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新型コロナ分科会メンバー・岡部信彦が忘れられない「はしかの少女」

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年8月31日 11時20分

新型コロナ分科会メンバー・岡部信彦が忘れられない「はしかの少女」

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」(8月30日放送)に、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会メンバーであり、川崎市健康安全研究所・所長の岡部信彦が出演。小児科医時代の忘れられないエピソードを語った。

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」

淵澤由樹(アシスタント):岡部さんは、最初は小児科のお医者さんだったのですよね。

岡部:小児科医として患者さんを診ていた期間が非常に長く、そのうちに、だんだん感染症の専門になりました。

淵澤:岡部さんのご実家は、3代続く小児科医だそうですね。

岡部:祖父が東京で戦前、小児科医として開業していたそうです。父親も小児科医で、「3代で潰す」などと言われていましたが、結果的には小児科医になってよかったです。

淵澤:小児科医を選ばれた理由は何ですか?

岡部:子供が好きで、子供が遊んでいるのを見るのも好きでした。当時、内科は消化器内科、心臓内科、循環器内科と分かれていました。小児科にも専門はありますが、トータルで診るのです。子供の全体を診る面白さが、小児科医の特徴でしたね。

淵澤:研修医時代に、忘れられない「はしかの少女」とのエピソードがあるとか?

岡部:私にとって先生みたいな患者さんでした。研修医時代に「ピアノが弾けなくなった」という言葉だけで来たのです。つまり、鍵盤がうまく叩けない。そのうちに、ガクッと膝を折るようになって、意識を失いました。当時はあまり知られていなかったのですが、数年前に「はしか」にかかったあと、消えたと思っていたウイルスが頭のなかに残って悪さをするというものでした。「はしか」の患者さんで、10万人に1人ぐらいの確率で起こる合併症、後遺症でした。そのとき、「はしか」を何とかしなければいけないと思いました。ちょうど予防接種が普及し始めたころで、僕のなかで「予防接種」が重要なテーマになったきっかけの出来事です。はしか対策をやりたいと思ったのは、その子のおかげです。

淵澤:この番組では、子供のころに出会った1冊の本についてお伺いしています。

岡部:私は割と本好きの子供でした。今回は本ではなく、「言葉」をご紹介します。私が小学校を卒業するときに、担任が「君たちに2つの言葉を教えるから、忘れるなよ」と言ったのです。1つは、「我事に於いて後悔せず」。これは宮本武蔵が言った言葉だそうです。やると決めたらきちんとやれ、後悔しないよう十分に考えて、という意味です。
もう1つは、「涙なくして夕べのパンを焼く人よ、御身は語るに足らず」。これはゲーテの言葉だそうです。1日のなかには、多くのやり損ねたことやよくないことがあるので、涙を流すように反省しながら、しかしそれを翌日に生かすのだという意味です。

何でもしっかりやれという言葉と、反省しろという言葉、その両方を先生は教えてくれました。この言葉は、いまでも思い出しますね。

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