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停戦合意後のレバノンの様子は…首都ベイルートに住む日本人が見た“停戦合意直前の攻撃”とは

日テレNEWS NNN / 2024年11月28日 10時31分

日テレNEWS NNN

イスラエルとレバノンの停戦合意が発効し、攻撃の応酬が続いていたイスラエル軍とイスラム教シーア派組織ヒズボラとの戦闘は停止された。停戦を受け、街の様子はどうなっているのか。レバノンの首都ベイルートに住む日本人チューバ奏者・岡島征輝さんにオンラインで聞いた。

■数キロ先が空爆を受けても街には「日常の生活」が

――レバノンに住んでいる経緯について教えていただけますか?

レバノン国立フィルハーモニー管弦楽団というオーケストラに、楽団員として所属しています。今年3月から毎月2、3週間、ベイルートに来ていて、今年9月中旬からレバノンに本格的に移り住みました。

――移住はイスラエルとヒズボラの戦闘がさらに激化したタイミングですが、大規模な攻撃が始まった後、街の様子はいかがでしたか?

レバノンに着いたのは今年9月18日で、数日後にヒズボラのナスララ師のテレビ演説があり、ベイルート南部で空爆が激しくなってきました。9月下旬ごろから、イスラエルとの国境に近いレバノンの南部から、ベイルートに避難してくる人が増えました。9月下旬から10月初旬は、住むところが見つからず、路上で生活しているような人たちがたくさん見受けられました。

――その後も戦闘は続きましたが、停戦合意まで、街の状況はどのように変わりましたか?

9月下旬から10月初旬はベイルートの南部、市街地から国際空港までのエリアが主に空爆のターゲットでした。それがだんだんと広がっていき、イスラエル軍のアラビア語の報道官が、SNS上で「これからこのエリアを空爆します」「この地図に書かれている人たちは避難してください」という案内を頻繁に出すようになっていきました。

ただ、私が住んでいるベイルートの西部は、それほど空爆の影響を受けなかったので、街は全てが日常通り動いていました。ベイルートは非常に小さな街なのですが、数キロ先が空爆されているのに、何もなかったところは日常の生活が行われていて、不思議な感覚を覚えながら暮らしていました。

■停戦合意直前にベイルートにも猛攻撃 「停戦に入る前にこれでもかと」

――岡島さんが住んでいるエリアは空爆の対象にはならなかった?

これまではなかったのですが、停戦が合意されるんじゃないかという報道が出てから、ネタニヤフ首相のテレビ演説までの時間、かなりの空爆、猛攻撃を受けました。私の住んでいるところから約500メートルの地点も空爆するとの予告が出て、このあたりの住民が一斉に逃げ出すということがありました。

幸い私の住んでいるところは被害を受けずにすみましたが、停戦の話が出てから、26日夜から27日の朝まで、自宅にいると、これでもかというくらい、空爆らしき音が何度も聞こえました。26日の午後も、ベイルートの中心部にいたんですが、ものすごい数の爆音を耳にしました。

――岡島さんも避難された?

避難はしていないです。26日の午後から夜にかけ、避難するところがないくらいたくさんの場所で空爆予告が出ていました。ベイルートは狭い街ですから、26日午後3時か4時ごろ、中心部から自宅に向かおうと思ったら、道は車で混んでいて、街から逃れできるだけ北の方に行こうとか、山の方に行こうとか、そういう人たちの車で交通が麻痺している状態でした。攻撃されている場所も近いわけですから、救急車なども立ち往生していて、かなり街は騒然としている様子が見られました。

――その当時と比べ、停戦合意が発効された後はどのように変わりましたか?

27日朝は平日にもかかわらず、人々の動き出しが遅い感じがしました。週末のような感じで、午前10時ぐらいまではわりと静かでしたね。26日の段階で、レバノン教育省が、国内の全ての教育機関を臨時休校にするという通達を出したので、学校や全ての教育機関が閉まり、子どもたちが学校に通うということもなかったので、それもあり27日の朝は静かでした。午前10時過ぎに買い物に外に出たんですけれども、このあたりに避難していたしていた人が、車に家財道具を詰め込み、街を離れて住まいのあるところに戻ろうとしているような様子を見かけました。

――停戦合意という一報を聞いて、どう感じましたか?

ぬか喜びできないなというのはありましたね。アメリカから特使が来たりして停戦に向け動いているという話はありましたけど、猛攻撃があり、本当にベイルートの中心部でもかなり予告なしの空爆もありましたから、にわかには信じがたいな、という印象がありました。

――楽団の方々とは停戦合意について話したりしましたか?

まだしていません。どうしてもまだ我々のオーケストラだけではなく、国内中が文化活動をおおっぴろげにはできない状況というのが9月から続いているので、28日以降に色々会議をし、これからのことを決めていく形です。

■今の願いは「全ての人の日常が戻ること」「音楽を通じてレバノンの若者の将来を明るく」

――今後レバノン国内の情勢がどのように変わっていってほしいと思っていますか?

レバノンで私は新参者ですし、事情もよく理解してないところもありますが、やはり教育現場にも携わる身なので、音楽を通じレバノンの若い人たちの将来が明るくなるといいなと思っています。社会の混乱は、若い人たちの将来には関係のないことですから。

そして、ここに暮らしている私だけではなく、全ての人たちが日常生活に戻れればいいなと思っています。とにかく私が住んでいる地域は、町や村が全て破壊され、家財道具を持てるだけ持ち、車に詰め込んで逃れてきた家族連れが押し寄せている地域なので、実際に戻る家がない人もいるはずで、そういった人たちの生活が早く元通りになれば、と思っています。

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