなんか感慨深いっていうか、同じだけ地下で踏ん張ってやってきたんだなという特別な思いはあります」

芸人全てがダウンタウンに憧れたと言ってもいい世代。中田ダイマル・ラケットはリアルタイムでは見ていない。

「リアルでは全然です。YouTubeに出てたり、ビデオ、DVDを見ていました。それを見て相方と全部書き出して、同じ速さでやってみたり。めっちゃ速いんですよ。でも普通に見たらそんなに速くない。自然な会話やのに、合わせてやってみたらめっちゃ速くて、改めて神業やなって思いました」

ネットや映像のテクノロジーの発達が、時空を超えて妄想漫談を生んだ。

「本当にダイマル師匠のつかみどころのないミステリアスな、やっぱめちゃくちゃうそついてるんですよ。ダイマル師匠に対して、ラケット師匠も『うそつけ!』って言わん時があって『それで、どないしてん』って言う。うそをうそと言わずに話聞いていくスタイルっていうのは、やっぱりダイマル・ラケットからなんじゃないかな」

ピン芸で影響を受けたのはビートたけし(77)。

「たけしさんの漫談ですね。ツービートの漫才もいいけど、一人しゃべりの方が好きかもしれんって思って、漫談というものがいいなって思った。当時、たけしさんを見よう見まねでしゃべるんですよ。やっぱりね、めっちゃ速いんですよ。僕の漫談は完全にたけしさんの影響で、たたみかけるようになった。ぶち切れて行って、毒を吐くのは、やっぱりたけしさんをお手本にしていました。昔の(日本テレビ系)『元気が出るテレビ』とかね」

2011年(平23)に75歳で亡くなった、立川流家元の立川談志にも憧れている。

「もっとリアルタイムで見たかったなって思いますね。『禁煙、タバコやめるなんてのは意思の弱いやつがやるものだ』とか。あの人独自のやっぱり裏返す作法、技術とかああいう戦い方。東京の江戸の冗句、アメリカのブラックジョークだったりとかを談志師匠風にやってたりもします」

R-1王者の肩書を手にして、半年がたった。

「そこはもう、いろいろ考えたんですけど。テレビに出てバーって見るからに楽しかったり、派手さとかかわいさとかを、金に変えてるってわけじゃないのは分かったんです。焦るのおかしいなと思っています。すぐに活躍できるような動き、別にしてないなと思って。ありのままで出て、なんか安売りせんとこって気持ちですけどね。もうテレビサイズにしてどうのこうのとかじゃなく、ありのままで生きて行こうと」

売れるために己を変えるのではなく、貫き通して行く。それが、売れなくても自分のスタイルを変えずにR-1王者になった芸人の矜恃だ。

「ほんまにおもろいことやってるのは舞台やから。そこをちょっと生かしていけるように、メディアのみならずいろいろ考えなきゃなって思ってますね。やっぱりほんまに一番おもろいと思ってもらえそうなことやってるのが舞台。それをなんとか全国に広めなきゃいけない。それは結構、急がなきゃなっていう思いはありますね」

R-1に優勝して、現在活動休止中の松本人志(60)と再会したいと願った。

「今までに2回会ったことがあるんですよ。多分、松本さんの記憶にないと思うんですけど6年くらい前に『ガキの使い』で『山-1グランプリ』ていうのに出て、そこでガッツリ4分やってるんですけど、もう全然ウケず。松本さんに『最初は、なんなんやと思ったけど、うそって分かってから面白いし、新しいね』って言ってもらったんです。だけど『おもろいね』って言われたかったっていう悔いがあるんで。あの頃から、またちょっと成長してますよっていうのを見せたいから、早く帰って来てほしい思いはありますね」

夢も妄想もうそも、急加速で広がっている。(終わり)【小谷野俊哉】

◆街裏(まちうら)ぴんく 1985年(昭60)2月6日、大阪・堺市生まれ。04年、神戸学院大在学中に高校の同級生と漫才コンビ「裏ブラウン」結成。07年ピン芸人「街裏ぴんく」に。12年上京。17年第2回地下芸人まつり優勝。19年R-1。グランプリ準決勝進出。22年、芸歴11年以上が参加のBe-1グランプリ優勝。24年R-1優勝。178センチ、110キロ。血液型B。

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