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日本の独立・自衛について、原点に戻り考えるべき ~サンフランシスコ講和条約の調印から70年

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年9月10日 11時30分

日本の独立・自衛について、原点に戻り考えるべき ~サンフランシスコ講和条約の調印から70年

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」(9月9日放送)に外交評論家・内閣官房参与の宮家邦彦が出演。調印から70年経ったサンフランシスコ講和条約について解説した。

サンフランシスコ講和条約 調印する吉田茂首席全権 後方左から徳川宗敬、星島二郎、苫米地義三、池田勇人、後方はアチソン議長(米国務長官)=1951年09月08日 写真提供:産経新聞社

サンフランシスコ講和条約の調印から70年

9月8日でサンフランシスコ講和条約の調印から70年となった。当時、先の大戦に敗れ、アメリカの占領下におかれていた日本は、6年8ヵ月ぶりに独立を回復した。その独立が決まった節目の日が1951年9月8日であった。調印に臨んだ当時の吉田茂内閣総理大臣は退任後、憲法改正の必要性を訴えたが、未だにそれは実現していない。

飯田)講和条約から70年ということです。

宮家)感慨深いですよね。当時の吉田総理は外務省出身だったのだけれど、戦争中は冷飯を食い、そして戦後表舞台に出て来られて、日本の戦後の骨格をつくられた方です。よく言われるのは、最小限の武装で、経済中心。軽武装国家ですよね。そういう方向性をつくられました。それが現代に続いているという考え方もあり得るし、実際にそうだったと思います。

飯田)軽武装国家。

宮家)当時の吉田総理、もしくは当時の関係者の方々の話を思い出してみると、同時に日本の国家としての独立、最終的には自分で自衛をしなければいけない。そして、将来どのような脅威が来るかわからないわけですから、抑止力を持たなければいけないということを言われていました。その意味では当時からいろいろな憲法改正の議論をしていました。そして1955年に自民党ができるわけです。

原点に戻るべき~日本の自衛はいまのままでいいのか

宮家)その流れを見ると、実は私は1951年と1955年の間の1953年に生まれたので、この議論は自分の人生と同じくらい長いのですが、ここはもう1回、原点に戻って行かなければいけない。

飯田)原点に戻る。

宮家)平和国家として、経済中心のできるだけ軍事力を使わない国になる。脅威にならないような形の軍事力しか持たないということ、それはそれでいいのだけれども、同時に国の独立や自衛を考えたとき、「いまのままでは駄目でしょう」という考え方は当時からあったのです。それをもう1回、原点に戻って考えて行かなければいけないという意味で、私はこの70年を振り返っています。

1960年の日米安保条約の改定は結果的に正しかった~いまや同盟国として対等な立場でやって行く日米

飯田)サンフランシスコ講和条約で華々しく調印式が行われた直後、いろいろな史実で出ていますが、吉田茂氏は1人で、今度は日米安保条約の署名にも行った。まさにこれは表と裏であるのだという。

宮家)その旧安保条約が1960年に改定されるわけですが、これは安保闘争で大騒ぎになりました。しかし、当時の岸総理が考えていたのは、できるだけ「片務的」という言い方がいいかどうかはわからないけれども、日米同盟はアメリカにおんぶに抱っこではなくて、同盟国同士として対等な、もしくはバランスの取れた関係であるべし、ということで安保条約の改定をしたいるわけです。

飯田)バランスの取れた関係に。

宮家)大騒ぎにはなりましたけれど、結果的にその判断は正しかったのです。いま行われているのも、まさに日米が対等であって、同盟国として一緒に、しかし対等な立場でやって行くのだという方向ですから、この70年間は決して無駄ではなかったという気はします。

ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」

「元実務者が安全保障論じる著書次々…自衛官・外交官」

飯田)そして、自衛の部分を日本はどうするのかということですが、9月9日の読売新聞の文化面に興味深い記事があります。

『元実務者が安全保障論じる著書次々…自衛官・外交官』

~『読売新聞オンライン』2021年9月9日配信記事 より

元外交官の、ここで挙げられているのは内閣官房副長官補もされた兼原信克さん、あるいは陸幕長をされた岩田清文氏などの著書が出ています。論じているのは世の中の受け止めとして、「日本をどう守って行くのか」というところです。一部専門家の人たちで議論されて来たものが、段々と一般に浸透しているのではないか、だからこそ、こういう本が出て来ているのではないかという指摘をされています。宮家さんは評論活動等々もされていますが、社会の変わり方を感じることはありますか?

安全保障の問題を議論する環境が、日本国内で徐々によくなっている

宮家)日本人はいい意味で、戦後の平和主義をいまも掲げているけれど、同時に賢い民族ですよね。日本がどのような状況に置かれているかについてはよく理解されていると思います。70年前は確かにそういう時代だったかも知れないけれど、徐々に知識が増え、経験も増え、そして世界の常識が見えて来たときに、いまおっしゃっていたような本が受け入れられているのでしょう。一昔前なら大騒ぎになっていたかも知れないけれど。

飯田)昔ならば。

宮家)それが今は淡々と出版され、「やっぱり、そうなのだな」と読まれていることは、安全保障問題を議論する環境が、日本国内で徐々によくなっているのだと思います。まだまだやらなければいけないことはたくさんありますから、これで終わりではないのですが、やはり、こういう方向で議論が深まることは必要だと思います。

「日米同盟ありき」ではなく、「日本ありき」で考えなくてはいけない

飯田)日本としては、ベースとして日米同盟を維持しつつ、でも日本の役割は大きくなって行く。

宮家)私は「日米同盟ありき」だとは思っていません。まずは、「日本ありき」なのです。日本を守るためにどうしたらいいか。人口が縮小して経済が伸びないときに、独力でどう平和と安全を確保するかと考えれば、オプションとしては、やはり同盟です。では、同盟の相手はどの国がいちばんいいのか。それはアメリカだけではなく、オーストラリアやインドなども含めて、いろいろな考え方があります。こういう思考で行かなければいけない。まずアメリカありき、ではいけないと思います。

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