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人生を決めた「小学校6年生のときの運動会」 ニッポン放送アナウンサー・飯田浩司

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2024年1月2日 11時20分

人生を決めた「小学校6年生のときの運動会」 ニッポン放送アナウンサー・飯田浩司

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(12月26日放送)にニッポン放送アナウンサーの飯田浩司が出演。アナウンサーになったきっかけについて語った。

飯田浩司

飯田浩司

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。12月26日(火)~12月29日(金)のゲストはニッポン放送アナウンサーの飯田浩司。1日目は、アナウンサーになるまでの経緯について—

黒木)飯田さんはニッポン放送で月曜~金曜の朝6時から放送のニュース番組「飯田浩司のOK! Cozy up!」を担当されています。本当に、まろやかな感じの方でいらっしゃいますよね。

飯田)そう言っていただけると、ものすごく光栄です。

黒木)ラジオはお顔が出ないので、「どんな方なのだろう」と想像するのですよ。私の印象なのですが、飯田さんは語尾が柔らかいですよね。

飯田)本当ですか?

黒木)語尾を短くしたり、伸ばして「よろしくお願いしまーす」とおっしゃるところに愛情を感じます。朝から穏やかな気持ちで聴かせていただいています。

飯田)ニッポン放送に入ってから、リスナーの方と外の中継コーナーで直接お話しする機会が多かったからだと思います。「こういう人が聞いているのだな」と思いながら話すので、無意識のうちにそういう話し方になっているのかも知れません。

黒木)相手の発言を受け止めて、否定的な戻しをされないではないですか。僭越ですが、「頭のいい方なのだな」と思いました。ニュース番組を担当したくてアナウンサーになられたのですか?

飯田)もともと野球と競馬が大好きだったのです。

黒木)阪神ファンですよね。

飯田)阪神タイガースが大好きで、競馬も大好きで、「スポーツ実況をしてみたい」というのがアナウンサーを目指す動機でした。小学校6年生のときに放送委員会だったのです。

黒木)やはり、そういう時期から技を培っていらっしゃるわけですね。

※画像はイメージです

飯田)そのときに運動会の放送を担当して、「さあ、外から赤が来た! 真ん中から青!」というように帽子の色で実況したら、親御さんからものすごくウケたのですよ。「これは面白い仕事だ」と思いました。ただ、担任の先生からは「私の生徒は馬じゃないのよ」と怒られたのですけれども。それがきっかけですね。

黒木)最初からニュースなのですか?

飯田)入社して半年ぐらいから夕方の番組でお店を回る中継を担当しましたが、中継コーナーが長かったです。朝の番組でリスナーの皆さんに近所の公園などに集まっていただき、じゃんけん大会で「勝った人に5000円差し上げます」というような中継でした。

黒木)そういうところで話術を身につけられたのですね。

飯田)最初は怒られてばかりでした。

黒木)ニュース番組に移ってから、どれくらい経つのですか?

飯田)最初、夕方のニュースが2012年1月にスタートしました。

黒木)10年以上前ですね。

飯田)東日本大震災で福島第一原発の事故が起き、「オピニオンをきちんと聞く番組をつくろう」という機運が高まったころです。最初にプロデューサーから「お前はとにかく話を聞くんだ」と言われました。それまでは、自分の意見を話すのがラジオニュースのスタイルだったのですが、そうではないのだと。とにかく「聞いて、質問だけすればいい」という方針で始まりました。その癖が未だに残っているのかも知れません。

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