THE ALFEE・高見沢俊彦~デビュー曲では白いスーツにハンドマイクで歌っていました
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年7月27日 8時10分
![THE ALFEE・高見沢俊彦~デビュー曲では白いスーツにハンドマイクで歌っていました](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/nipponhoso/nipponhoso_236040_0-small.jpg)
黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)にTHE ALFEEの高見沢俊彦が出演。デビューから売れるまでの経緯について語った。
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高見沢俊彦
黒木)さまざまなジャンルのプロフェッショナルにお話を伺う「あさナビ」、今週のゲストはTHE ALFEEの高見沢俊彦さんです。高見沢さんがリーダーを務めるTHE ALFEEは、結成されてどのくらいですか?
高見沢)昨年(2019年)がデビュー45周年でした。
黒木)45周年。大学生のころ。
高見沢)桜井とは高校、大学と一緒でした。坂崎は高校が都立だったので、大学から入ったのですけれども、ほとんど友達付き合いで始めたようなバンドで、こんなに長くやろうなんて思っていませんでした。
黒木)3人それぞれが音楽をやっていらしたから結成して、それで……。
高見沢)そうですね。僕はロックをやっていたのですが、彼らが2人でアコースティックなフォークをやっていて、そこに僕が加入したという感じですね。それが大学1年のときです。
黒木)THE ALFEEの曲は、ほとんど高見沢さんが楽曲提供なさっているのですよね。
高見沢)そうですね。当時はオリジナル曲はありませんでした。外国のバンドのコピーばかりやっていましたから。サイモンとガーファンクルや、イーグルスなどの曲が多かったですね。ハーモニーのものをやっていて、デビューしたときも自分たちでつくった曲ではありませんでした。
黒木)そうなのですか。最初からオリジナルだと思っていました。
高見沢)違います。それでさまざまなことがあって、「これは曲をつくらなくてはダメだな」と気が付きまして、「じゃあ俺がつくるわ」ということで。
黒木)それでヒット曲をバンバンと出した。
高見沢)いやいや、9年かかりましたよ、「メリーアン」という曲まで。その間にムッシュかまやつさんのバックだったり、研ナオコさんのバックをやったり。人のバックバンドとして、いろいろとやっていました。
黒木)では、デビューしてから創作活動を始めたのですね。
高見沢)そうです。デビューして1年くらい経ってからですかね。曲をつくらなくてはダメだなと。僕はギタリストとしてこのグループに入ったのですよ。ところがデビューしたときに、「ギターは弾かなくていいから、リードボーカルになりなさい」と言われて、ハンドマイクで歌えと言われたのですよ。ハンドマイクですよ。やったことのないハンドマイクで、しかもメインですよね。僕たちには、桜井というボーカリストがいたのですけれど、僕に歌って欲しいと言われて、これがまず第1の失敗ですね。やっぱりオリジナルがないという悲哀でしょうか。自分たちの主張がないということが、いちばんバンドによくないなということに、ハタと気が付いたのです。そこから真剣に曲をつくり出しました。
黒木)最初の躓きのようなものがあったのですね。日本でいちばん長く愛されているバンドではないですか。
高見沢)そうですかね。長さだけは誇れますけれどね。
黒木)そのギャップは何なのでしょうか。
高見沢)3人とも性格的に、次男坊ということもあって。
黒木)3人とも、皆。
高見沢)3人とも。「俺が、俺が」というタイプが誰もいないのですよ。そういう意味では、周りの方々も「THE ALFEEはバックバンドとして使いやすい」ということだったのだと思います。個性があまりないですから。ギターもそこそこ弾けるし、そこそこコーラスもできるし、文句も言わないので、重宝に使われていましたね。
黒木)でも80年代には、とても個性的に映りましたけれども。
高見沢)そうですか。ユニフォームをつくらなかったですからね、僕たちは。デビューのときにユニフォームをつくってもらったのですが、大失敗しました。白いスーツでね。
黒木)曲と合わなかったのですか?
高見沢)曲とは合っていたのですけれど、着こなせない。普通の大学生のお兄ちゃんですから、スーツなんて着たことがないのです。着せられている感があって、そこからは好きなものを着ようということになりました。「メリーアン」のときは、ほとんど私服でテレビに出ていましたからね。
黒木)だからでしょうか、とても個性的に見えていました。ロッカーなのかなと思えるような。大人の方という感じがしました。
高見沢)ロッカーではないですね。もう28歳くらいですからね、当時。
黒木)でも、こんなに長く続くということは、ご本人たちは思っていらっしゃらないのですけれども。2019年が45周年ということもあって、あと数年で。
高見沢)50周年を目指そうと思っているのですよね。
黒木)予定はありますか?
高見沢)とりあえず50年は頑張ってみようかなと思っています。丁度そのときに古希ですから、僕が。
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THE ALFEE
高見沢俊彦(たかみざわ・としひこ)/ミュージシャン
■1973年、明治学院大学キャンパスにて結成されたTHE ALFEEのリーダー。楽曲のほとんどを手掛ける。(高見沢俊彦/桜井賢/坂崎幸之助)
■1983年、シングル『メリーアン』がヒットして以降、現在に至るまで日本の音楽シーンを代表するバンドとして活躍。
■コンサート通算本数は日本のバンドとして最多の2700本を超え、現在も更新中。
■ソロ活動や楽曲提供、ラジオ番組などでも幅広く活動。
■2018年には『音叉(おんさ)』で作家デビューを果たす。
■2020年4月、小説第2弾として『秘める恋、守る愛』を出版。
<*2018年12月から「オール讀物」(文藝春秋刊)で連載>
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