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「ボニージャックス」鹿嶌武臣さん死去、90歳 家族と「じゃあまた明日ね」と会話も容体が急変

日刊スポーツ / 2024年9月13日 13時19分

ポニージャックスの鹿嶌武臣さん

日本のコーラスグループを代表する「ボニージャックス」のメンバー、歌手の鹿嶌武臣(かしま・たけおみ)さんが12日午後6時38分、脳幹出血のため、入院中だったさいたま市の病院で死去した。90歳だった。京都府舞鶴市出身。通夜および告別式は、家族の希望により家族葬として執り行う。

男性4人のコーラスグループ「ボニージャックス」は1958年、早稲田大グリークラブ出身のメンバーで結成された。同時期に活動した慶応大学の4人グループ「ダーク・ダックス」とともに、男性コーラスグループのブームを作った。

鹿嶌さんは初期の結成メンバーの1人で、バリトンを担当。「北帰行」(1961年)、「ちいさい秋みつけた」「琵琶湖周航の唄」(ともに1962年)、「もずが枯木で」(1963年)などのヒットを続け、1963年(昭38)年からNHK紅白歌合戦に連続出場。「一週間」(1963年)、「幸せなら手をたたこう」(1964年)「手のひらを太陽に」(1965年)などのヒット曲を披露した。

小林旭(85)との競作となった「北帰行」では、61年の「日本レコード大賞」をフランク永井の「君恋し」と最後まで競い(8票差で次点)、「ちいさい秋みつけた」では「日本レコード大賞」童謡賞を受賞した。

2021年にメンバーだった西脇久夫さんが亡くなった後も3人でステージをこなし、昨年の「第50回日本歌手協会歌謡祭」にも出演。鹿嶌さんは今年7月5日、「鹿嶌武臣の世界」(彩の国さいたま芸術劇場映像ホール)に出演したが、その後入院。所属する日本歌手協会によると、亡くなった当日も家族が病院に見舞った際、「じゃあまた明日ね」などと元気に会話していたが、その後に容体が急変し、帰らぬ人となったという。

日本歌手協会では、13日午後5時56分から放送のレギュラー番組「プレイバック日本歌手協会歌謡祭」(BSテレ東)で、過去の「歌謡祭」に4人で歌唱している「ちいさい秋みつけた」を放送する予定。さらに、10月29日、30日開催(4回公演=各回出演者が異なる)の「第51回日本歌手協会歌謡祭」(江戸川区総合文化センター)の30日夕の部に、残されたメンバーの玉田元康(90)と吉田秀行(59)が鹿嶌さんをしのび、歌唱することが決定した。

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