オープンにするべき沖縄の「ブラックボックス」 米国との「約束」「協議」の秘匿が生む不信
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2022年5月16日 21時5分
![オープンにするべき沖縄の「ブラックボックス」 米国との「約束」「協議」の秘匿が生む不信](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/nipponhoso/nipponhoso_361007_0-small.jpg)
米軍嘉手納基地から飛び立つ米軍RC135偵察機 =21日午前、沖縄県嘉手納町
ジャーナリストの須田慎一郎が5月16日、ニッポン放送「飯田浩司のOK! Cozy up!」に出演。飯田浩司アナウンサーによる現地取材を含め、沖縄の本土復帰50周年について解説した。
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米軍嘉手納基地から飛び立つ米軍RC135偵察機=2013年3月21日午前、沖縄県嘉手納町 写真提供:産経新聞社
1953年から沖縄が本土復帰する1972年まで、沖縄と日本の境であった北緯27度線
1952年にサンフランシスコ平和条約が発効し、日本は主権国家として独立を果たしたが、一方で奄美、沖縄、小笠原はアメリカ軍による統治が続いた。1972年に沖縄は本土に復帰したが、奄美、沖縄、小笠原のうち奄美群島は1953年12月に日本に復帰している。それ以降、奄美群島と沖縄本島の間に事実上の線が引かれ、そこから先は日本とアメリカ軍の施政下に分かれていた。
飯田)1953年から1972年までの約19年間、沖縄と日本の境は沖縄本島と奄美の与論島の間の海上、北緯27度線にありました。当時、沖縄でここにいちばん近い場所だったのが沖縄県の国頭村辺戸岬です。那覇から車で北上すること3時間という、沖縄本島の最北端に当たるところです。
1960年代には、サンフランシスコ平和条約が発効した4月28日に合わせて、沖縄と与論島の両方から船を出して沖縄の祖国への復帰を訴える「4.28海上集会」が行われました。辺戸岬ではかがり火を焚いたと言われています。
1972年5月15日、沖縄本土復帰
飯田)辺戸岬の突端のところにいま来ているのですけれども、ここから北の方を見ると、うっすらと島影が見えます。それが与論島であるということで、双方から船を出し、27度線辺りの海上に集まったわけです。こうした祖国復帰運動の結果、1972年(昭和47年)5月15日、沖縄は日本への復帰を果たしました。そして、沖縄の祖国復帰を記念して建てられたのが「祖国復帰闘争碑」です。台座の部分には「祖国復帰闘争碑碑文」が書かれています。
「祖国復帰闘争碑」碑文
—–
『全国の そして全世界の友人に贈る。
吹き渡る風の音に耳を傾けよ。権力に抗し復帰をなしとげた大衆の乾杯の声だ。打ち寄せる波濤の響きを聞け。戦争を拒み平和と人間開放を闘う大衆の雄叫びだ。
鉄の暴風やみ平和のおとずれを信じた沖縄県民は、米軍占領に引き続き、1952年4月28日サンフランシスコ「平和」条約第3条により、屈辱的な米国支配の鉄鎖につながれた。米国の支配は傲慢で県民の自由と人権を蹂躙した。祖国日本は海の彼方に遠く、沖縄県民の声はむなしく消えた。われわれの闘いは蟷螂の斧に擬せられた。
しかし独立と平和を闘う世界の人々との連帯であることを信じ、全国民に呼びかけ、全世界の人々に訴えた。
見よ、平和にたたずまう宜名真の里から、27度線を断つ小舟は船出し、舷々相寄り勝利を誓う大海上大会に発展したのだ。今踏まれている土こそ、辺土区民の真心によって成る沖天の大焚き火の大地なのだ。1972年5月15日、沖縄の祖国復帰は実現した。しかし県民の平和への願いは叶えられず、日米国家権力の恣意のまま軍事強化に逆用された。
しかるが故にこの碑は、喜びを表明するためにあるのではなく、ましてや勝利を記念するためにあるのでもない。
闘いを振り返り、大衆が信じ合い、自らの力を確かめ合い、決意を新たにし合うためにこそあり、人類が永遠に生存し、生きとし生けるものが自然の摂理の下に生きながらえ得るために警鐘を鳴らさんとしてある』
—–
沖縄復帰後も残る米軍基地の存在
飯田)復帰50年に当たる2022年4月28日にも、辺戸岬で10年ぶりにかがり火が再現され、10メートル近い炎は与論島からも見ることができたということです。祖国復帰闘争碑にあるように、沖縄復帰後も米軍基地が残りました。もちろん安全保障の観点から考えれば、私もそうですが、現時点では在日米軍の抑止力が必要だという意見は多くあります。ただ、面積でみると沖縄本島の約15%が米軍基地であり、規模が大きいということ。あるいは事故などのさまざまな問題に加え、特に沖縄本島中部はいい場所を全部基地で押さえられていて、経済発展の阻害という問題もあります。
基地問題を含め、沖縄に関してアメリカとどういう約束があり、どのような協議が続いているのか ~そこをオープンにして議論するべき
飯田)復帰から50年が経ちます。当時の県民の方々、国民の全員が沖縄の復帰を求め、みんなで力強く日の丸の小旗を振り、復帰させるのだということでやってきた。その想いを胸に、外国の軍隊ではなく、日本国が自分たちの力で国の領土・領空を守るというのが、本来のあるべき姿なのだろうと思います。そこに向け、時間をかけて議論する必要があると思った次第です。須田さんはいかがですか?
須田)これまで基地の問題を含め、アメリカと沖縄に関して、どういう約束があったのか。そして現在までにどういう協議が続いているのか。この辺りがブラックボックスに入っているからこそ、ある種の不信の構図があるのだと思います。そこをオープンにして議論していく必要性があるのではないかと思います。
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