自民党総裁選、権力闘争で思い出した21年前の出来事
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2021年10月4日 17時51分
「報道部畑中デスクの独り言」(第266回)
ニッポン放送報道部畑中デスクのニュースコラム。今回は、自民党総裁選について—
自民党総裁選が終わりました。結果は岸田文雄前政調会長が決選投票の結果、河野太郎行政改革担当大臣を下しての勝利。10月4日には臨時国会で首班指名選挙が行われ、岸田氏は第100代の内閣総理大臣に決まりました。
9月29日、私は東京都内のホテルで行われた総裁選の会場を取材しました。決選投票にはなったものの、1回目の投票で大きな番狂わせがありました。
候補は岸田氏、河野氏に高市早苗前総務大臣、野田聖子幹事長代行の4名。党員・党友票は河野氏169、岸田氏110、高市氏74、野田氏29と想定内と言える結果でしたが、議員票は河野氏86、岸田氏146、高市氏114、野田氏34……河野氏は予想以上に伸び悩み、高市氏の後塵をも拝す結果となりました。1回目の投票の合計は河野氏255、岸田氏256、高市氏188、野田氏63……岸田氏が僅差で河野氏を上回りました。
「河野氏が党員・党友票の強さで1回目の投票を勝ち抜くものの過半数に達せず、“2位・3位連合”が決選投票でどれだけ巻き返すか」……メディアを含めて描いていたシナリオは崩れ、会場は「もはや勝負あった」という空気に包まれていたように思います。
決選投票は河野陣営にとって火を見るよりも明らかな結果に。議員票の比重が全体の9割近くに上がったこともあり、岸田氏257、河野氏170の大差で岸田氏が勝利となったわけです。結果判明の瞬間、岸田氏は目を細めながらも笑顔はなく、引き締まった表情で右手を上げて拍手に応えました。
「生まれ変わった自民党が国民の皆さんに対し、支持を訴えて行かなくてはいけない。ノーサイドだ。全員野球で、一丸となって衆院選、参院選に臨んで行こう。きょうから全力で走り始める」
決意を語ったあと、4候補が菅義偉総理大臣とともに壇上に上がり、グータッチをしたとき、ようやく岸田氏から白い歯が見えました。
その後、別室で行われた報告会では大いに盛り上がります。3位となった高市氏が飛び入り参加する姿は、「岸田・高市連合」の結束をうかがわせるものでした。
一方の河野氏は、岸田氏の2列前に座り、決選投票中は終始うつむいた表情。総裁決定の瞬間もそれは続き、気を取り直したように後ろを向き、岸田氏に拍手を送っていました。河野陣営のショックは隠しきれず、報告会はメディアシャットアウトのなかで行われました。
思えば、投票前の決起集会、河野陣営の会場では100用意された席に壇上の議員を除き、10以上の空席が。当初から議員票では不利とみられていたものの、各社の情勢調査では100~120の予測があったことを考えると、議員票で相当の「引きはがし」があったことがうかがえます。
対する岸田陣営は、「岸田文雄」ののぼりが掲げられ、入口では主を迎える議員の花道……組織力の強さを感じました。当初、出身派閥の岸田派以外は自主投票と言われていた各派閥の動きも、直前になって旧竹下派が岸田氏支持を表明。
投票日前日には河野・高市両氏が二階俊博幹事長とそれぞれ面会し、支持を求めましたが、二階氏は態度を明らかにせず、その後、二階派は自主投票を決定。事実上、河野氏に「NO」を突きつけた形になりました。
さらに、高市氏を支持し、自ら「電話作戦」を展開していたとされた安倍晋三前総理が、直前になって電話作戦をやめたという情報も伝わって来ました。「岸田・高市連合」=「河野包囲網」は着実に進行していたわけです。
仲間の記者がいたプレスルームでは、1回目の投票で岸田氏がリードした際に「岸田さん、勝っちゃったよ……」とどよめきがあったと言いますが、私がいた会場周辺からはそのようなざわめきは聞かれませんでした。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、大声が出せない状況にあったこともありますが、すでに投票前の段階で雌雄は決していたと言えるかも知れません。
「私の力不足、多くの仲間に力不足をおわび申し上げる」
メディア非公開となった報告会終了後、記者団の取材に応じた河野氏は敗北を認め、「結果が出たのでこれから前を向いて行きたい。いろいろ学ぶことが多々あったと思う」と述べました。
河野氏の敗因はいくつか考えられます。河野氏を石破茂元幹事長、小泉進次郎環境大臣が支援する形は「小石河連合」と呼ばれましたが、両氏は河野氏の選挙対策本部に属していたわけではなく、いわば「勝手連」的な立場。全体として統一のとれた選挙戦だったとは言えません。
また、討論会や演説でも河野氏の「失点」が目立ちました。安全保障の要諦である「敵基地攻撃能力」を「敵基地ナントカ」と揶揄するような乱暴な表現をし、年金改革、原発を含むエネルギー政策でも、それまで展開していた強気の主張はトーンダウンしました。スローガンとして掲げた「ぬくもりのある社会」も、ふわっとした印象が否めませんでした。
全体的に「未熟」という印象を与え、当初は過半数をうかがっていた党員・党友票はふたを開けてみると、約44%。党員の「世論」にも影響を与えたことは想像に難くありません。
この約1ヵ月の顛末を振り返ると、私は21年前に起きたある出来事を思い出します。いわゆる「加藤の乱」です。
2000年11月、不支持率が7割を超えた森喜朗内閣に対し、加藤紘一元幹事長が野党の内閣不信任決議案への賛成をちらつかせ、森総理(当時)の辞任を迫ったというものです。加藤氏は当時、「YKK」と呼ばれるニューリーダーの1人(Y=山崎拓、K=小泉純一郎、K=加藤紘一)で、盟友の1人、山崎氏も同調する動きを見せていました。
この年の春、小渕恵三総理が脳梗塞で倒れ、その後、森氏が政権のバトンを引き継ぎましたが、青木幹雄官房長官(当時)らによる「密室協議」で決められたものとされました。また、森氏には「日本は神の国」発言や、衆議院選挙を前に「寝てくれればいい」と無党派層を念頭にした失言もあり、内閣への批判が高まっていました。
加藤氏率いる加藤派=宏池会の取った行動は、いわば「クーデター」。世代交代を求める動きとも捉えられ、政界は緊張感と高揚感に包まれていたのを覚えています。しかし、国会の議決を前にした週末の土日に、野中広務幹事長ら党執行部の執拗な切り崩しにより、その動きは頓挫したのでした。
「あなたが大将なんだからあ!」
側近である谷垣禎一氏が涙ながらに訴え、べそをかく加藤氏の姿がメディアの前にさらされたのでした。加藤氏率いる宏池会はその後、分裂します。
土日の間隙を縫って切り崩され、頓挫した「加藤の乱」。今回、12日間の選挙戦のなかで、議員票の切り崩しに遭った河野陣営はどこか重なります。形を変えながらも権力闘争の激しさは、いまも昔も変わりはないと大きな感慨を覚えました。
一方、今回勝利した岸田氏は岸田派=現在の宏池会の領袖。「保守本流」を自称し、池田勇人、大平正芳、鈴木善幸、宮澤喜一を輩出した宏池会から30年ぶりに総理が誕生しました。「加藤の乱」で分裂の憂き目にあった宏池会が21年の月日を経て、トップの座を射止めたことには皮肉な運命のめぐりあわせを感じます。(了)
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