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亡き娘から教わったこと~小児緩和ケア施設『横浜こどもホスピス』を目指して

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年1月26日 17時20分

亡き娘から教わったこと~小児緩和ケア施設『横浜こどもホスピス』を目指して

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

「横浜こどもホスピス」クラウドファンディング ホームページより

多くの人を「感動」や「悟り」や「気づき」に導く瀬戸内寂聴さんの講話。そのお話のなかで、寂聴さんは「愛する者との別れ」について、このように説いていらっしゃいます。

『家族の誰かが亡くなったとき、残された家族は嘆き悲しむ。なかでも「逆縁」といって、子どもに先立たれた親の悲嘆は、この上なく無残で慰めのことばもない』

世の中のさまざまな悲しみや苦しみ。そのなかでも筆舌に尽くしがたいものの1つが、自分より子どもの方が先に逝ってしまうという悲劇……。それに押しつぶされたまま立ち直れなかった人生も少なくないと言います。

しかし、いまは亡き娘さんの声に支えられ、必死の想いで立ち上がり、次のステージへ第一歩を踏み出した方がいらっしゃいます。

「横浜こどもホスピス」クラウドファンディング ホームページより

横浜市にお住いの田川尚登さんは、この番組(ニッポン放送「あけの語りびと」)のリスナーの1人。先日、横浜市から借り受けた土地の地鎮祭を終えたところだそうです。

「この夏オープンの予定がかなり遅れましてね。これから建設に入って、完成は秋になってしまいそうです」と、ちょっぴり残念そうな田川さん。そんな田川さんが目指しているのは、『横浜こどもホスピス』です。

重い病気と闘う子どもたちやその家族に、笑顔と思い出を創り、夢を育む場所。0歳~18歳までを対象とした小児緩和ケア施設です。田川さんが代表を務める「NPO法人 横浜こどもホスピスプロジェクト」のホームページには、次のような説明が記されています。

『小児がんなど命を脅かされる難病を患う15歳以下の子どもの数は、日本全国で約20万人。そのうち約1割、2万人の子どもたちに命のタイムリミットが迫っていると言われています。しかし、全国的にも子どもの緩和ケア施設は数件しかありません。たとえ残された時間がわずかであっても、苦しい時間のなかでも、明日を信じて闘う子どもたちとそのご家族の時間が、少しでも豊かなものになることを信じて……』

外観イメージ図(「NPO法人横浜こどもホスピスプロジェクト」ホームページより)

田川さんの次女・はるかちゃんが生まれたのは、1991年の初夏。スクスク育ったはるかちゃんは、ハッキリものを言う元気な女の子。夢は、人気アニメ『忍たま乱太郎』に出て来る女忍者・トモミ。

その小さな体に病気の予兆が表れたのは、6歳の誕生日を迎えるころでした。毎朝の頭痛があり、医師の診断は「ただの風邪」でしたが、その風邪が治りません。

田川さんはある日、はるかちゃんの異常に気づきます。右足を引きずりながら歩いている……。やがて、総合病院の検査結果が出ました。

「娘さんの脳の大事な部分に、腫瘍があります」

さらに恐ろしい告知が続きました。「余命は1年半」……。紹介された専門病院を訪ねても、「治療法はない」という結果は同じでした。

インターネット、東洋医学、断食療法、あらゆる治療法を求めて両親は奔走します。病院の面会時間は夜8時まで。「帰らないで!」と叫ぶ声が、いまも耳の奥に残っていると言います。

世界最初の小児ホスピス、ヘレン・ダグラス・ハウス(「横浜こどもホスピス」クラウドファンディング ホームページより)

どんなに重い病気でも余命がわずかでも、子どもは成長を止めません。日々の暮らしのなかに楽しみを見つけ、たくましく成長して行きます。はるかちゃんの闘病生活は、そのことを田川さんに教えてくれました。

「はるかの希望や願いを叶えてやろう。残り少ない家族の時間を大切にしよう」

はるかちゃんの最後の願いは、「みんなでお泊りに行きたい」という、房総半島にある海辺のホテルへの一泊旅行。花摘み、トランプ、ゲームなどの楽しい時間が流れ、入院生活に戻ったはるかちゃんは、さらに厳しい状況に追い込まれます。

呼吸停止による人工呼吸器を装着した生活。大きくなり続ける腫瘍。

「はるか、負けるな! たとえ1分1秒でも、長生きして欲しい!」

そんな思いとは裏腹に、田川さんはあることに気づきました。両親が病室にいるときに限って、胃につないでいる管から鮮血が見られるのです。真っ赤な血のほとばしりから、田川さんは無言の叫び声を聞いたと言います。

「パパ、ママ、私がんばったよ。もういいでしょう。許して!」

「横浜こどもホスピス」クラウドファンディング ホームページより

1998年2月15日。降り続いた雪が晴れた穏やかな朝、はるかちゃんの人工呼吸器は取り外されました。「はるか、よく頑張ったね」……胸から浮かんだのは、その言葉だけでした。

それから4~5年が過ぎたころ、田川さんのなかにフツフツと浮かんで来たのは、医師や看護師、医療従事者の皆さんへの感謝の想いでした。折れてしまった心を必死につなぎ止め、それを支えてくださった人たち。はるかちゃんの遺志に押されるように、病院への恩返しが始まりました。

入院中の子どもたちが、車いすのまま集まることができる屋外用テーブル。2003年設立の「スマイルオブキッズ」は、たくさんのコンサートを届けました。

2008年にできた「リラのいえ」は、病気の子どもと家族たちの宿泊施設。そして「横浜こどもホスピス」は、藤沢市の看護師や製薬会社、クラウドファンディングに寄せられた多くの寄付で実現します。

「何度もくじけそうになりました。でも、『パパ、もう少しだよ。がんばって』……そんなはるかの声が支えてくれたんです」と、田川さんは語ります。

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