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頭部には“切断の痕”…ノートルダム大聖堂の地下で発見 数百年前の遺体は一体、誰? フランスで議論に

日テレNEWS NNN / 2024年12月30日 10時0分

日テレNEWS NNN

オリンピックイヤーの締めくくりとなる2024年末、パリではもう1つの大イベントがクリスマスシーズンの華やぎに彩りを添えた。ノートルダム大聖堂の再開である。大規模火災から5年がたち、ついに一般公開が始まったのだが、その裏で議論になっているのが“地下から発掘された謎の遺体”だ。頭蓋骨は半分に切断されていて「一体、誰なのか?」と話題になっている。

■中世のノートルダム大聖堂 実は“カラフル”だった?

「パリ発祥の地」として名高いシテ島。そこに鎮座するノートルダム大聖堂は860年以上前に建設が始まり、歴史は長く、市民にパリの“心臓”と呼ばれている。しかし、2019年に起きた火災では大聖堂の屋根組が焼失し、聖堂の内部も大量の灰とガレキに覆われた。世界中の人々がこの悲劇に心を痛めたが、ある人々にとっては“千載一遇”の機会でもあった。フランス国立の専門機関・INRAPの考古学者たちだ。修復前に緊急で発掘を行うことが許され、彼らは地下から次々に歴史的な発見をした。

発見されたキリストの彫刻

大発見の1つは「13世紀初頭の壁の破片」。聖職者しか入ることのできない教会の奥の部分と身廊を仕切っていた壁で、見つかった破片は1000個以上。キリストの彫刻や大聖堂をかたどった柱も、赤や青の色彩をはっきりととどめている。現在の姿からは想像できないが、中世のノートルダムは派手な色に塗装されていたのだ。発掘を主導した考古学者のクリストフ・ベニエ氏によると「破片が13世紀の色彩を保っているのは異例」だという。

赤や青に色づけされた彫刻

破片を展示しているクリュニー中世美術館のダミアン・ベルネ氏は、当時、「聖堂内に入った訪問者が、まず目にするのは、このカラフルな一連の彫刻の壁だった」と、その重要性を強調する。今回の発見により、中世のノートルダム内部を再現できると期待が高まっている。

■頭部を切断された“謎の遺体”

地下から見つかった鉛の棺

さらに、歴史マニアの想像をかき立ててやまないのが、大聖堂の中心部の地下から見つかった「2つの棺」である。棺は遺体の体形に合わせ鉛で作られた特製のものだった。研究者たちがその1つを切断し、ふたを開けると、中には人骨が…。どのような骨が現れても、研究者たちにとって感慨深いものだったに違いないが、遺体の頭部を見た彼らは、次のような疑問を抱かずにはいられなかった。「なぜ頭蓋骨はきれいに切断されているのだろうか?」と。

地下から発見された棺の遺体(提供:ZED、Inrap)

数百年の時を超えて21世紀に姿を現した、この“人物”は誰なのだろうか。キリスト教の教会には墓地としての役割があり、建物内外で棺や土葬の遺体が見つかること自体は驚くことではない。しかし、大聖堂の中心を通る2本の回廊の交差部、そしてミサが行われ聖職者だけが立ち入れる内陣に近い、いわば墓地の“一等地”で見つかった棺は、人びとを色めき立たせた。

2つの遺体のうち、1人の身元は簡単に特定された。棺おけの表面に名前が刻まれていたからである。その後の分析により、「アントワーヌ・ド・ラ・ポルト」という18世紀初めに亡くなった聖職者であると判明した。

■法医学者が分析…その結果は?

エリック・クリュベジ教授

問題は、頭蓋骨が切断されている、もう1体の方である。この調査に乗り出し“身元を特定した”と主張するのが、法医学者で人類学者のエリック・クリュベジ教授である。最新の設備を備えたトゥールーズ大学で分析チームを率いた。

クリュベジ教授はこの人物が「30代で死亡したとみられ、死亡時には結核性髄膜炎であった」ことを突き止めた。そして、ノートルダム大聖堂の埋葬事務に関する資料と格闘した結果、この人物は、詩人ジョアシャン・デュ・ベレーである可能性が「かなり高い」と考えている。ジョアシャンは1560年に30代の若さで死亡したと伝えられている。記録によれば、大聖堂のどこかに埋葬されているはずだった。

根拠はまだある。ジョアシャンの詩作を読み返すと、頭痛やひどい耳鳴りに悩まされていたことが分かった。結核性髄膜炎は頭痛や聴覚障害を起こす可能性があり、症状は一致する。また、パックリと穴の開いた頭蓋骨については、当時の文書に“ジョアシャンの脳が充血や脳卒中などの症状を示していた”と書きとめられていた。これは脳が解剖されていたことを示すと、クリュベジ教授は考えている。

■埋葬はカネ次第…?

今日、フランスの小学生は誰でもジョアシャンの詩を暗唱させられる――それほどの国民的詩人である。しかし偉人となったのは後世の話で、教授によれば、ジョアシャンは本来、ノートルダム大聖堂に埋葬されるべき肩書を持たない人物である。では、なぜ埋葬されたと考えられるのだろうか。

教授は「カネのちからが物を言った」と説明する。もう1つの遺体のアントワーヌ・ド・ラ・ポルトは生前、ノートルダムに高額の寄付をしていた。聖堂内の“特等席”を確保できても、何ら不思議のない人物である。一方のジョアシャンは、ローマにいる親類の枢機卿やパリの司教などの有力者の庇護を受けていた。当時の議事録によると、その有力者らが費用を持つという条件で埋葬が許可されていた。「死後の世界もカネ次第」というわけだ。

■それでもミステリーは続く…

ノートルダム大聖堂の新しい内部

ただ、発掘から関わっている考古学者のチームは“別の人物”の線を考えているようだ。骨の成分から出身地を推定する同位体分析を行った結果、遺体の人物は「パリで成長した人物」であることを示しており、これが地方育ちのジョアシャンとは矛盾するという。「調査は続行中」と慎重な姿勢を崩していない。ミステリーは、まだまだ終わらないのである。

輝きを取り戻し、美しい内部にも入れるようになったノートルダム大聖堂。訪れた際には、足元の歴史に思いをはせるのも、また一興かもしれない。

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