最愛の友達と「紙ふうせん」やっています 夫婦フォークデュオ結成&結婚50周年の軌跡
日刊スポーツ / 2024年10月14日 7時36分
<情報最前線:エンタメ 音楽>
「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、結成50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA~懐かしい未来~」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】
■対話できる環境で
2人で紙ふうせんを結成して50年がたつ。記念ライブに向けて、後藤は「素の僕らを出して、聞いてもらいたい」と話す。半世紀以上、澄み切った美しい歌声を奏で続けてきたが、裏腹にトークは爆笑、夫婦漫才のようだ。
後藤 関西人やから、しゃあないんとちゃうかなあ。それとね、彼女(平山)は形を作ろうとするんですよ。
平山 私はね、ちゃんとしたものを…ね。
後藤 僕はそれを壊そうとするタイプなんです。ちゃんとしたものというのは、核心を隠したままにする恐れがある。大事なものを引っ張り出してきて、見せたいのが僕のタイプ。青山では、それができたらなと思ってます。
南青山マンダラの客数は150人ほど。客席から手が届きそうなほど近い距離で歌う。
後藤 大きいホールだったら、全てが計算された間尺の中でやるじゃないですか。歌の内容は変わらないんだけどお客さんとの距離も近いし、全てが対話できるような環境でやりたい。
■みんな狙っていた
2人は、兵庫県立尼崎北高校の同級生。高校時代は、あまり接点はなかったという。
後藤 付き合いたかったけど、彼女は人気もんやったから。周りの男性はみんな狙ってました(笑い)。
平山 私は小学校5年生、10歳くらいから女の子だけの子供コーラスに高校1年生ぐらいまで所属してました。高校ではコーラス部に所属しました。
後藤 僕はバンドを始めたのは大学に入ってから。高校時代はレコード聞いて、男友達ばっかり集めてピーター・ポール&マリー(PPM)を裏声使ったりして、完全コピーを目指してました。
■便せん13枚の手紙
大学はそれぞれ別の大学に進学した。
後藤 フォークソングのクラブなんてなかったので、食堂というかカフェテラスにギターを持って行って、PPMできる子おらへんかな、と。それで同好会作って。PPMのコピーバンドを一生懸命やりました。
平山 私は音楽の勉強をしたいなと思って、クラシックの声楽を勉強しに大学に通ったんです。そこで再会というか、彼(後藤)から便せん13枚の手紙を頂きました。「大学入って一般教養の授業を受けても高校時代と変わらないし、マラソンで、ずっと運動場を走ってたらもうしんどくてしんどくて頭真っ白になりまして、その時に君の顔が浮かびました」って12枚目まで書いてあって。13枚目には「つきましては、僕はフォークソングのコピーバンドをしてますので、コンサートしますから聞きに来てください」ということで。招待券も同封されていました。大学2年の時です。
■暮らしと音楽一緒
コンサートを見に行った平山はカルチャーショックを受けたという。
平山 PPMのコピーバンドだったから、そのナンバーばっかりやってたんですけど、すごくすてきなんですね。英語で歌ってても、気持ちが入って来るということで、私も歌いたいなという気持ちが芽生えた。そうしたら、彼から一緒に歌おうって来たんです。
後藤 それで2人で歌い始めて、日本の伝承歌を歌うグループを作った。元々、PPMとかはフォークだから日本だったら伝承歌なものを掘り起こしていくみたいな。日本に伝わっている歌を新しくよみがえらせたいなという願いはありました。
2人の音楽活動は、やがて人数が増えて5人組の「赤い鳥」に。赤い鳥は71年に「竹田の子守唄」「翼をください」をヒットさせたが、74年8月に解散。メンバーは紙ふうせんとハイ・ファイ・セットに分かれた。
後藤 音楽性の違いというか、生き方の違いやろうね。どんな音楽やろうが、それはいいんですけど、やっぱり生き方だと思います。僕は暮らしも音楽も一緒であってほしかった。ものの考え方も音楽的でありたかった。音楽がビジネスになってもいいんだけど、自分でストックにできないぐらい忙しいのはダメ。だから細く長くがいい。
■2回目プロポーズ
赤い鳥が解散する直前、74年5月に2人は結婚。そしてフォークデュオ、紙ふうせんが誕生した。結婚生活も金婚式を迎えた。
後藤 1回目のプロポーズは蹴られたけど、2回目のプロポーズの時に「これからの人生、2人全て五分五分できへんかい」って。経済的なことから、精神的なことから全て五分五分でお互いが分かち合いましょうと。それで、OKの返事をくれた。その当時はまだ、結婚したら夫に従うみたいな時代。だからうちのおやじにその報告行った時に「そうか、泰代さん、家庭に入ってくれるのか」と。
平山 今は音楽をやってても、普通に働いてても、仕事を続けるのが普通みたいな時代になってるけどね。私は姉と2人姉妹なんですけど、母がいつも「やっぱり、これからの女性は何か自分に合った仕事を見つけないといけませんよ」と言われて。そのために2人は大学に進みなさいって言われてたので、姉は小学校の教師に。私は歌の世界に入ったんですけれども、母親のそういう教育方針が影響してたと思います。
■歌うことが健康法
後藤 結婚というのは、男と女。でも50年とかになってくると、やっぱり最愛の友達やってるなという気はします。
平山 ストレッチ体操を朝晩やって、インターバル速歩をやっていますが、歌うことが一番。歌うことが健康法になってます。
◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は1947年(昭22)3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生で、69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月の「冬が来る前に」がミリオンヒットを記録。
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