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こんにゃくをスポンジに? 30歳の若き社長が無形の文化を受け継ぐまで

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年5月19日 17時20分

こんにゃくをスポンジに? 30歳の若き社長が無形の文化を受け継ぐまで

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

「畑中義和商店」公式ホームページより

「凍みこんにゃく」というものをご存知でしょうか? こんにゃくを凍らせて乾燥させた、伝統的な食品です。

安土桃山時代から茶会の料理、精進料理として食され、江戸時代に至っては、煮しめ、押し寿司、酢の物などにも使われていたそうです。戦時中は兵隊の保存食にも使われたというポピュラーな食品でした。

しかし、凍みこんにゃくをつくるには手間と高度な技術が必要なため、安く簡単につくれる油揚げが登場してからは、衰退の一途をたどったそうです。ところが兵庫県多可町には、現在も凍みこんにゃくを製造しているメーカーがあります。

この地方では「凍りこんにゃく」と呼ぶそうですが、これがいま、4年間で売り上げが10倍になるという急成長を成し遂げているそうです。その理由は何なのか、「畑中義和商店」社長の藤原尚嗣さんにお話をうかがいました。

「いま30歳の私には、食事のときに凍りこんにゃくを食べていた記憶はありません。でも子どものころ、凍りこんにゃくで体を洗ってもらったことは覚えています」

つまり、食品としての役目を終えた凍りこんにゃくは、洗顔用スポンジとしてこの地方に残り、「畑中義和商店」が文化を守り続けて来たわけです。

「畑中義和商店」公式ホームページより

「大学で化学を学んだ私は、化粧品メーカーに就職しました。商品開発チームに加わったんですが、自信を持って売ることができる商品がなかったのです。売るたびに、お客様に罪悪感を感じてしまう。こんなに辛いことはありません。そんなとき、ふと頭に浮かんだのが、子どものころに使っていたこんにゃくスポンジ(凍りこんにゃく)でした。その工場の社長だった叔父に、『スポンジを仕入れたい!』と電話をしたのです。ところが叔父からは、思いがけない答えが返って来ました」

叔父さんである当時の社長、畑中博さんは、弱々しい声で言いました。

「こんにゃくスポンジを仕入れてくれるのは、ありがたい話だが……。実は、あと3ヵ月でこの工場をたたむんだ。だから出荷はできない」

この残念な電話を切った瞬間でした。藤原さんは何かに突き動かされるように、勤め先である化粧品メーカーの上司のところへ行きました。

「突然ですが、会社を辞めさせていただきたいんです!」

それは、直感のようなものだったと言います。

「300年以上も前から続いて来た凍りこんにゃくの歴史が、途絶えようとしている。何としても途絶えさせてはいけないと思ったんです」

「畑中義和商店」公式ホームページより

叔父さんに「会社を辞めて来ました。私にこんにゃくスポンジを教えてください!」と頼み込むと、そこにはさらに苛酷な現実が待っていました。叔父さんは大病を患い、入院しなければならない体だったのです。

「これから入院するから、やるなら1年待ってくれ」と言われた藤原さんは、人材派遣会社に再就職。そのときをジッと待ったそうです。

「実はこの1年こそが、とても大切な期間だったのだと思います。無形の文化を受け継ぐというのは、どういうことなのか。こんにゃくスポンジが生き残るための道は……などと、じっくり考えました」

やがて、叔父さんが退院する日が来ました。

「これから2年間、こんにゃくスポンジづくりをじっくり教える。経営や営業はわからん。とにかくモノづくりだけ、しっかり覚えてくれ」

その修業は想像以上に大変なものでした。1日24時間体制のスケジュール。どんな気温に対して、何度で冷凍庫を管理したら完璧な製品になるのか……来る日も来る日も、真夜中の冷凍庫を管理したと言います。

「畑中義和商店」公式ホームページより

この修業が1年も続いたころ、叔父さんの病状はふたたび悪化。そしてそのまま、帰らぬ人となりました。藤原さんは言います。

「自分をひたすら責めました。私のワガママが死期を早めたのではないかと。告別式で、叔父さんの奥さんの前で土下座して謝りました。でも最後の電話で、叔父さんは『あとは頼むぞ』と言ってくれたんです」

叔父さんが生涯をかけてつくり続けたこんにゃくスポンジの名前は、『つやの玉』。誰も知らなかったその仕込み方は、藤原さんのなかに見事に受け継がれました。

科学の知識を生かしてつくった冷凍庫の管理マニュアルも完成。『つやの玉』は自社ブランドとして独立し、メイド・イン・ジャパンとして堂々と世界に打って出たのです。現在、取引している国は、台湾、フランス、オランダ、スペイン、アメリカの5ヵ国。オーガニックブームに乗ってヨーロッパからの引き合いも多いと言います。

山口県の高級旅館・大谷山荘も、『つやの玉』をアメニティとして採用。「畑中義和商店」の名入りの『つやの玉』が、そんな立派な宿に……と、従業員の皆さんは手を取り合って涙したと言います。藤原社長はまだ30歳。その夢は、ますます大きく広がっています。

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