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家族の思い出の地・三宅島で青パパイヤ農家に「少しだけでも親孝行ができたんじゃないかな」

ニッポン放送 NEWS ONLINE / 2024年11月14日 5時0分

家族の思い出の地・三宅島で青パパイヤ農家に「少しだけでも親孝行ができたんじゃないかな」

先日、スーパーの野菜売り場で「おや?」と目を引くものを見つけました。まるでラグビーボールのようなあの野菜。

それぞれの朝は、それぞれの物語を連れてやってきます。

パパイアを育てる塩田冬彦さん

パパイアを育てる塩田冬彦さん

それは、「青パパイア」。熟したパパイアは黄色く柔らかくなり、果実として食べますが、未熟な「青パパイア」は、野菜として、様々な料理に使われています。
近では、関東近県でも露地栽培が行われ、秋から霜が降る12月頃まで出回っています。

この「青パパイア」が東京でも採れるんです。どこだと思いますか?

東京都三宅村。竹芝桟橋から東海汽船に乗って6時間半……、伊豆諸島の三宅島で、青パパイアが栽培されています。三宅島で「汐田ファーム」を営む塩田冬彦さんは54歳、中野区の出身です。

塩田さんは、子供の頃から人と話すのが苦手で、内向的な性格でした。中学に入ると勉強がよくできて、高校は都立西高校へ進学します。高校ではアメフト部に入り、スポーツに打ち込みますが、勉強を怠り、大学受験に失敗。予備校に通い勉強漬けの毎日に、心身のバランスを崩し、この世の不条理や無常について思い悩み、“出家”も考えたそうです。

ビニールハウスで育つパパイア

ビニールハウスで育つパパイア(汐田ファーム)

心配した父親が、こう励ましてくれました。

「冬彦、悩んだところで何も始まらなんぞ。まずは大学に行ってみろ」

一浪の末、北海道大学に見事合格しますが、学内でも友人を作らず、孤独な日々が続きます。座禅を始めたのもこの頃です。

文学や哲学書を貪るように読み、「自分はどう生きるべきか?」そればかり考える日々が続きました。その後、法政大学大学院で英文学を学び、文芸評論家を目指すものの、これもなかなかうまくいきません。

そこで体力に自信があった塩田さんは、実家の内装業を手伝ったり、建築現場でアルバイトをしたり、体を使い汗を流す、その気持ちよさに触れ「ああ、俺は、頭でっかちになっていた!」と気づきます。

ビニールハウスで育つバナナ

ビニールハウスで育つバナナ(汐田ファーム)

体を使う仕事が自分には向いている。そうだ、農業はどうだろうか? 都会の生活は自分には合わない。山の中で自給自足の農業をしてみたい、と自然農園を営む農家を訪ね、住み込みで農業のイロハを学んだ塩田さんは、子供の頃に家族でよく旅行した三宅島を移住先に決めます。これが「汐田ファーム」を始めるきっかけでした。

はじめは自然が大好きな父親の老後のために、別荘地を用意してあげたいと海を望む1000坪の原野を購入し、開墾を始めます。

資金が尽きると東京に戻って肉体労働をし、お金が貯まると三宅島に戻り、開墾を続ける……その繰り返しでした。

2000年(平成12年)、やっと三宅島に住めると思った矢先、三宅島が大噴火。全島避難を余儀なくされてしまいました。

たわわに育つパッションフルーツ

たわわに育つパッションフルーツ(汐田ファーム)

一旦、中野の実家に帰った塩田さんが、再び、三宅島に戻ったのは4年後のことでした。都会暮らしがいいと言う母親を兄と弟にまかせ、塩田さんは父親と共に、三宅島で「汐田ファーム」を始めます。

最初に育てたのは「アシタバ」でした。ところが、身長が182センチもある塩田さんは、腰をかがめる農作業で腰を痛めてしまい、やむなくアシタバ栽培は断念します。

次に育てたのが、棚に蔓が伸びる「パッションフルーツ」でしたが、無農薬のため、病害虫の被害が出て、思ったほど収入が得られません。作りやすくて、収入が得られる農作物はないものかと探していた塩田さんは、「パパイア」と出会います。

最初は果物として栽培を考えましたが、熟したパパイアは、実が傷みやすく商品になりにくい。しかし、「青パパイア」なら傷まずに出荷しやすい。刻んで豚肉やニンジンと一緒に炒めるとシャキシャキして、これが旨い! ビニールハウスで栽培するので、真夏以外は、ほぼ一年中収穫が可能で、次々と連続して実をつけます。ビニールハウスの天井を突き破るほど成長が早く、3メートルほどで伐採しますが、すぐに横から芽が出てきて、1年ほどで実が成るそうです。

塩田さん親子

塩田さん親子

「パパイアが大きく育ったとき、おやじが一番喜んでくれたんですよ。その父も、昨年5月、86歳で亡くなりました。がんを患いましてね、東京の病院で手術を受けたあと、亡くなる1ヶ月前に三宅島に戻り、静かに息を引き取りました。おやじには苦労ばかりかけましたが、
三宅島の暮らしは、少しだけでも親孝行ができたんじゃないかなと思っているんですよ」

詩集や句集も出されている塩田冬彦さん。最後に一句、ご紹介します。草むらに埋もれたカボチャを自分にみたて、思い悩んだ末の悟りの心境を詠みました。

『慈悲ゆえに 草に埋もるる 南瓜かな』

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