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アパレル商品をバングラデシュでつくろうと思った理由 ~マザーハウス代表取締役兼デザイナー・山口絵理子

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年9月6日 21時50分

アパレル商品をバングラデシュでつくろうと思った理由 ~マザーハウス代表取締役兼デザイナー・山口絵理子

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(8月30日放送)に株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナーの山口絵理子が出演。「マザーハウス」をバングラデシュで立ち上げることになった経緯について語った。

MOTHERHOUSE – マザーハウス

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。8月30日(月)~9月3日(金)のゲストは株式会社マザーハウス代表取締役兼チーフデザイナーの山口絵理子。1日目は、「マザーハウス」を立ち上げることになったきっかけについて—

 

黒木)「マザーハウス」は「途上国から世界に通用するブランドをつくる」という理念のもとに、途上国の素材を使って、現地でアパレル商品を生産している企業だということです。24歳のときにたったお1人で、しかもバングラデシュの工場で始めたそうですが、スタートしようと思われた最初のきっかけは何だったのですか?

山口)日本の大学生のときは、国際協力やボランティアが大好きな学生で、貧しい国のために力になれたらいいなと漠然と思っていました。何かやるのであれば、現場のことを知りたいと思い、2004年に、アジアでいちばん貧しい国に行ってみようと思ったのです。

黒木)アジアでいちばん貧しい国へ。

山口)ヤフーでいちばん貧しい国を検索したら、「バングラデシュ」と出て来たので、早速、現地に行きました。現地に行くと、「お金ちょうだい」という物乞いの子どもたちがたくさんいて、衝撃的でした。もう少し腰を据えて現地で生活しようと思い、バングラデシュの大学院に1人で通いました。

黒木)それでバングラデシュの大学院に行かれたときに、何かに出会われたのですか?

山口)2年間、首都のダッカで1人暮らしをしました。クラスメイトはみんなベンガル人というバングラデシュの人なのですが、「僕たちは援助よりも仕事が欲しいんだよね」と言われたのです。

黒木)仕事が欲しい。

山口)それまでは援助や国際協力しか私のイメージになかったのだけれど、そう言われて、「仕事ってどういうことがあるのだろう」と思ったのですね。ビジネスとして、工場ではどのようなものをつくっているのかと、20くらいの工場を見て回りました。工場には海外からバイヤーの人が来るのですが、中国が高くなったから皆さんバングラデシュにいらっしゃっていて、「中国の八掛けでつくれる?」というようなことをコミュニケーションとしているのです。

黒木)中国の人件費が高くなったから。

山口)そのように、安いものを求めて海外の人が来ている。この国はお給料もオンタイムで払われないし、賃金が安く、毎月ストライキが起きていました。「こういう悪循環はいつなくなるのだろう」と日記に書きながら、自問自答をしていました。安いものではなく、付加価値のあるものは何だろうと。そして、「我らバングラデシュだ」と誇れるようなものをつくろうと思い、マザーハウスを立ち上げました。

黒木)何がそうさせたのですか?

山口)あの当時から私はベンガル語を話すことができていたので。

黒木)そうなのですか。すごい。

山口)工場の末端のミシンで縫っている女性と話をすると、「つくらされている」という感覚が強くあるのです。でも、家族のために1ドル以下の麻袋をつくらなければならない。学校に行く選択肢はなくて、働かなければいけない。

黒木)学校にも行けないのですね。

山口絵理子 / マザーハウス代表取締役兼デザイナー

山口)彼らと話しているうちに「つくりたいと思うものがあるのではないか」感じたのです。そこで、「麻袋ではなくて鞄だったらどう?」、「取手が皮だったら可愛いかな」などと話していると、創意工夫とか、クリエイティビティという意味では、彼らもジャンプできるはずなのではないかなと思ったのです。

黒木)それでたった1人でバングラデシュの工場でスタートをさせたというマザーハウスなのですが、いまや700人ですか。それもバングラデシュだけではなく、世界中に職人さんやいろいろな方々がいらっしゃるということなのですけれども、15年ですか。

山口)そうです。

黒木)山口さん自身が経営者でもあり、デザイナーでもある。

山口)そうです。

山口絵理子

山口絵理子(やまぐち・えりこ)/ マザーハウス代表取締役兼デザイナー

■1981年・埼玉県生まれ。慶應義塾大学総合政策学部卒業。
■ワシントンの国際機関でのインターンを経て、バングラデシュBRAC大学院開発学部修士課程終了。
■2年後に帰国し「途上国から世界に通用するブランドをつくる」をミッションとして、2006年に株式会社マザーハウスを設立。
■世界経済フォーラム「Young Global Leader (YGL) 2008」選出。
■ハーバードビジネススクールクラブ・オブ・ジャパン アントレプレナー・オブ・ザ・イヤー2012を受賞。著書に『裸でも生きる』シリーズ3作などがある。

【マザーハウスとは】
■『途上国から世界に通用するブランドをつくる』という理念を掲げ、2006年に設立。
■バングラデシュをはじめ、ネパール・インドネシア・スリランカ・インド・ミャンマーの計6ヵ国で、それぞれの地域の素材や文化を活かしたモノづくりを展開。バッグ・ストール・ジュエリー・アパレル等のデザイン・生産を行い、素材開発から店舗運営までを一貫で手掛けている。
■生産地は6ヵ国。販売は国内外でおよそ40店舗。世界のスタッフはおよそ700人。

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