次の夢はハンドサイクルでパラリンピックへ出場すること プロレーサー・青木拓篤
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2022年3月31日 23時0分
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」にプロレーサーの青木拓磨が出演。パラリンピック出場を目指すハンドサイクルについて、また協力してくれる人の大切さについて語った。
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。2月7日(月)~2月11日(金)のゲストはプロレーサーの青木拓磨。5日目は、パラリンピック出場を目指すハンドサイクルについて—
黒木)青木さんはバイクの事故で車椅子になってから24年とおっしゃいましたっけ?
青木)そうですね。
黒木)いまは車のレースに転向して挑戦を続けていらっしゃいます。2021年の「ル・マン24時間レース」出場という1つの夢を叶え、完走もいたしました。しかし、最近はバイクに乗っているということですが。
青木)最近、バイクに乗っていますね。バイクは実は、路面に足を置くのは止まっているときだけなのです。走っているときは、足をステップの上に置いておけば走れるではないですか。
黒木)そうですね。
青木)シフトチェンジをするときは「アクチュエーター」という部品があって、ギアチェンジのところにつながっていて、ボタンを押すと1速とかニュートラルにと、ギアチェンジが手元でできてしまうのです。
黒木)そうなのですね。
青木)その装置はどのバイクにも付けられます。私はへそから下の感覚がまったくないので、足でギアを入れることができないのです。「SPD」という足の裏にはめるペダルがあるのですが、それをブーツの後ろに付けると、足が固定されるのですね。そうすればステップから外れなくなるのです。それを付けて送り出してもらえば、走れます。あとは止まらなければ大丈夫なのです。
黒木)耐久レースですね。
青木)そうです。バイクはバランスの乗り物なので、バランスを取りながら、アクセルとブレーキとクラッチを使い、ミッションをギアチェンジして走って行きます。
黒木)バランスなのですね。
青木)自分がやっているレンタルバイクの耐久レースがあるのですけど、参加者に混じって走っています。「意外と乗れちゃったな」っていうのがあって。走るのも遅くないのですよ。
黒木)そんな青木さんなのですけれども、次のパラリンピックにハンドサイクルで出場するとか。
青木)まだ行けるかどうかわからないですよ。
黒木)でも、そのハンドサイクルで金メダルをリオでお獲りになった方のお話がありましたね。
青木)アレックス・ザナルディ選手ですね。彼はもともとF1のドライバーをしていて、その後にインディカーというアメリカのレースに出たのですけども、レース中に事故に遭って、膝から下を切断することになってしまったのです。でも彼はレースをやめることをしなかったのです。レースを続けるようになったのです。そして、トレーニングの一環としてハンドサイクルに乗ったのです。
黒木)ハンドサイクルは手で漕ぐものですよね。
青木)そうですね。足ではなく、手で漕ぐ自転車です。そのトレーニングをしているなかで彼は、「あれ、これちょっと俺いけるんじゃね?」 「早いんじゃない?」というようなところから、トレーニングを重ねて行って。
黒木)トレーニングの一環で、このハンドサイクルやっていらしたと。
青木)そうですね。
黒木)青木さんも、トレーニングにそのハンドサイクルを取り入れることはあるのですよね?
青木)今回ル・マンに行くときもそうですけれども、取り入れています。やはり体力がつくので。
黒木)パラリンピックもハンドサイクルでぜひ、頑張っていただきたいですけれども、モータースポーツは障害があるなしにかかわらず、みんな同じところでレースができるという素晴らしいスポーツですよね。
青木)そうですね。
黒木)お医者様からは、「もう無理しすぎだ」と言われているそうですが、挑戦を続けるその生き方が青木さんの魅力だと皆さんおっしゃっていますね。
青木)ありがとうございます。本当に感謝しかないなと思います。レースは、ものすごくお金がかかるのです。このル・マンに関しても、1チームが出るために、だいたい1億4000万円かかるのです。
黒木)1億4000万円も、ですか。
青木)スポンサーを含めていろいろな人からの支援がない限り、ル・マンのような夢の場所には行けないと思います。1人の力では絶対に成し得なかったことが、いろいろな人とのつながりや協力があったからこそ叶ったのだと思いす。
青木拓磨(あおき・たくま)/ プロレーサー
■1974年生まれ。群馬県出身
■8歳の時に初めてポケバイに乗り、1990年にロードレースデビュー。群馬の「青木3兄弟」として全国的に知られていた存在。青木さんは次男。
■1995年・1996年、全日本選手権スーパーバイククラスチャンピオン2連覇を獲得。1996年は世界選手権スーパーバイククラスでも優勝。
■1997年には世界最高峰のロードレース世界選手権500ccに参戦、世界ランキング5位を獲得するも、翌年の1998年、開幕前のテスト中に転倒。このちきに脊髄を損傷し、下半身不随の後遺症を負い、以来 車イスでの生活に。
■その後、HRCチームの助監督に就任し、鈴鹿8時間耐久を3連覇させ、レンタルバイクによる耐久レース「Let’s レン耐!」を主宰するなどバイク業界に貢献。
■2007年にレースに復帰。四輪レースに転向。「ダカール・ラリー」などさまざまな四輪レースに健常者と同じ舞台の上で参戦。去年8月には 世界的なレース「ル・マン24時間」にも参戦した。
■またハンドシフトのバイクでサーキットを走行するなど2輪での活躍も注目される。
■今年4月には熊本県にライダー養成所を開設する予定。
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