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辛坊治郎「生き延びたのは、禰豆子ちゃんが身代わりになってくれたから」 成功したヨット太平洋横断を振り返る

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年6月20日 21時21分

辛坊治郎「生き延びたのは、禰豆子ちゃんが身代わりになってくれたから」 成功したヨット太平洋横断を振り返る

ヨット太平洋単独無寄港横断に成功したキャスターの辛坊治郎が、“恩人”について語った。

『鬼滅の刃』禰豆子 人形

『鬼滅の刃』禰豆子 人形

4月9日午前9時17分に大阪府岬町の淡輪ヨットハーバーからKaorinV(カオリンファイブ)号でヨット太平洋単独無寄港横断に出航した辛坊治郎が、日本時間の6月17日午前9時52分(現地時間16日午後5時52分)、アメリカ・サンディエゴのシェルターアイランドのヨットハーバーに到着し、無事、ゴールを果たした。

アメリカ・サンディエゴに到着し、無事、ゴールを果たした辛坊治郎

アメリカ・サンディエゴに到着し、無事、ゴールを果たした辛坊治郎

入国審査を終え、無事、アメリカ上陸を果たした辛坊治郎は、ニッポン放送『高田文夫のラジオビバリー昼ズ』での生中継で、「いやぁ、着きました。ありがとうございます。70日間かかりました」と第一声。また、現地時間6月16日はチャレンジに失敗した8年前の太平洋横断の出発日であったことに触れ、「小名浜を出てちょうど8年で着いた感じ。気持ち的にはなんか8年間ずっと漂流を続けていた気持ちだった。やっと今日で漂流が終わった感じ」と改めてマイクの前で語った。

アメリカ・サンディエゴに到着した船内からニッポン放送に出演する辛坊治郎

アメリカ・サンディエゴに到着した船内からニッポン放送に出演する辛坊治郎

そしてこの日、自身の番組であるニッポン放送『辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!』にも出演した辛坊は疲れを全く感じさせず元気に70日間に及んだ航海を振り返っていった。

この中で、東京のスタジオの増山さやかアナウンサーから「すごく気になっていたのが、辛坊さん、守り神として船の先端に『鬼滅の刃』の禰豆子ちゃんの人形を付けていったじゃないですか。フィギュアヘッドをご自分で付けたんですよね。あれは……?」との質問が出た。フィギュアヘッドとは、帆船の船首につけられる女神像などの装飾品のことである。

新しい日本丸の船首像「藍青(らんじょう)」 撮影:1984年09月18日 写真提供:時事通信社

新しい日本丸の船首像「藍青(らんじょう)」 撮影:1984年09月18日 写真提供:時事通信社

さて、禰豆子フィギュアヘッドはどうなったか?

「禰豆子ちゃんをかまぼこ板に張り付けて、そのかまぼこ板を船の前に接着剤で留めていたんですが、航海中は怖いから見なかったんです……」

このように切り出した辛坊。そして、その航海中の状況から説明を始めた。

「日本近海で嵐、4つ遭遇してるんですよ。60ノット、60ノット、60ノット、65ノットで最後のは台風2号崩れの低気圧が再発達したやつです。920hPaぐらいまで発達して私の通ってた海域で65ノットっていうとんでもない風が吹いてるんですよ。私は生き延びたんですが……」

アメリカ・サンディエゴに到着したKaorinV号

アメリカ・サンディエゴに到着したKaorinV号

そして辛坊は、到着後、確認しにいったという。

「で、今日、船のもやいを解いたあと(フィギュアヘッドを)見に行ったら、かまぼこ板だけが残ってました」

残念な形ではあるが、辛坊はポジティブにとらえた。

「65ノット吹いたときに、多分それで耐えきれなかったかもしれないんですが、私は生き延びたんで、禰豆子ちゃんが身代わりになってくれたんだと思います。

嵐のなかで生き延びることができたのは、禰豆子のおかげもあるのかもしれない。

辛坊治郎と『鬼滅の刃』禰豆子 人形

辛坊治郎と『鬼滅の刃』禰豆子 人形

日本への帰国は、“恩人”禰豆子のいないKaorinV号での航海になるが、海の中から見守ってくれているであろう。“復路”からも目が離せないが、何よりも万端な準備と安全な航海を!

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