オリンピック競泳メダリスト・スポーツキャスター宮下純一~水嫌いでお風呂にも入れない子どもだった
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年5月17日 8時10分
黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)にスポーツキャスター・北京五輪競泳メダリストの宮下純一が出演。水泳を始めることになった経緯について語った。
黒木)毎日さまざまなプロフェッショナルの方にお話を伺う「あさナビ」。今週のゲストは2008年北京オリンピック競泳メダリストでスポーツキャスターの宮下純一さんです。
宮下)よろしくお願いいたします。
黒木)引退して13年ということですが、ガッチリされていますね。
宮下)水泳教室で服を脱がないと指導ができないので、体は鍛えています。週に2回はジムに行くようにしています。
黒木)2008年の北京オリンピック、100メートル背泳ぎで8位入賞。アジア・日本新記録を出されました。そして400メートルメドレーの銅メダル、とても印象に残っています。
宮下)ありがとうございます。
黒木)記憶に新しいですが、2008年なのですね。
宮下)そうですね。もう13年前になります。
黒木)このあとにお辞めになった。
宮下)北京オリンピックでメダルを獲らせていただいてから引退しました。
黒木)いつごろから決めていましたか?
宮下)目標にしていたのは、その4年前のアテネオリンピックだったのですが、国内での順位が2番で行けるところを、3番で代表になれず、行けませんでした。そのときに引退も考えたのですが、小さいころからオリンピックに出ることを目標にしていたので、まだ自分の体が動かせるのに引退するのはもったいないなと思っていました。大学3年生のときにアテネオリンピックの選考会だったのですが、大学を卒業したあとの3年間は、雇っていただける企業が見つからないと社会人を続けて行くことはできないので、残り1年間の大学生活では、いかにアピールをして企業に拾ってもらうかということも考えました。そして、4年間チャレンジしようと思って続けた4年間だったので、その後の4年間というのは私のなかでイメージができず、「北京オリンピックで代表になれなくても引退しよう」と心のなかで腹をくくってチャレンジしました。
黒木)アテネのときの悔しい思いが、その4年間のなかで「北京オリンピックまでは」という思いになり、努力なさっていたということですね。
宮下)そうですね。アテネから北京の4年間は、「オリンピックのために」というような4年間でした。
黒木)鹿児島出身でいらっしゃいますが、鹿児島の水泳教室に。
宮下)そうです。最初はスイミングスクールです。
黒木)水泳がお好きだったのですか?
宮下)最初は水嫌いでお風呂に入れず、頭を洗うときもシャンプーハットをしないと、顔に水がかかって泣くような子どもでした。幼稚園の水遊びも1人だけできない子でした。
黒木)それで水泳教室に通ったのですか?
宮下)先生がわざわざうちに電話をして下さって、「お父さんお母さん、このあと小学校に行ったら水泳が授業になり、純一君が少しかわいそうな思いをするかも知れないので、できればスイミングスクールに通わせてあげたらどうですか」と言ってくれたのです。それからうちの両親のスイッチが入ったという感じですね。
黒木)では、先生がいなければオリンピックでメダリストになれていなかったということですか?
宮下)そうですね。水泳の選択肢はまったく家族会議では上がっていなかったので。両親がその電話を受けて「これではいけないよね」となり、スイミングスクールに通わせたのがスタートです。
黒木)その水嫌いの男の子が、スイミングスクールに通い出した当初はどうでしたか?
宮下)泣きながら連れて行かれたようですが、うちの両親は週4で連れて行くのです。普通は月に1回からなのですが、本当にスイッチが切り替わったみたいで、とにかく早くうまくさせようということで週4回通いました。そうすると、月1で通っている子よりも、嫌いだけれど週4で通っている子の方が成長がやはり早いのですよね。
黒木)何でもそうなのですね。
宮下)そこから5歳で水泳を始めて、5年後には全国大会で入賞しました。最初のころはやはり好きではなかったのですが、全国大会に出るようになって、ライバルができ、友達ができるようになってから、手紙で「また会おうね」とやり取りしたのが楽しかったですね。いまのようにSNSやメールなどはありませんでしたから。
宮下純一(みやした・じゅんいち)/スポーツキャスター・北京五輪競泳メダリスト
■1983年生まれ、鹿児島県出身。37歳。
■5歳から水泳をはじめ、9歳のときコーチの薦めにより背泳ぎの選手となる。
■鹿児島県立甲南高等学校から筑波大学に進学、体育専門学群で学び、中高教員免許を取得。
■2008年8月、北京オリンピック競泳男子100m背泳ぎ準決勝で53.69秒のアジア・日本新記録を樹立、決勝8位入賞。400mメドレーリレーでは日本チームの第1泳者として、銅メダルを獲得(リレーメンバー:北島康介・藤井拓郎・佐藤久佳)。
■2008年10月、競技者として有終の美と感じられる結果に現役を引退。
■現在は、水泳・スポーツの美と感動、アスリートという人間の心のドラマやストーリーを伝えられるスポーツキャスターとして幅広く活動。日本水泳連盟競泳委員として選手指導・育成にも携わっている。
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