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NHK高瀬耕造アナ、阪神・淡路大震災への自責の念をバネに「ちゃんと向き合えということ」

日刊スポーツ / 2024年12月19日 22時27分

阪神・淡路大震災30年特番への思いを語った高瀬耕造(撮影・阪口孝志)

NHKの高瀬耕造アナウンサー(48)が19日、NHK大阪放送局で行われた局長定例会見に出席し、関西民放NHK連携プロジェクト「守りたい、だから伝える」への思いを語った。

来年1月17日に阪神・淡路大震災から30年を迎える。関西民放6局とNHKの7局は連携プロジェクトを発足。震災現場で取材にあたった記者の証言をもとにクロスロード問題をつくり、災害現場で取材者として、人として、どう行動するかを考えるワークショップ型の研修を実施したり、関西7局のアナウンサーが集まって、1人でも多くの命を守り震災の経験を未来につなげるために何ができるのかを考える。

これらの模様は「守りたい、だから伝える 災害報道の継承とこれから~関西民放NHK連携プロジェクト~」(25年1月17日午後8時15分)、「明日をまもるナビ」(同19日午前10時5分)で放送される。

高瀬アナは大学を辞め、兵庫・加古川の自宅に戻っていた時に被災した。「三ノ宮駅の北側でビルが倒壊した映像がありますが、その近くにあった予備校にも通っておりましたので、『半日前だったら』『時間が時間だったら』と思うこともありました」

その後、早大に合格し、同年3月には上京したが、「朝ドラ『おむすび』で(北村有起哉演じる)お父さんの聖人が『神戸を置いて逃げた』っていう自責の念にとらわれていましたが、私も阪神・淡路を置いて上京したという後ろめたさみたいなものがありました」。

NHKアナウンサーとして、さまざまな災害取材にも関わったが、阪神・淡路大震災には「真正面から取材したり、向き合ったということをやってこなかった。どこかに引っかかっていたんですけど、それができないままここまで来たという負い目もあった」。ずっと心の中で引っかかっていた。

転機が訪れたのは23年4月。武田真一アナウンサーの後を受ける形で大阪に赴任。28年ぶりに関西に戻ってきた。

「このタイミングで戻ってきたということは、いよいよ、ちゃんと向き合えということなんだろうと思いました。この30年しっかり自分なりに向き合いたい」

それだけに、連携プロジェクトにも「やる気は相当なものがある」。プロジェクトに関わる中で、30年間苦しみを抱えてきた人たちを取材しているうちに、「自分のちっぽけな上京したから(という思い)とか、向き合ったからとか、個人の考えや意識はいい意味で吹き飛びました。きっかけは個人的な思いでしたけど、それが結実する形で解消されるなら良い機会」と精力的に取り組んでいる。

震災を語り継ぐ上で「30年限界説」が指摘されている。

高瀬アナは「10、20、30年というのはメディアは好んで使う部分はあるが、被災された方は1年も2年も変わらないし、さまざまな受け止めがあると思う」と被災者の気持ちを思いやった上で、「ただ、大変な目に遭われた方がどうなっているか、街がどうなっているかを伝えることは、その後に起きたさまざまな災害の先を考えることにもつながると思う。これからを考えてもらう契機として、前向きに取り組めたら」と伝え続ける意味を強調した。

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