辛坊治郎~読売テレビに就職することになった「不思議な運命」
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年10月27日 8時10分
![辛坊治郎~読売テレビに就職することになった「不思議な運命」](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/nipponhoso/nipponhoso_251535_0-small.jpg)
黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)にニュースキャスターの辛坊治郎が出演。アナウンサーになった経緯について語った。
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辛坊治郎
黒木)今週のゲストはニュースキャスターの辛坊治郎さんです。仕事のキャリアのスタートは読売テレビのアナウンサーということなのですが。
辛坊)アナウンサーになるつもりは毛頭なかったのです。私の親が公務員でした。それほど貧乏ではありませんが、それほどに豊かでもないところで育ち、「大学までは出してやるから、大学を卒業したら自分で生きて行けよ」というのが人生のプレッシャーとしてあったわけです。「就職試験は絶対に失敗してはいけない」という思いで高校、大学に行きました。就職ということを考えると、堅いのは公務員試験を受けることなのです。公務員の試験は、一定の点数以上を取れば、就職に失敗することはなく、自動的に入れてもらえますから。とりあえず公務員試験だろうということで、ハードルの低い地方公務員の大卒試験があるのですが、埼玉県の試験を受けて受かりました。受かったので、気分的にだいぶ楽になりました。大学のときにバックパッカーで、世界中をリュックサック1つ背負って旅行するのが基本的に趣味だったものですから。
黒木)バックパッカー。
辛坊)まだ、1970年代だと、そうそう誰もが海外に行っている時代ではありませんでした。自由に海外に行ける仕事はないかと考えたときに、商社マンというのが1つあったわけです。バックアップで公務員試験は受かっているから、次に本命で商社の試験を受けて、ここは内々定みたいな形をいただいたので、商社マンになろうと思っていたのです。大学4年の12月、3ヵ月で卒業するというときに、大学の就職部の掲示板を見ていたら、フジテレビというところが「リポーター司会者募集」というのをやっていたのです。当時のフジテレビは、私の大学の近所で、歩いて行ける範囲だったため、暇だったので歩いて行って、1週間連続で呼び出されました。ふと気がついたら役員面接まで行って、あと3人というところまで来たのです。「何ですか、リポーター司会者って」「うちはアナウンス試験というやつをリポーター司会者という名前にしているんだよ」「ああ、そうですか」というような感じでした。当時、我々のなかで放送局の試験というのは、コネがないと入れないというのが常識でした。コネなしでそこまで行ったということ自体が、ありえない話だったのです。コネなしでラスト3人まで行ったのですが、ちゃんと最後に落ちたのです。
黒木)落ちたのですか。
辛坊)落ちたのです。それで家にいたら、突然、大阪の読売テレビというところから電話がかかって来ました。2次募集で、各社の落ちたやつを全部集めて、もう1回試験がしたいと。聞いた話では、どうやら、最初に試験をして採用を決めたやつに逃げられたらしいのです。人事担当者としては、来年の春にアナウンサーが1人も入らないのはまずいと。だから、2次募集をかけると言って、各局のアナウンサー試験に落ちた人間と、アナウンサー学校でまだ就職が決まっていない人たちを集めて、大阪で試験をやったのですが、そのとき集まったのが8人。そのなかから2人受かったので、競争率4倍。たぶん、私は日本のアナウンサー採用史上もっとも低い競争率で読売テレビに入っています。
黒木)4倍。
辛坊)人事の担当者に「すみません、交通費は出ますか」と聞いたら「出します」、「飛行機で行ってもいいんですか」「けっこうです。飛行機代を請求してください」ということでしたので、「ありがとうございます」と言って、ただで大阪見物だからいいかと。私の辛坊という家のルーツは大阪でしたから、関西方面には親戚がたくさんいて馴染みはあるのですが、就職して関西に行く気は、実はあまりなかったのです。当時のアナウンス部長に呼びつけられて、「君さ、うちを受けたときに公務員試験と商社マンに受かっているって言ってたよね」「はい」「そっちに本当は行くつもりじゃないの。本当に読売テレビ来る気ある?」と言われて、「はい、行きます」と答えたのですが、何で行くことにしたかというと、埼玉県庁というのは、始業が朝8時でした。もう1つの商社は、始業が9時でした。読売テレビは始業が10時だったのです。
黒木)いちばん遅いところに決めたということですか(笑)。
辛坊)学生時代に「朝のラッシュは無理だ。何とか朝のラッシュを回避できる人生はないだろうか」と思っていたのですが、読売テレビは朝10時というから「これは朝のラッシュを外れているよな」ということで決めました。
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辛坊治郎
辛坊治郎(しんぼう・じろう)/ニュースキャスター
■1956年、鳥取県生まれ。
■1980年、早稲田大学法学部卒業後、読売テレビ放送に入社。
■アナウンス部に配属され、「ズームイン!!朝!」「ウェークアップ!」などを担当。
■2000年、報道局情報番組部長に就任。
■朝の情報番組「ズームイン!!SUPER」でニュース解説を担当するなど数々の番組で活躍。
■2010年に読売テレビを退社。設立した株式会社大阪綜合研究所・代表に就任。
■現在は「ウェークアップ!ぷらす」「そこまで言って委員会NP」など多数担当。ニッポン放送では「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」を担当。
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