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1995年 兵庫県に誕生した日本初の臨時災害放送局の裏側 「うちはそういう局じゃない」パーソナリティに激怒したディレクターの『思い』

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2023年1月17日 13時0分

1995年 兵庫県に誕生した日本初の臨時災害放送局の裏側 「うちはそういう局じゃない」パーソナリティに激怒したディレクターの『思い』

1995年、阪神淡路大震災の際、兵庫県に誕生した日本初の臨時災害放送局FM796フェニックスでパーソナリティを務めた臼杵良祐さんが1月17日(火)、ニッポン放送『飯田浩司のOK! Cozy up!』に出演。日本初の臨時災害放送局の開局の裏側を語った。

壁に毛布を張った県庁会議室の仮設スタジオから放送を開始した災害FM局「フェニックス」 撮影:1995年2月15 日午後、神戸市中央区 写真提供:共同通信社


1995年の今日、1月17日午前5時46分阪神淡路大震災が起きた。

あの時、臨時災害放送局FM796フェニックスで情報を発信していたパーソナリティの臼杵良祐さんに当時の様子を聞いた。臼杵さんは民放のテレビ局で4年間アナウンサーとして働き1994年12月に退職。兵庫県西宮市の実家に戻っていたところ、自宅半壊の被災。その後、新聞で知ったボランティア募集に応募した。

臼杵さんは臨時災害放送局FM796フェニックスについて「日本初の臨時災害放送局として、兵庫県が免許を取得して2月15日に開局し3月31日まで、1日8時間の放送を続けた。放送していたエリアは兵庫県の神戸、尼崎、西宮、明石、そして淡路島。またスタジオは兵庫県庁の2階の一角を使用。後半は県庁の地下の倉庫に移転した」と説明した。開局第一声を担当したことについて「当時まだ20代。声が震えた」と述べた。

また、放送で苦労した点について「道路が陥没していたため、定期バスが時間通り走れなかった。代わりのバス、代替バスの運行情報の原稿を読んだところ、ディレクターから『だいがえバスと読め』と怒鳴られた。僕はわずかながらアナウンサーとしての教育を受けていたので読めないと言ったところ、ディレクターは『うちはそういう局じゃない。分かりやすい方、優先なんだ』と。今、思うと確かにそうだったなと分かる」と述べた。伝える情報の裏取りについては「情報を提供してくれた人達を信じるしかなかった。行政の方、公民館の方ならデマは言わない。本当は裏取りした方がいいと思うが1995年当時は携帯やインターネットなどが今ほど普及していなかった時代。ディレクターからは『一刻も早く、被災者の方に情報を届けることが最優先だ』と言われた」と当時を振り返った。

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