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養子の西田敏行さん、実母の苦悩と姉夫婦の悲しみが産んだ決断「受け入れようとしていた自分が」

日刊スポーツ / 2024年10月21日 7時0分

10月8日、映画「劇場版ドクターX FINAL」完成報告会見でXポーズをとる西田敏行さん

NHKは20日、虚血性心疾患で17日に76歳で亡くなった俳優西田敏行さんをしのんで「【西田敏行さんをしのんで】ファミリーヒストリー選」(日曜午後11時45分)を再放送した。初回放送は17年10月4日で、放送当時は69歳。西田さんの人生を振り返った。

西田さんの歴史は三家にまたがる。実父は今井家、養父は西田家、妹の実母と西田家に嫁いだ姉の養母は三瓶家。実母と養母の実家は福島県郡山にあり、現在西田さんとの交流はないという。代々、三瓶家は農業に従事している。

妹の実母紀惠は31歳上の今井泉と結婚。1947年(昭22)11月4日に西田敏行さんが生まれた。姉の養母美代にも夫の西田辰治との間に長女が生まれるが、1949年(昭22)に生後7カ月で病死。その後、実父の今井泉が肝臓病により、1951年(昭26)に57歳で死去。西田さんは3歳だった。

葬式当日のモノクロ写真が番組で公開された。三輪車にまたがる西田さんは現実をうまく飲み込めず、笑顔で写っていた。西田さんにとっていとこにあたる女性は「お葬式で人がいっぱい集まるので、それがうれしくて『お父ちゃん、死んでありがとう』って言ったっていうエピソードが残って。悲しみを全然捉えてない、本人が実感として」と当時を回想した。

実母紀惠は今井家を頼ることもできず東京へ、父を頼った。美容学校へ通い、美容室をやりながらも母子家庭として西田さんを育てていく。美容室の電気工事を請け負った男性と恋仲に陥ってしまう。その男性には前妻との間に西田さんと同い年の1人息子がいたという。実母紀惠は結婚を意識すると同時に、男性側に跡取りがいる中で再婚できるのだろうかと悩む。

その悩みを相談したのが、郡山に残っていた養母美代。長女を失った傷が癒えず、新たに子どもにも恵まれなかったという。それぞれに事情を抱えた姉妹。姉の美代はこう言ったという。「あなたさえよければ、敏行は私が育てる」と。

そして画面が切り替わり、西田さんが養子に出される数日前に東京・蒲田で撮影された一葉の写真が公開された。

当時5歳の西田さんは当時の記憶をたぐり寄せ、ゆっくり語り始めた。

「受け入れようとしていた自分がいたように思います。これは子ども心に、これは聞いちゃいけないのかもしれないっていう、なんか自分の中でもこう、1つのブレーキを持ってたような気がしますね。ブレーキをかけていたような。何となく直感ですよ、子どもの直感なんだけど、これを聞くことによって、大人たちがちょっと困ることになるんじゃやないか。返事に窮することになるんじゃないだろうか、みたいなことを察していたような」。

そして西田さんは、1953年(昭28)に西田家の養子へ入った。その後、実母紀惠は無事に男性と再婚した。

スタジオに切り替わった西田さんは「この辺りになると、自分の記憶もあるし、聞いた話もいっぱいあって。わりと自分の中では整理がついてるんですけど」と語り始めた。養子については「大好きなおばちゃんだし、まぁその当時はね、おばちゃんちにしばらくずっといるんだって、みたいな感じだったと思います。いつか紀惠さんは迎えに来てくれるんだろうって思いながら、なぜ迎えに来ないんだろうっていうことには触れちゃいけないものだっていうふうに思ってましたね」と語った。

養母については「ずいぶんと、本当のお母さんでもないのに、なんでそんなに怒るの? みたいな気持ちになって。だって、俺を産んでないじゃん、みたいな気持ちがどっかにあってね。何か言われると、あらがっていたような意識があったような気がしますね」と振り返った。

そんな西田さんに対し、養父母は最大の愛情を注いでいく。俳優になるために努力する西田さんを応援し続けた。VTRを見終えた西田さんは「もう本当に、養父母には言葉がありませんね。ありがたかったな…」と言うと、左目から一筋の涙がこぼれた。そして「いっぱい、いっぱい、愛してくれました」と言葉をつむいだ。

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