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【思い続けて15年、エルヴィスにお願いしたある事とは?】音楽評論家湯川れい子“夢のかなえ方”

日テレNEWS NNN / 2024年6月28日 19時0分

日テレNEWS NNN

「日本へ行きたい…」。空手の有段者で黒帯を持つエルヴィス・プレスリーは、そう語った。その夢がかなわなかった真相とは?エルヴィス・プレスリー、ザ・ビートルズやマイケル・ジャクソンなど、数多くの伝説の大スターを直接取材してきた音楽評論家で作詞家の湯川れい子さん。数々の取材秘話の中から、エルヴィスにとんでもないお願いをしてOKをもらったお話について聞きました。

■エルヴィスに会うため海外旅行が認められた年に単身アメリカへ

1964年当時の湯川れい子さん

私たち一般の人間が500ドルという外貨を買えるようになったのは、東京オリンピックがあった1964年からです。だから、夢がかなって、私はその年に初めてアメリカへ行くんです。エルヴィスを聴き始めてからもう8年もたってる訳ですから、もうエルヴィスに会いたい一心。何が何でも会いたい!って思いで、チケットを握りしめてアメリカに渡りました。今考えると、その時は何という無謀なことをしたんだろうと思いますけど…。

でも、会うのがどんなに大変かは分かっていました。だって、エルヴィスはアメリカのジャーナリストも含め、一切のインタビューを受け付けていなかったんです。もちろん日本のレコード会社がコンタクトするなんて出来ない。まだ、日本のレコード会社に、洋楽のセクションもない頃ですから。

それで、1960年代に入りパット・ブーンという、アメリカでエルヴィスと人気を二分する人が日本にコンサートで来るんです。パットを呼んだのは、やがて日本のプロモーターとしてビートルズなども手がけるようになる永島達司さんという方なんですけど。その頃の外国人のコンサートって必ず司会者がいて、私は達司さんに「ただでやりますから、是非やらせてください」とお願いしてパットのコンサートの司会をさせてもらいました。パットと仲良くなれば、エルヴィスを紹介してもらえると思ったんです。こんなに強力なことはないと。

それで、64年に念願かなって500ドルを持ってアメリカに行き、2週間ぐらいロスにいたんです。すぐそばにエルヴィスの事務所があることは分かっていたので、真っ先にパットの事務所を訪ねて「エルヴィスにつないで欲しい」って言ったら、パットがその場で電話をかけて「Reiko Yukawaというジャーナリストが日本から来て、エルヴィスに会いたがってる。何とかしてやってくれ」と言ってくれて、そうしたら「わかった」と返事があったんです。それで、その時はエルヴィスのお父さんから電話がありました。「何とかする」って言われて連絡が来るのを待ったんですけど、そのお父さんからの連絡が1回きり、それっきりでした。

マネジャーのトム・パーカーはとんでもない人で、オフィスに電話してもマネジャーにさえつないでもらえないし…。それで、今でも覚えてますけど、飛行機からロサンゼルスの街の明かりを見下ろしながら、会えなかったと涙をポロポロこぼしながら帰ったのを覚えています。

■初めて歌声を聴いてから15年。ついに夢がかなった

1971年エルヴィスと初対面

15年かかりました。15年です。歌手活動を再開したエルヴィスが、1960年代後半からラスベガスのステージに出るようになっていて、それが1970年に『エルヴィス・オン・ステージ』という映画になって、日本でも大ヒットするんですね。

それで、音楽評論家の福田一郎先生が「ラスベガスまで行けば、エルヴィスのステージが見られるんだぞ」って仰って、音楽業界みんなで見に行くことになって15人ぐらいのツアーを組んでラスベガスへ行ったんです。その時に、ずっとエルヴィスの担当ディレクターをしていた高橋さんという女性が一緒で、ニューヨークのエルヴィスのレコード会社に電話をかけ続けて、「日本から、日本を代表する音楽ジャーナリストたちがたくさん行くから、エルヴィスに会わせてください」って、ラスベガスに着くまでずっと電話していらっしゃいましたね。そうしたら「では、男性2人、女性2人とお目にかかります」という連絡が来たんです。

■エルヴィスとの初対面は“石けんの匂い”

初めてエルヴィスに会いました。たった10分か15分ぐらいでしたけど。考えていたほどの背の高さではなくて、それでも180センチぐらい。石けんの匂いがするような、すごい清潔感の漂っている人で、全く世間ずれしていなくて。例えば私のような初めての人間に会うのも恥ずかしくて、頬を染めてっていうような。本当に田舎の南部の青年のままのような人でしたね。

本当にわずかな時間だったんですけど、「本当に日本に来ていただきたいです。日本に行ってみたいっていう気持ちはありますか?」って聞いたら、「もちろんあります。僕は日本を武術の面からマーシャルアーツ(武芸)の国として非常に尊敬していて、講道館に行きたい。僕は(空手の)黒帯を持っています」って。そんな話をちょっとしたぐらいですね。すぐに「これでおしまい」っていう声がマネジャーのトム・パーカーから掛かって。一緒にピンぼけの写真を撮って、その時のピンぼけの記念写真があるきりですけど。それが71年、初めて会った時です。

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■エルヴィスが来日出来なかった驚くべき理由

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トム・パーカーというマネジャーは くせ者で、2022年に公開された映画『エルヴィス』にも出てくるんですけど。彼はオランダからの不法移民だったために、生涯アメリカ人としてのパスポートを持てない人だったんです。それをみんなに内緒にしていたので、エルヴィスがいくら「日本に行きたい」と言っても、トム・パーカーに潰されてしまったんです。

■結婚の証人になってくれたエルヴィス お祝いは?

だけど、その時に会ったことをきっかけに、マネジャーのトム・パーカーの右腕、女房役といわれたトム・ディスキンという人を通して、エルヴィスに色々話ができるようになるんです。それで、2年後の1973年に私がエルヴィスのファンだった男性とラスベガスで結婚することになり、その時に「結婚の証人になってほしい」と、とんでもないことをお願いして証明書にサインをしてもらいました。エルヴィスから「お祝いに何が欲しい?」って聞かれたので、「品物よりも、チューしてください」って言ったんです。そしたらエルヴィスが頬を真っ赤にして、結婚相手に「よろしいでしょうか?」って聞いてくれたんです。そしたら結婚相手が「僕がしてほしいです」って。「じゃあ、喜んで」って、そんな感じのチューでした。

結婚の証明書にサインをしてもらう

■湯川流 夢をかなえるために

よく「夢は、思えばかなうんですね?」って、今でもX(旧Twitter)とか色んなお手紙とかで言われるんですけど、私はただ胸の中で思うだけではなくて、じゃあ何かその夢にたどりつける道はないかなって考えます。どんな小さな道でも、脇道でも、たどりつける道を自分なりに一生懸命たどっていこうとすれば、たどり着けるんじゃないかと思う。夢ってそういうもんじゃないかなって思います。

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