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榊原郁恵、デビュー3年後に他界した父との思い出 「ファンレターの返事を父が……」

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2024年1月4日 11時46分

榊原郁恵、デビュー3年後に他界した父との思い出 「ファンレターの返事を父が……」

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」(12月31日放送)に、女優・タレントの榊原郁恵が出演。アイドル時代の話を語った。

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」

ニッポン放送「すくすく育て 子どもの未来健康プロジェクト」

尾木直樹:芸能界デビューして、ホリプロの寮暮らしとなったそうですが、いかがでしたか?

榊原:かなり快適でした。通常は20歳ぐらいになったら寮から出るのですが、私の場合、居心地が良すぎて23歳までいました(笑)。

尾木:お母様は芸能界入りに反対していたそうですね。

榊原:母は「平凡なことが最も難しい」とよく言っていました。女の子として普通に恋愛し、結婚して、幸せになっていく……そんな気持ちで私と接してくれていたのではないかと思います。

尾木:お父様は、ホリプロの会社によく顔を出されていたそうですね。

榊原:父は菓子折りをもって「榊原郁恵をよろしくお願いします。お世話になっています」と言っていました。たまに家に帰ると、私宛のファンレターへの返事を書いていて「郁恵、ここにサイン書け」と。サインをコピーし、写真を入れて、宛名を手書きで書いているのです。

尾木:マネージャーさんのようですね。

榊原:でも私は生意気で、しかも17歳ぐらいだと父親が煙たい存在でした。私は「1人で芸能界を頑張る!」と思っていたので、お願いもしていないのに応援してくれている両親に対して、距離を置きたくて。

淵澤由樹(アシスタント):デビューから3年後にお父様が他界。そのあと「ピーター・パン」が始まるのですよね。

榊原:そうです。「ピーター・パン」は飛んで歌うミュージカル。父がそばにいるような感じがして、安心感がありました。手を合わせると、父が「大丈夫」と送り出してくれるような感じでした。「父に支えてもらって、きょうも飛べた」という想いでしたね。

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