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泣き歌の貴公子・林部智史 歌手を目指したきっかけは、旅の途中で言われたある言葉

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年7月28日 21時50分

泣き歌の貴公子・林部智史 歌手を目指したきっかけは、旅の途中で言われたある言葉

“泣き歌の貴公子”こと歌手の林部智史が、7月27日(月)放送のニッポン放送「垣花正あなたとハッピー!」内のコーナー「ゲストとハッピー!」に生出演。自身が歌手になったきっかけについて語った。

山形県出身の林部は、高校卒業後に看護学校へ進学するも中退。21歳の頃に、沖縄・伊江島や北海道・礼文島などで、住み込みのアルバイトをしながら放浪の旅を続けていたという。そんな生活を続けるなか、北海道の礼文島で言われたある一言がきっかけで、歌手を目指すことになったそうだ。

垣花正:21歳の頃に地元・山形を出て、放浪の旅を始めたのはなぜですか?

林部智史:山形の看護学校を途中で退学して。面白いもので、退学したら皆から「退学したやつだ」っていう目で見られているような気がしちゃって。とにかく山形を出たかったんですよね。それで住み込みで働ける場所を探していたんです。

垣花:そこでの生活はどうでしたか?

林部:「こういう働き方があるんだ」って思いましたね。リゾートバイトって言うんですけど、そういうところで住み込みで働いている人たちって、夢を追いかけている人や、夢を諦めて挫折した人もいて。お互いの傷を癒し合うように、夜な夜な歌ったりしていましたね。

垣花:優しいコミュニティのなかで生活していたんですね。

林部:そんななかで、当時のバイト仲間に「その声で歌手にならないのはおかしい」って言われたんです。僕のなかで「歌が好き」っていう気持ちが見え隠れしている時期だったので、この言葉を言われて「なんで今まで、歌手を目指さなかったんだろう」って自分の気持ちに気付いたんです。

垣花:そのリゾートバイトをしているときは、他のバイト仲間の方がギターを弾いて、林部さんが歌う……という感じだったんですか?

林部:そうですね。まさに、そのギターを弾いていた人が言ってくれて。

垣花:なんだか毎日、林間学校みたいで素敵ですね。

林部:それこそ、海に向かって歌っていて。礼文島っていう解放的になれる場所だったというのもあって、そんな(毎晩歌う)生活をしていました。

垣花:ちなみにその時は、どんな歌を歌っていたんですか?

林部:尾崎豊さんの「OH MY LITTLE GIRL」です。

垣花:今、新型コロナウイルスの影響で、たくさんのコンサートが中止になっていると思うんですが、そういう話を聞くと、林部さんの歌を早く聴きたくなりますね。

林部:やっぱり、みなさんも安心したいでしょうし、必ずやれる時は来ると思ってるので「待っててください」っていう気持ちです。

21歳で挫折を経験し、傷ついた心を癒してくれた「北海道・礼文島」での生活。それを経て歌手デビューし、現在は聴く人の心を打つ“泣き歌の貴公子”として活躍している林部。番組の後半ではリスナーから「私も海に向かって歌ってましたけど、誰も歌手になれって言わなかったです。」と、自虐ネタのメールが届くと林部は「もう少し歌ってたら言われてたかも」とアドバイスを送り、スタジオの笑いを誘った。

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