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爆音も聞こえない…聴覚障害者の“声なき声” ガザ侵攻まもなく1年

日テレNEWS NNN / 2024年10月5日 17時54分

日テレNEWS NNN

パレスチナ自治区ガザ地区での戦闘開始からまもなく1年をむかえます。

住む家を追われ避難生活を強いられる聴覚障害者の“声なき声”を取材しました。

     ◇

2日、私たちは都内にあるNPO法人へ。

NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」手島正之さん「広くいろいろな方々が同時に学べるようにと」

見せてくれたのは、パレスチナ自治区ガザ地区での支援活動の写真です。NPO法人「パレスチナ子どものキャンペーン」が32年前に設立した「アトファルナろう学校」。

(戦闘が起きる前の映像)

先生「これは食べること、これは飲むこと」(手話を教えている)

生徒「これは水です」

先生「そう!水です」

ここでは、350人以上の聴覚障害者が学んでました。

手島さん「もう常に学ぶ喜びというか、そういったものが溢れてるような教室でした」

そんなアトファルナろう学校があった場所は…

手島さん「アトファルナがここらへん。すぐ近くのここがシファ病院です。イスラエルの爆撃にあい、病院自体がイスラエルに占拠されて、燃やされたという病院です」

イスラエル軍による攻撃を受け、大勢の犠牲者が出たシファ病院。その近くにあったアトファルナろう学校も、爆撃で破壊され、がれきと化してしまいました。

私たちは、ろう学校に通っていたナイーラさんに話を聞くことができました。

記者「去年10月以降、耳が聞こえないことで怖い経験をしたことはありますか?」

ナイーラさんは生まれつき耳が聞こえないため、質問を手話に訳してもらいます。

ナイーラさん(手話)「攻撃を避けながら何回も避難しました。どこに行けばいいのか分かりませんでした。どこに行っても食べるものがなく、飲めるものもありませんでした」

爆音や周りの人の叫び声が聞こえないナイーラさん。状況が分からず、いつ命を落とすか分からないという恐怖に怯えながら避難生活を送ってきました。

そうした中、自宅がある北部に戻ろうとした弟が行方不明に。同じ聴覚障がいがあり、手話で会話できる数少ない相手でした。

ナイーラさん(手話)「弟とはいつも一緒に過ごしていました。(手話では)誰ともコミュニケーションがとれず、孤独を感じています」

戦闘により、ろう学校の子供たちも平穏な暮らしを奪われました。

ろう学校のスタッフ・フィダーさん「子供たちのほとんどは、度重なる避難と攻撃で、補聴器具をなくしてしまいました。「爆撃があっても、その音は聞こえませんし、誰かに伝えることもできません」

多くの子供たちの安否も分からない状況です。

先の見えない避難生活。そんな中でナイーラさんが始めたのが日本からの寄付による炊き出しへの参加。

ろう学校で調理を学んでいたナイーラさんは──

ナイーラさん(手話)「炊き出しで働くことはとても楽しいです」

ガザの人々を支えてきた日本の支援。

「パレスチナ子どものキャンペーン」手島正之さん「本当に人間が暮らせるような環境ではない中で毎日生きている。障害者であっても困った方々への支援を提供できるんだと、それを分かってほしいんですという意味で(支援には)非常に大きな意義があり、今後も続けていかなければいけないと私は思ってます」

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