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24時間TV坂本雄次マラソントレーナー「天国ゆきのラブレター」出版 徳光和夫、森三中大島とトーク

日刊スポーツ / 2025年1月29日 18時26分

坂本雄次さん(中)の著書「天国ゆきのラブレター」出版記念トークショーに出席した徳光和夫(左)と大島美幸

日本テレビ系「24時間テレビ」のマラソントレーナーとして知られる坂本雄次さん(77)の著書「天国ゆきのラブレター」(主婦の友社)の発売記念トークショーが29日、都内でフリーアナウンサー徳光和夫(83)、森三中・大島美幸(45)をゲストに迎えて行われた。

坂本さんは昨年3月、夫人の節子さんを81歳で亡くした。坂本さんが15歳、中学3年の時に修学旅行で行った京都で乗ったバスのガイドが20歳の節子さんだった。2人は生涯で339通の手紙を取り交わした。その手紙をもとにして、2人の愛の軌跡をなぞっている。

坂本さんは「昨年1月に自宅で家内が転倒して肩の骨を折って緊急入院しました。入院中に余病を併発して3月18日に亡くなりました。私が15歳の時から一緒。子供もいなくて、係累(けいるい)も少ないから二人っきりだったのでロスになりました。結婚する前に、どんな気持ちでいたのかなと。8年前にテレビで私たち夫婦を取り上げていただいた時、結婚前にかわした手紙があった。それを読み返しました。それで、自分たちの人生を振り返って文章にしておきたいなと。出会いから別れまでのことを本としてまとめてみようと思いました」と話した。

徳光は2011年(平23)に70歳で「24時間テレビ」のチャリティーマラソンランターを務めて、坂本さんの指導を受けた。「読ませていただいて、節子夫人がこんなにも美人だったと知りました。女優さんのポートレートのように美しい方で、15歳の少年が一目ぼれ。雄次くん、雄ちゃん、そして雄次さまになった。それくらい、いい夫婦だった。そして393通というラブレターを残していた。私は、かみさんとのやりとりは夫婦そろって断捨離いたしました。節子さんも幸せだったけど、節子さんにほれた坂本先生もいい人生。長生きしてほしいと思います」と話した。

そして、自身のチャリティーマラソンランナーを振り返って「70歳の時に無謀な挑戦をしました。嫌々だったんですけどね。坂本先生の指導の下だったんですけど、サポートしてくれたのが節子夫人。私の大好きな甘い物を持って来てくれた。本当に印象に残るご夫婦でした」と振り返った。

13年にチャリティーマラソンランナーを務めた大島は「坂本先生から『バスガイドだったんだよ、うちの奥さんは』と聞いていました。でも、ドラマのような、こんなことだったんだ」と話した。

15歳の時に修学旅行先の京都で出会った節子さんとの339通におよぶ文通。坂本さんは「339通目は、節ちゃんが亡くなって出棺する時に書いて入れました。初めて会った時は20歳。私は神奈川・藤沢の中学に通っていて。京都の駅前でバスに乗った時に節ちゃんが担当のバスガイドでした。奇麗な人だな、一目ぼれという言葉があるけど、そうなんだと思います。そのインパクトが非常に強かった。その時は15歳の少年、少女がバスに乗っていたので、文通が始まって、初めて気持ちの交換が始まりました」。

徳光は「とても15歳の少年とは思えない。人間、15歳で女性にほれると、こんないい文章が書けるのかと思う。節子さんも最初は年下の男の子を諭すような感じだったのが、坂本先生が18歳になると文学的になってくる」。大島は「坂本先生が大人っぽくなってくるんですよね」と話した。

坂本さんは「(文藝評論家)亀井勝一郎の『愛の無常について』を読んでいました。人間の持つ愛の本質について書いてありました。今、読んでも難しい。自分で自学、自習するしかなく、それがバイブルでした。節ちゃんにも、持ってもらって真剣に考えていました。ちょっと変ですよね」と笑った。

夫の元放送作家・鈴木おさむ氏(52)と02年に「交際0日婚」をした大島は「ちゃんと6年間文通していた。私も、してみたいですね。私は電話番号も結婚前日に知ったから。でも、円満にやってます。まだまだ大丈夫、楽しくやってます」と笑顔を見せた。

坂本さんは「年端のいかないガキでした。結婚した時は21歳と26歳で、向こうは大人でした。結婚は亡くなるまで、正味56年間。掌(たなごころ)の上で転がされました。お姉さんであり、女房になったけど、トータルで見ると母親のような感じでした。女房ではあったけど、人生の先生みたいなもの」と振り返った。

大島は「坂本先生に『痛みは向き合うんだ』と言われました。それまで逃してきたけど、そこから人生変わった。ありがとうございます」。徳光は「改めて感がえさせられるものが行間にありました。サポートしていただいて、その後も実にいいお付き合いをしてくれる。つかず離れずです」。

「24時間テレビ」のマラソンランナーについて、坂本さんは「私が預かる。その人が長い時間、身体を動かせるだけの基礎体力があるか、どこかにひずみが出ないかを見ます。その方が24時間身体を動かすことに適った人かを見ます。歩きから始めて、ジョギングに移行して、本番の後に障がいが残らないようにします」。

大島は「私は88キロ走りました。体重が88キロだったので88キロ。体重を71キロに落として走りました」。坂本さんが「徳光さんは心筋梗塞をやった後だったからね」と振り返ると、徳光は「まさか医者がOK出すと思わなかった。500メートル先のマージャン荘に行くのにタクシーを使っていましたからね」と笑った。

大島が「この本を読んだら結構、平和になる」と言うと、徳光は「プーチンに送ってくださいよ」。坂本さんは「家内が亡くなった後、心の空白を埋めることをしようと思いました。元々は自費出版するつもりで書きました。よかったら、読んでみて下さい」と話した。

◆坂本雄次(さかもと・ゆうじ)1947年(昭22)10月26日、神奈川県茅ケ崎市生まれ。東京電力に入社し、78年から職場の駅伝チームの監督を15年務める。90年(平2)に間寛平(75)と出会ってウルトラマラソンに注目。日本テレビ「24時間テレビ」のチャリティーマラソンに、92年から関わる。93年に(株)ランナーズウェルネスを設立。

◆徳光和夫(とくみつ・かずお)1941年(昭16)3月10日、東京都生まれ。63年、日本テレビにアナウンサーとして入社。プロレス中継、バラエティー、「ズームイン!!朝」などを担当。89年(平元)にフリー。

◆大島美幸(おおしま・みゆき)1980年(昭55)1月13日、栃木県大田原市出身。98年(平10)にお笑いトリオ、森三中のメンバーとしてデビュー。02年、当時放送作家だった鈴木おさむ氏(52)と「0日婚」。15年長男出産。

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