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庵野秀明監督「宇宙戦艦ヤマト」50周年記念上映会で司会、7月左足複雑骨折で入院も歩いて登場

日刊スポーツ / 2024年10月6日 21時39分

「宇宙戦艦ヤマト」放送50周年記念上映会で笑みを浮かべる庵野秀明監督(撮影・村上幸将)

庵野秀明監督(64)が5日、東京・新宿ピカデリーで行われた、アニメ「宇宙戦艦ヤマト」放送50周年記念上映会で司会を務めた。代表取締役社長を務める製作会社カラーが、7月31日に左足を複雑骨折して入院すると発表して以来、初の公の場となった。

庵野監督は、壇上に歩いて登壇した。12年に「宇宙戦艦ヤマト」の物語を再構築し、最新技術で制作した「宇宙戦艦ヤマト2199」の出渕裕総監督(65)と、アニメ・特撮研究家の氷川竜介氏(66)とトークしたが、イベントをプロデュースした立場として、先導して歩いて登壇。出渕氏から「足、大丈夫? さっきまで車いすに乗っていたけれど」と聞かれると「長時間、立っているのは…。個人的なのは、どうでも良い」と言い、照れ笑いを浮かべた。

この日は、1974年(昭49)に日本テレビ系で「宇宙戦艦ヤマト」テレビシリーズの第1話「SOS地球!! 甦れ宇宙戦艦ヤマト」が放送された当日。上映会では午後7時30分のテレビ放送開始から、ちょうど50年の同日同時刻に、劇場初公開となる劇場版とは異なるテレビシリーズの総集編が収められた、幻の8ミリフィルム版を上映した。

庵野監督は「宇宙戦艦ヤマト」第1話の放送当時は14歳、中学2年生で、その時から50年来の大ファンを公言。「『宇宙戦艦ヤマト』との出会いがなければ、自分の今の人生はなかったと思います」とまで語り、自ら司会を務めた。

カラーは「左脚複雑骨折の為、しばらく入院する運びとなり、出演を辞退させていただくこととなりました。(中略)しばらくの間、治療に専念させて頂くことをお許し下さい」と発表していた。ただ、庵野監督はトークの合間に幻のノンテロップのオープニング、エンディングを上映した際は、正座して鑑賞した。

この日は、通の観客が集まっており、庵野監督は「ヤマトのすばらしさを、後世に残そうとしたら…ここのお客さんには、釈迦(しゃか)に説法だ」と口にした。ただ、観客の中に「宇宙戦艦ヤマト」初見の観客がいると「見てない人がいたのは、うれしい」と喜んだ。

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