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最後に「先生に診てもらって、いい人生だった」と言われるような医療を続けたい 医療法人「優和会」理事長 松永平太

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2024年3月18日 11時20分

最後に「先生に診てもらって、いい人生だった」と言われるような医療を続けたい 医療法人「優和会」理事長 松永平太

黒木瞳がパーソナリティを務めるニッポン放送「黒木瞳のあさナビ」(3月11日放送)に医療法人「優和会」理事長の松永平太が出演。長寿時代の地域医療について語った。

松永平太

松永平太

黒木瞳が、さまざまなジャンルの“プロフェッショナル”に朝の活力になる話を訊く「黒木瞳のあさナビ」。3月11日(月)~3月15日(金)のゲストは医療法人「優和会」理事長の松永平太。1日目は、終末期医療に取り組む思いについて—

黒木)松永先生は南房総市千倉町にある医療法人グループで、外来診療から在宅看取りまで対応した診療所「松永医院」を拠点に、さまざまな医療施設、高齢者施設、高齢者サービスを整備。街全体で高齢者を支える地域医療を実践されています。お父様の医院を引き継がれたそうですが、「やってみよう」と思った理由は何ですか?

松永)私の父は怖かったので、そんな父が嫌で「東京に行って東京で頑張る」と、私は千倉町を捨てて出ていったのです。ところが、父の具合が悪くなったので戻ってみると、自分の思っていた千倉とはまったく違いました。とても優しいのです。

黒木)地域の方々が。

松永)私が夜遅くまで仕事をしていると、いろいろな差し入れをいただいたり。「先生、頑張れ」というような声に励まされて、気付いたら25年が経っていました。

松永平太

松永平太

黒木)地域の人々の幸せのため、地域医療に尽力しているわけですよね。そこに至った経緯は何ですか?

松永)命を救うだけでなく、そのあとの命を支えるところまで寄り添いたい。町医者ですから、最後に「先生に診てもらって、いい人生だった」と言われるような医療を担いたいと思うようになりました。

黒木)怖いお父さんが開いていた病院に戻って、そういう気持ちに変わった。

松永)そうですね。

黒木)町の方々の温かさがそうさせたのでしょうか?

松永)病院で命が助かった患者さんが、家に帰ったとします。そして我々のような開業医が往診に行き、「何かしたいことや食べたいものはありますか?」と聞くと、「特に何も」と言うのですよ。「何をしてもらいたいですか?」と聞くと、「早く死にたい」と言う。だから助けるだけでなく、助かったあとの命の行方も、医師として支えていきたいのです。「少しでもいいから笑顔をつくっていきたい」という思いの25年間でしたね。

黒木)だからいろいろな医療施設やサービス、高齢者を支える地域医療を実践しているのですね。

松永平太

松永平太

松永平太(まつなが・へいた)/医療法人「優和会」理事長

■1992年、東京医科歯科大学を卒業後、民間病院へ入職。地域医療、看護ケアの大切さ、命を支えるケアを学ぶ。
■父親が倒れたことにより、1997年に父の診療所「松永医院」を継承。
■2000年、介護保健制度施行に合わせ「有限会社ハイピース」にて、訪問看護のための介護ステーション「そよかぜ」創設。2001年、医療法人社団「優和会」創設。
■以降、デイサービスセンター「あそぼ」を設立。社会福祉法人「おかげさま」創設。老人保健施設「夢くらぶ」、「夢ほーむ」、認知症対応型デイサービス「おかげさま」創設。
■2023年、看護小規模多機能「にこにこ」創設。
■2024年には、地域包括支援センターを創設予定。
■医療・介護・福祉を通じて社会貢献することを使命とし、「“いのち”を助け、“いのち”を元気にし、“いのち”を輝かせる」ことを経営理念として掲げる。いまの命を助けるのは医療者として当たり前であると考え、「患者の未来の笑顔を守ること」を使命とし、多職種協働を図っている。

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