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元サッカー日本代表・本並健治、なぜ「腎臓破裂」でもプレーし続けられたのか

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2023年9月4日 10時44分

元サッカー日本代表・本並健治、なぜ「腎臓破裂」でもプレーし続けられたのか

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」(9月3日放送)に、元サッカー日本代表・本並健治が出演。Jリーグ開幕当時の話を語った。

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」

淵澤由樹(アシスタント):本並さんは大学卒業後、1986年に松下電器サッカー部(現:ガンバ大阪)に入団されました。

本並:当時は午前中に働いて、午後3時ぐらいから練習場があった京都に行き、練習していました。

自見はなこ:プロリーグとして「Jリーグ」ができると聞いたときは、どんなお気持ちでしたか?

本並:「どうしようかな」と思いました。松下電器は大きな会社だから潰れることはないので、「部長ぐらいまでいけたらいいな」と思っていたのです。プロ化の話があった当時は27~28歳だったので、プロになっても何年できるかわからないですし。

淵澤:社会人かプロかを選べたのですか?

本並:選べました。最後は「仕事よりもサッカー」という気持ちで選びました。

淵澤:1993年にJリーグが誕生し、社会現象になります。本並さんの生活は変わりましたか?

本並:将来がどうなるかわからないので、お金はしっかり貯めていました。社会人を5年やっていたのですが、反対に1年目の若い奴らは高級車に乗ったりしていて、「クビになったら何もなくなるぞ」と思っていました。

淵澤:外食していると、サポーターから「練習しろ」と怒られたこともあったのですか?

本並:当時はチームが弱かったので。ただ、「夜の8時ごろに言われても練習できへんぞ」と思っていました。

自見:Jリーグがスタートした1993年7月、試合中に腎臓破裂の大怪我をしたけれど、プレーし続けたそうですね。

本並:試合後半、コーナーキックをキャッチしたときに、後ろから膝が入って。肋骨が腎臓をかくような感じで、肋骨も折れてしまいました。でも、メンバー交代枠を全部使っていたし、アドレナリンも出ていたので試合には出続けました。

自見:ゴールキーパーは過酷なのですね。

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