ピーコさん死去、79歳多臓器不全 双子の弟おすぎとおねえタレントの草分け的存在として活躍
日刊スポーツ / 2024年10月20日 20時48分
タレント、ファッション評論などで活躍したピーコさん(本名・杉浦克昭=すぎうら・かつあき)が9月3日、敗血症による多臓器不全のために、神奈川県内の病院で亡くなったことが20日、分かった。79歳だった。
1989年(平元)、悪性黒色腫の診断を受けて左眼を摘出、義眼を挿入。以来、黄色いレンズのメガネをトレードマークにしていた。
一卵性双生児の弟である映画評論家のおすぎと「おすぎとピーコ」としてそろって同性愛者であることを公表し、75年からタレント活動を始めた。
神奈川生まれのピーコさんは高校卒業後、横浜トヨペットに入社。翌年にはサンヨーレインコートに転職する。この時、倉庫での作業時におしゃべりが多かったために「ピーコ」と呼ばれ、後の芸名とする。
ファッション関係の仕事を志すようになり、おすぎが阿佐ケ谷美術学校を卒業後、広告代理店に就職したのを機に、24歳の時にサンヨーを退職。文化服装学院デザイン科に入学した。
芸能界との関係は26歳の時にドラマ衣装の制作を頼まれたことで、テレビやラジオで「おすぎとピーコ」として活動を始めたのは30歳になってから。人気コーナーとなった「辛口ピーコのファッションチェック」は80年代に情報番組で随時放送されるようになり、TBS「3時にあいましょう」でレギュラーとなった後は、フジテレビ「スーパーワイド」など、局をまたいで継続される異例の「枠」となった。
遅刻嫌いで知られ、仕事先への移動は車を避けて地下鉄などの交通機関を利用することでも知られた。ドレスを作ったことから女優の吉行和子と親交があり、吉行はがん治療で入院したピーコを毎日見舞った。
「SMAP×SMAP」で中居正広がパロディーキャラクター「ヒーコ」を演じたことが、90年以降の再ブレークのきっかけとなった。多数の芸人にものまねされているが、本人は小堺一機のものだけを認めていた。
◆ピーコ 本名・杉浦克昭(すぎうら・かつあき)。1945年(昭20)1月18日、神奈川生まれ。横浜市立桜丘高校卒業後、横浜トヨペット、サンヨーレインコートを経て文化服装学院研究専門部卒。75年から映画評論家で一卵性双生児の弟孝昭(たかあき)ととも「おすぎとピーコ」として活動。左眼摘出後は黄色いレンズのメガネをトレードマークにしていた。
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