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トキの放鳥、父の遺影とともに~「絶対に絶やしてはならない」

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年11月6日 5時20分

トキの放鳥、父の遺影とともに~「絶対に絶やしてはならない」

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

高野毅さん(一般財団法人セブン-イレブン記念財団ホームページより)

「ラジオが大好き!」という方から、こんな声をいただくことがあります。

「ラジオドラマはやらないのか?」「面白かったよなぁ、ラジオドラマ!」

テレビが普及していない1960年代まで、ラジオドラマは放送業界の重要なコンテンツでした。「このドラマが始まると銭湯の女湯が空になる」と言われた『君の名は』。小学生だった吉永小百合さんのデビュー作『赤胴鈴之助』。「ぼ、ぼ、ぼくらは少年探偵団」という主題歌でおなじみの『少年探偵団』など、伝説のラジオドラマがいくつもありました。

大空を飛ぶトキ(一般財団法人セブン-イレブン記念財団ホームページより)

1961年に放送されたラジオドラマに、安水稔和作『ニッポニア・ニッポン』という作品がありました。

「ニッポニア・ニッポン」というのは、トキの学名。久米明さんの独特なナレーションで、佐渡島の滅びゆくトキという鳥に重ねて、日本人の過去と現在、未来に思いを馳せる意欲作です。このドラマのなかには、こんなシーンが出て来ます。

童謡「ちょうちょ」を歌う子どもの声に続いて、久米明さんのナレーションで「いなくなりました」。

童謡「赤とんぼ」を歌う子どもの声に続いて、久米明さんのナレーションで「いなくなりました」。

童謡「ほたるこい」を歌う子どもの声に続いて、久米明さんのナレーションで「いなくなりました」。

流行歌「こんにちは赤ちゃん」を歌う子どもの声に続いて、久米明さんのナレーションで「いなくなりました」……「まさかねぇ」。

1961年、およそ60年前の「まさかねぇ」がいま、「少子化」という現実的な問題となって、私たちに突き付けられています。

生椿の棚田と毅さん(一般財団法人セブン-イレブン記念財団ホームページより)

明治時代までは、北海道から九州まで全国の空を飛びまわっていたトキは、食用のための乱獲、山間部の水田の消失、農薬のためのエサの減少などで極端に激減。1952年には、国の特別天然記念物に指定されています。

このトキを復活させようと、新潟県佐渡市では懸命な努力が続いています。2020年9月18日、佐渡の標高340メートルほどの山中にある生椿地区で、環境省によるトキの放鳥が行われました。

2003年、国内産最後のトキと言われる「キン」が死んでから、国内産トキの系譜は断絶。中国から提供されたトキの人工繁殖が進み、最初の放鳥が行われたのは2008年のことでした。以来、放鳥は23回目。

今回の生椿地区は、トキのねぐらが確認されていない場所だと言います。「無事に棲みついてくれよ」という願いは、特に熱いものがありました。

一般財団法人セブン-イレブン記念財団ホームページより

放たれたトキは、保護センターに飼育されていた9羽。

「あいにくの天気でしたが、9羽とも元気に飛び立ちましたよ」と嬉しそうに話してくれたのは、父親の遺志を継いで、トキのえさ場である傾斜地の棚田を守り続けている、高野毅さん・76歳。

「『きょうは一羽休んでいたぞ』とか、『飛んでいるのを見たよ』という目撃情報が寄せられているんです」と、声をはずませます。

高野さんの父親・高治さんが、10戸ほどの小さな集落だった生椿地区で27羽のトキを確認したのは、1931年(昭和6年)のこと。

「親父が子どものころは、トキがいっぱい飛んでいたようで、親父はその様子を『大空がボタンの花畑のようだったよ』と表現していましたね」

高治さんは、トキの保護活動を本格化させ、生息地域を調べ、えさのドジョウやタニシを自分の棚田にまいて、村の人とトキ愛護会を設立。保護活動をまとめた佐渡市の資料は、高治さんを「トキ保護活動のキーパーソン」と紹介しています。

※画像はイメージです

その遺志を継いだ、息子の毅さんは振り返ります。

「私も子どものころから竹の筒を持たされて、トキのえさ集めを手伝いました。オモチャもない、同じ年ごろの友だちもいない時代のことですから、えさ集めを『辛い』などと思った記憶はありません。トキに夢中な父親の背中を見て、私も自然と夢中になって、えさを集めていました」

父親の高治さんが亡くなったのは1997年、享年84歳でした。当時は、すでに住んでいる人のいなくなった生椿に連れて行くと、「元気なうちにもう一度見たかったなぁ」と、トキが群れ飛んでいた空をじっと見つめていたと言います。

今回の放鳥の日、毅さんは高治さんの遺影を抱いて出かけました。そして、ケージのなかから次々に飛び立つトキたちにその遺影を高く掲げて、心のなかで「おやじ、見たか!」と叫んだそうです。

毅さんは言います。「桃色とオレンジが溶け合った『とき色』の美しい温かみは、日本人の色。絶対に絶やしてはならないんです」

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