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株式会社「農人たち」代表 有機栽培農家・宮本暢常~IT企業から農業へ転身するきっかけとなった「東日本大震災」

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2020年12月15日 8時10分

株式会社「農人たち」代表 有機栽培農家・宮本暢常~IT企業から農業へ転身するきっかけとなった「東日本大震災」

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に株式会社「農人たち」代表、有機栽培農家の宮本暢常が出演。それまで勤めていたIT企業から農業に転身した経緯を語った。

宮本暢常

黒木)今週のゲストは株式会社「農人たち」代表、有機栽培農家の宮本暢常さんです。有機栽培にこだわって育てている宮本さんですが、最初から農業に携わっていたわけではなく、もともとはIT企業にお勤めであり、そこから転身されたということですが、その辺りを教えていただけますか?

宮本)都内のIT企業で長年仕事をしていました。ITはデジタルなので、形で触れるものは実際にはありません。もちろん、お客様とコミュニケーションをとって、いいお仕事はできますが、年齢が上がるにしたがって「手に触れられるもの、感触のあるものを仕事にしたい」という想いがくすぶって来ました。そんななかで2011年の3.11の震災で電気が止まり、物理的にIT企業がストップした時期がありました。そのときにスイッチが変わって、いままでくすぶっていた「手に取れるもの、触れるもの」を仕事にしようと思ったのです。自然の驚異を感じたこともあり、農業に転身することを決めました。

黒木)なぜ農業だったのでしょうか?

宮本)自分自身でも不思議でしたが、よくよく考えていたら、形のないものでつくられていたITという最先端の仕事から真逆のところに行きたかったようです。そこで「真逆の原点」ということを探した結果、土から野菜を育てるということが、自分のなかでしっくり来たのです。

黒木)宇都宮市というのはご実家ですよね。

宮本)もともと住んでいました。

黒木)「近所の方にいただいた野菜がおいしかった」という経験があったということですが。

宮本)そうです。実家に帰って、畑で取れたアスパラガスを食べたら、それが次元を超えておいしかったのです。ドンピシャのタイミングで食べて、「ひらめいた」としか言いようがありません。

黒木)そのとき、リスクは考えなかったのですか?

宮本)不思議なことに一切、リスクを考えずにやることしか考えていなかったです。

黒木)何から始めたのですか?

宮本)種を蒔くことです。まず60種類くらい種屋さんで買って来ました。「種を蒔けば出るだろう」というレベルです。そこで枯らして、勉強しながら、育てながらというスタートでした。

黒木)いろいろな農家の方に教えていただきながら。

宮本)栃木だけではなく青森の農家さんにも行って、お野菜のつくり方をお聞きしました。

黒木)ご自分でも野菜を育てて、それをどのようにして流通させて行ったのですか?

宮本)幸いにも、それまで形がないものを販売していたので、形があるものを売るということは、気分的にも安心して販売できました。自分の野菜をいろいろな方に紹介することは、過去よりも自信を持って営業ができました。そういう意味では、ものができる前から販路ができていたので、販売先に関しては苦労したことはありません。

黒木)農業とITの融合ですね。

宮本)そうですね。

宮本暢常

宮本暢常(みやもと・のぶつね)/有機栽培農家「農人たち」代表

■1975年、栃木県宇都宮市生まれ。
■IT企業「サイバーエージェント」に勤務した後、農業に転向。
■農業をベンチャーマインドで捉え、「生で食べられる野菜づくり」をコンセプトに事業展開中。栃木県で新規就農者を対象とした塾を開校するなど支援を行っている。

<株式会社「農人たち(のうじんたち)」>
・農に携わる「人たち」との組手で新たなものをつくり出しているネットワーク。
・宮本さんが設立した会社。
・農薬を使わない野菜や米、原材料の品質が高い加工品、農にかかわる工芸品、芸術品の販売、さまざまなコラボレーション企画の農業体験を提供。

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