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珠洲は今──1年たっても「まだ水が出ない」「相当異常」 再建から10日で…2度目の自宅被害、“思い出の場所”で迷う心

日テレNEWS NNN / 2025年1月2日 13時9分

日テレNEWS NNN

能登半島地震から1年。鈴江奈々アナウンサーが、石川・珠洲市で取材しました。地震や豪雨で被害を受けた神社の宮司は、最も必要なものにインフラを挙げました。思い出の場所にあった自宅が2度壊れた70歳の男性は、気持ちが揺らいできているといいます。

■本殿の公費解体が終了したのは12月

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鈴江アナウンサーが訪ねたのは、珠洲市で600年近く続く羽黒神社の宮司、高山哲典さんです。1年前の地震で神社は倒壊。手つかずだった本殿の公費解体がようやく終わったのは、去年12月のことでした。

「寂しいですけど、しょうがないですよね。潰さないことには次に進まないですから」と高山さんは話します。

■夜の町は「真っ暗で誰もいない」

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高山さん

「お正月の初詣(参拝客)は相当少ないかなと思っています。帰省諦めたというか、帰省しても家がないですから。泊まる場所もないですから」

鈴江アナウンサー

「地域の変化は、1年振り返ってどういう状況ですか?」

高山さん

「夜来るとわかるんですけど、真っ暗で誰もいないですから。ゴーストタウンでしょうかね。歩いていると怖いですよ、本当に。誰もいないので」

■146人死亡、5000棟以上に被害

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去年元日の地震で、珠洲の町は一変しました。12月24日時点で災害関連死を含めて146人が亡くなり、5573棟の住宅被害がありました。

高山さんが管理する別の神社も、崩れてしまいました。「ひどいですよね」と高山さん。地震では無事でしたが、去年9月の奥能登豪雨で全壊しました。

高山さん

「またかよ、という感じですよね。踏んだり蹴ったりで」

■渡すことができた新年のお札は半分に

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かつて交流があった人たちの姿も、今はありません。

毎年、高山さんが1軒1軒訪問し、新年のお札を渡してきました。今は、どこに誰が住んでいるかわからないため、神社の中で配ることにしました。一人ひとりに渡す神事を始めるという高山さん。「何人来られるかわかりませんけど…」

この日集まったのは、わずか5人でした。高山さんはおはらいをし、「くれぐれもよいお年をお迎えください」と挨拶しました。直接お札を渡せた人を合わせても、前回(一昨年)は約120体、今回(去年)は約70体と半分ほどになりました。

■「1月1日のまんまなのは相当異常」

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鈴江アナウンサー

「どういうことを助けてもらえたらいいなと思いますか?」

高山さん

「一番はインフラですよね。12か月目なのに、まだ水が出ないという人がいるんですよ。そういう現実が同じ日本であるというのは、なんか変ですよね。これが(1月)1日のまんまというのは相当異常だと思うんです」

■震度6強…2023年の地震でも被害

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鈴江アナウンサーは歩きながら、「町に生活の音がひとつもありません」と言います。人がいなくなった町。今も珠洲に住んでいる人達は、今後どうしていくか葛藤しています。仮設住宅に入居している濱塚喜久男さん(70)もその1人です。

「狭いですよ、本当に狭いですよ」と仮設住宅の中を案内してくれました。タクシーの運転手をしながら、娘と2人で暮らしています。住居は必要最小限のスペースのみです。

以前住んでいた自宅は今、更地になっています。実は、濱塚さんが自宅に住めなくなったのは今回が2回目です。

珠洲市では一昨年5月にも、震度6強の地震が発生。この時、濱塚さんの自宅は半壊しました。500万円以上をかけて家を修理しましたが、1年前の元日の地震にも襲われます。

■再建から約10日で「ぺっちゃんこ」

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タクシーを運転中だった濱塚さんは車を降りて避難しましたが、乗っていたタクシーは目の前で津波に流されました。自宅も、再建から約10日で再び潰れてしまいました。「10日ほどでぺっちゃんこになったんですね」

当時も「こんなの見ると、2回3回遭うと、もう限界ですよ」と嘆いていました。ただ、濱塚さんはここに特別な思いを抱いています。

■6人の孫がよく遊んだ思い出の場所

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濱塚さん

「海もきれいでね。ついこの間まで、小学校の海水浴場の指定場所でもあったんですよ。孫が来て、よくそこで泳いだりしたところなんです。夏休みになるとみんなこれを楽しみに来ていたんですよ、ここへ。この海とかいろんなところで遊ぶために」

地震前は、6人の孫がよく遊んでいた思い出の場所です。

濱塚さんは「私の思い出もいっぱいあるし、孫らもいっぱいここに思い出あるんですよ。それを、ここなくすとなったら全部その思い出もみんな捨てるみたいな感じで…。地震もひどかったですけど、やっぱり楽しい思い出のほうを思いたい」と言います。

この場所に残るかどうか、濱塚さんは迷い続けています。「地震でいっぺんに変わりましたね。残りわずかな人生ですけど」

■時間がたち…気持ちに揺らぎも

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鈴江アナウンサー

「この場所にまた再建を考えていらっしゃるんですか?」

濱塚さん

「どうしてもね、いろんな思い出もあってここに建てたいんですけど…。と思ってたんですけど、時間がたつにつれて気持ちも揺らいできましたね」

「想像以上にお金がかかるみたいですし、周りが誰も帰ってこないような気がするんですよ。私はまだグラグラのまんまで、気持ちがまだちょっと固まらないですね」

■半島の先端…ボランティアも少なく

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年が改まり、能登半島の被災地は2回目の元日を迎えました。

鈴江アナウンサー

「濱塚さんは、地元の工務店も手いっぱいで再建のためにいくらかかるのかわからず、なかなか未来を描けないとおっしゃっていました」

「復旧が進まない理由を市役所で聞きました。珠洲市は半島の先端でアクセスしづらいため、ボランティアも他の地域と比べて少ないといいます」

「一方で、地元の工務店はこの1年休みなしで動き続けています。東京や愛知から応援で駆けつけて工事する方にも出会いました。そうした人たちの頑張りがあって、ここまで進めています」

「雪の季節で復旧の手も止めざるを得ない状況ですが、新年を迎えた今も多くの力を必要としています」

(1月1日『news every.』より)

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