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結成&結婚50周年「紙ふうせん」 「結婚というのは男と女、最愛の友達をやってるな」/連載6

日刊スポーツ / 2024年10月20日 5時0分

笑顔で写真に納まる夫婦デュオ「紙ふうせん」の後藤悦治郎(左)と平山泰代(撮影・江口和貴)

「冬が来る前に」などで知られる美しい歌声の夫婦フォークデュオ、紙ふうせんが11月8日に東京・南青山マンダラで、デビュー50周年記念ライブ「紙ふうせん in MANDALA~懐かしい未来~」を開催する。結婚50周年、金婚式を迎えた後藤悦治郎(78)と平山泰代(77)に、その軌跡を聞いた。【小谷野俊哉】

◇◇  ◇◇  

1974年(昭49)5月に結婚してから50年。金婚式を迎えた。

後藤「結婚というのは、男と女。古いかもしれないけど、50周年とかになって来ると、やっぱり最愛の友達をやってるなという気はします。僕はね、おやじが76歳で亡くなっているんです。その年を超えた時に“おやじを超えた”という実感があって。それからですね。『これから僕は、恥ずかしいことをしていこう』と。自分の自然体で出たことが、ひょっとしたら周りから見たら恥ずかしい行動かもしれないけど、それをもうやっていこうと決めましたね」

年を取っての自然体。

後藤「例えばね、昔、役者の左卜全さんておったでしょ。<歌詞>ドゥビドゥバー、パパパヤーって『老人と子供のポルカ』(1970年)を歌ってた。あの人と楽屋で一緒になったことがあるんですよ。それで、全然セリフを覚えないんですよ。奥さんが横でね、セリフ読みをしてるわけで、それで出てきた時に<歌詞>ドゥビドゥバーって言ったんですよ。それ、現場に一緒におったんですよ。それを、77歳くらいになって思い出しましたね。そうだ、これからそれでいいんだ、と。もう、おやじの年を超えてるからね。これから自分がそうなったら、周りから恥ずかしがられるし、怒られるかもしれないって。でも、控えるんじゃなしに、ごく自然体で、そういうふうな人間になろうと思いましたね」

歌い続けて50年。

後藤「健康法は特にないですね。スポーツは、山歩きが好きやったんです。でもまあ、タバコを吸うようになってからダメですね。タバコはもうずっと吸い続けてます」

平山は「私はストレッチ体操。ストレッチを必ず朝と晩にしています。それからインターバル速歩。初めは速足で歩くんです。その次はゆっくり歩く。また次は速足で歩く。また、ゆっくり。それを3回繰り返すんです。時間は20分ぐらいです。だからそんなに長くかからないです。でも、やっぱり歌うのが一番いいと思います。一番いい呼吸法ですからね」

10月15日に後藤悦治郎、平山泰代の共著で俳句本「紙ふうせん 歌を紡いで50年」(書肆侃侃房)を出版した。

平山「2000年(平12)年から、後藤の方が俳句を始めてまして、私も少し、10句ぐらい載せていただくんですけれども」

後藤「まぁ、長年つくりためてきたものをね。200句くらいかな。あとは2人の写真とエッセーみたいなものを載せています」

(終わり)

◆紙(かみ)ふうせん 後藤悦治郎(ごとう・えつじろう)は1946年(昭21)4月29日、兵庫県尼崎市生まれ。京都外大卒。平山泰代(ひらやま・やすよ)は47年3月28日、広島市生まれ。武庫川女大卒。兵庫県立尼崎北高の同級生。69年に5人組フォークグループ、赤い鳥を結成。71年に「竹田の子守唄」「翼をください」がヒット。74年5月に結婚。同年9月の解散後、2人で「紙ふうせん」結成。77年11月リリースの「冬が来る前に」がミリオンヒット。

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