下半身不随の体で「ル・マン24時間レース」に参戦し完走 車いすレーサー・青木拓磨
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2022年3月21日 20時35分
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」にプロレーサーの青木拓磨が出演。2輪から4輪に転向したきっかけについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。2月7日(月)~2月11日(金)のゲストはプロレーサーの青木拓磨。1日目は、障害を抱えての「ル・マン24時間レース」について—
黒木)青木拓磨さんの現状を紹介いたしますと、青木さんはバイクのプロレーサーとして世界を舞台に活躍されていましたが、1998年、レース前のテスト走行で転倒。下半身付随の後遺症を負われて、それ以来、車椅子で生活されています。本当に栄光から絶望という。
青木)そうなのですが、あまり絶望感はありませんでした。2輪で「世界チャンピオンまですぐそこ」というところまで来ていたのですが、転倒をして、脊髄損傷をして車椅子の生活になってしまいました。絶望感よりも「レースができなくなった」ということに対しての悔しさがありました。
黒木)その後、2007年にバイクから車に乗り換え、4輪レースに転向されました。さまざまな4輪レースに、健常者と同じ舞台に参戦されて、何と、去年(2021年)8月、これは私も知っております、世界的なレースである「ル・マン24時間レース」に参戦。そして、完走。「ル・マンに出る」という目標があったわけですよね。車椅子生活を強いられたときから。
青木)そうですね。それがあったので、絶望しなかったのだと思います。自分のなかで、2輪のレースができないかも知れないから、今度は4輪に行こうと頭の中でスイッチが切り替わったのです。
黒木)スイッチが切り替わった。
青木)レースをしている人間にしてみれば、いちばん上であるル・マン24時間耐久というのは、誰もが憧れるし、誰もが出たいというレースです。
黒木)ル・マンは。
青木)フランスのル・マン市にあります、「サルト・サーキット」というところでやるのですが、通常は、「ブガッティ・サーキット」と言って、4キロくらいのサーキットだけなのですが、サルト・サーキットは公道を使うのです。通常は80キロから90キロの制限速度のところを、我々は自分たちの乗っているマシーンで300キロを超すスピードで爆走するのです。
黒木)公道ですから、段差もあるでしょうしね。
青木)縦の段差はないのですけれども、水捌けをよくするために真ん中が少し上がっているのです。かまぼこ型になっていると言えばいいのでしょうか。ですので、「右、左」というときに、ちょうど真ん中のところで切り返すと、いきなり右側に「ポンッ」と倒れてしまうのです。ハンドルが取られやすいので、晴れならばいいのですが、雨だと厳しいですね。前も見えなくなりますし。
黒木)去年お出になったときには、大雨から始まって、青木さんが走られるときも途中から雨が降って来たということです。
青木)スピンもしてしまいましたけれども、マシーンに損傷はなく、ピットに戻ることができました。そのままレースも続行できましたし、完走もできました。
黒木)でも、その目標があったからこそ、耐えられたということですかね。過酷な練習、レースそのものも。
青木)「ハンドサイクル」というものを使いながら、上半身を鍛えて、通常は、足でアクセルとブレーキを踏むのですが、それを全部手で行います。ハンドルも手を使うではないですか。それに加えてブレーキも手、アクセルも手という形になるのです。
黒木)ギアもクラッチも手ですよね。
青木)そうですね。クラッチも手。
黒木)ブレーキが今度はそのハンドルを外して、右手に20キロほどの負荷がかかるということですね。
青木)いやいや。50キロです。
黒木)50キロも。
青木)50キロでも足りないのです。通常の人たちは足で70キロ踏むので、それだけ止まるのです。でも、私が今回乗ったマシーンは手のブレーキが付いているのですが、その手を押すのも、50キロ以上を1回押さなければいけないので、ベンチプレスで100キロくらい上げることができないと、なかなか厳しいです。
青木拓磨(あおき・たくま)/ プロレーサー
■1974年生まれ。群馬県出身。
■8歳の時に初めてポケバイに乗り、1990年にロードレースデビュー。群馬の「青木3兄弟」として全国的に知られていた存在。青木さんは次男。
■1995年・1996年、全日本選手権スーパーバイククラスチャンピオン2連覇を獲得。1996年は世界選手権スーパーバイククラスでも優勝。
■1997年には世界最高峰のロードレース世界選手権500ccに参戦、世界ランキング5位を獲得するも、翌年の1998年、開幕前のテスト中に転倒。このちきに脊髄を損傷し、下半身不随の後遺症を負い、以来 車イスでの生活に。
■その後、HRCチームの助監督に就任し、鈴鹿8時間耐久を3連覇させ、レンタルバイクによる耐久レース「Let’s レン耐!」を主宰するなどバイク業界に貢献。
■2007年にレースに復帰。四輪レースに転向。「ダカール・ラリー」などさまざまな四輪レースに健常者と同じ舞台の上で参戦。去年8月には 世界的なレース「ル・マン24時間」にも参戦した。
■またハンドシフトのバイクでサーキットを走行するなど2輪での活躍も注目される。
■今年4月には熊本県にライダー養成所を開設する予定。
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