工藤公康「若いころは『とにかくやれ! 投げろ! 走れ!』という感じでした」
ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2022年6月20日 21時25分
![工藤公康「若いころは『とにかくやれ! 投げろ! 走れ!』という感じでした」](https://media.image.infoseek.co.jp/isnews/photos/nipponhoso/nipponhoso_367922_0-small.jpg)
黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「あさナビ」(6月6日放送)に元・福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康が出演。指導者という立場について語った。
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ガッツポーズで入団発表を行った、西武のドラフト6位指名の工藤公康投手(名電高) =1982年(昭和57年)1月12日、池袋の球団事務所 写真提供:産経新聞社
黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「あさナビ」。6月6日(月)~6月10日(金)のゲストは元・福岡ソフトバンクホークス監督の工藤公康。1日目は、野球の指導者であることについて—
黒木)どうしても「工藤監督」と言ってしまいそうになるのですが、退任なさったのが去年(2021年)ですものね。
工藤)そうですね。
黒木)現役時代が29年間ですか。
工藤)25年くらいで先発ではなくなったのですが、その後の4年間はリリーフという役割をいただきました。サウスポーということを活かして活動することができたのです。恵まれていたと思います。
黒木)素晴らしい成績は皆さん、ご存知だと思いますけれども、ソフトバンクを辞められたときにファンの方から送られてきた「戻ってきてください」という嘆願書を大事に持っていらっしゃるのですよね。
工藤)17万6300通あるのですが、お返事もハガキで書かせていただきました。
黒木)お手紙を書かれたのですか?
工藤)はい。
黒木)ファンの方とのつながりを「絆」とおっしゃっていましたよね。
工藤)そうですね。
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工藤公康
黒木)私は息子さんの阿須加君とドラマで共演させていただきました。
工藤)ありがとうございます。お世話になりました。
黒木)そのあとにソフトバンクの始球式に呼んでいただきました。決まってからは「絶対に届くように!」と思ってかなり練習しました。
工藤)そうなのですか。ありがとうございます。
黒木)あの日、ブルペンに呼んでいただいて、監督自らご指導にいらっしゃったではないですか。笠谷投手と一緒に。それで本番前に投球練習をしていただいたのですよね。
工藤)しましたね。
黒木)笠谷選手に細かく教えていただきました。その日の笠谷投手は1回くらいで降板して他の投手の方に代りましたよね。交代するときは選手の方々の状態をご覧になってから決められるのですか?
工藤)そうですね。状態がよくないのに投げさせても、結果が出なくて自信をなくして、次も悪いイメージのままになってしまいますので、よくないときは、いいところで代えてあげるようにしています。特に若い人にはそうしています。そうしてあげることで、また次につながっていくので。
黒木)選手お1人おひとりのことを考えて、「長く野球人生が送れるように」とやっていらしたと伺いましたが、優しいですよね。
工藤)僕らの若いころは「とにかくやれ」「投げろ」「走れ」という感じでした。若い選手が少しでも伸びていくには、それだけではなくて、「なぜやらなければいけないのか」「やったらどうなっていくのか」ということを考える必要があります。
黒木)そうですね。
工藤)僕らは「指導者」という名前が付いています。「導く人」でなければいけないので、「彼がどうなりたいか」ということを踏まえて、なるべくその方向からずれないように進めていってあげる方が、彼にとってもプラスになるだろうと考えてやってきました。
黒木)福岡を1つのふるさとと思ってくださっているようなので、福岡の人たちはみんな工藤さんのことを愛していると思います。
工藤)ありがとうございます。父親が宮崎の出身ということもありましたし、ダイエー時代にはファンの方にすごく支えていただきました。監督を7年間やらせていただいたなかでも応援していただき、支えていただいたので、自分にとって、福岡は本当に「ふるさと」という思いが強いですね。
黒木)まず成績を残されたということと、「工藤塾」と言うのでしょうか、選手1人ひとりに教えを植え付けて、それで飛び立たれた印象があります。
工藤)自分が指導者になるとは思っていなかったのですが、もしそうなったときにはきちんと説明できるような人間になりたいということは、若いときから感じていました。
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工藤公康
工藤公康(くどう・きみやす)/元・福岡ソフトバンクホークス監督
■1963年生まれ。愛知県名古屋市出身。
■名古屋電気高(現・愛工大名電)から西武ライオンズに入団。
1981年の夏の甲子園では、ノーヒットノーランを達成している。
■プロ野球選手時代は14度のリーグ優勝、11度の日本一を経験。
西武ライオンズ・福岡ダイエーホークス・読売ジャイアンツの3球団で日本シリーズを制覇し、優勝請負人と呼ばれた。
■29年の現役生活で通算224勝142敗3セーブ。防御率3.45。
MVP、最優秀防御率、最多奪三振など、数多くのタイトルを獲得した。
■現役引退後は、野球解説者・野球評論家として活動。
■2015年から2021年まではソフトバンクの監督を務め、3度のリーグ優勝、5度の日本一。日本一は2017年から4年連続で、パ・リーグ史上初の快挙。
監督通算成績は558勝378敗42分け。勝率5割9分6厘。
■長男は工藤阿須加(俳優)、長女は工藤遥加(プロゴルファー)。
■ソフトバンクの監督就任前に筑波大大学院に合格。人間総合科学研究科で外科系スポーツ医学を学ぶため2014年から通い始め、在任中に球団の許可を得た上で復学し、得られたデータを球団にも還元するなどして修了し、修士を取得。
■今年2月には筑波大大学院博士課程に合格。この春から博士課程に進んでいる。
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