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【能登半島地震】輪島にある“町唯一のスーパー” 「暗い顔できない」「復興元年に」店主の奮闘 町の再生へ…目指す未来は?

日テレNEWS NNN / 2025年1月2日 19時20分

日テレNEWS NNN

能登半島地震から1年。石川・輪島市にある、町で唯一のスーパーが奮闘しています。地震後は停電しても店を開け、去年9月の豪雨も乗り越えて営業を再開。住民たちの心のよりどころにもなっています。店主はみんなで町を再生しようと、新たな挑戦を始めます。

■地震で壊れた家、豪雨で流された木々

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能登半島の北部に位置する、輪島市の町野町(まちのまち)。地震で倒壊した家屋の多くは手つかずな上、豪雨で流された木々が積み上がります。

この町で営業を続ける「もとやスーパー」の入り口には手書きの看板のほか、ピアノも置いてありました。店を営むのは本谷一知さん(47)。藤井貴彦キャスターが取材で訪れ、本谷さんに店内を案内してもらいました。

藤井キャスター

「奥には生鮮食料品もあるんですね」

本谷さん

「これは地元のお客さんが、ちゃんと生ものを買えるような場所ということで。この辺、野菜・お肉でメインがお魚ですね。朝どれのお刺し身は飛ぶように売れます」

■商品のように陳列された支援物資

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スーパーに並ぶ刺し身は各地から届くといいます。そして、全国から届くものは商品だけではありません。「物資コーナー」と書かれた一角に、日用品や服が置かれています。「これは全国から届いた支援物資なんですよね。支援物資を陳列してるんですよ」と本谷さん。

藤井キャスター

「支援物資はただ(なんですね)」

本谷さん

「全部0円で(値札を)つけてます。きれいに並べて」

支援物資も商品と同じように並べ、手に取りやすくしているといいます。本谷さんは「楽しんで支援物資を選べるという形です。1円にもならないけど」と言います。

全国から物資を託されるのは、もとやスーパーが町で唯一のスーパーとして、住民の生活の中心となっているからです。

■地震で停電も…1日も休まず営業

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1946年に祖父が創業し、本谷さんで3代目。1日に200~300人が訪れる町の台所として、商売を行っていました。

そんな中、本谷さんは去年に2度被災しました。1年前の地震では自宅が全壊。スーパーも商品が散乱して停電が続く中、懐中電灯で店内を照らしながら、1日も休まず営業を続けてきました。

■店のガラス戸を突き破った流木

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しかし去年9月、能登半島豪雨に襲われます。店内に入ってきた濁流が到達した壁を、本谷さんは指で示しました。

本谷さん

「あの、色が変わってるところ。あれが全部、水来たところです」

藤井キャスター

「あんな高いところまで」

本谷さん

「180(cm)あるんですけど」

豪雨の起きた9月21日に本谷さんが撮影した映像では、川が氾濫し、道路に水があふれました。「すぐそばまで来ている」という切迫した声が収められていました。

「入口で水をせき止めてたんですよ。でも丸太がだんと突っ込んできて、一気に水が入ってきて」と本谷さんは振り返ります。流木がガラス戸を突き破り、店は濁流にのまれました。

■豪雨直後「この場所では無理やわ」

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一時は孤立状態となった町野町。豪雨の直後には、本谷さんも「この場所での商売は無理やわ。どう考えても。お客さんの話聞いていると、もうこれで無理やなって、町野から出るという話もちらほら聞くし」と漏らしていました。

一時は店を閉めることも考えたといいますが、支援の手に支えられ、店を続けることを決意。豪雨から2か月あまりで、本格的な営業を再開しました。

本谷さん

「1か月ぐらいで1200人、全国から来てくれた。ボランティアさん、泥かきだけで1200人来てくれて。みんな気持ちだけで来てくれた。そういう人たちに、暗い顔できないじゃない。それに応えたいというのが人間だと思うんだわ」

■「みんな寂しいから」…住民が集う理由

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店は住民にとって、スーパーだけではない場所になっています。スーパーのそばでは地域の人たちや、全国各地から集まったボランティアの人たちの姿がありました。炊き出しが行われ、取材した日はタイ料理が振る舞われていました。

仮設住宅で暮らす20人ほどの住民が集まっていました。ここに来るのは、食事のためだけではないといいます。

住民からは「みんな寂しいからここ来て、友達同士で話し合って、不満を出していくわけ。来る時はみんな沈んだ顔だけど、帰る時にはみんなにこやかに帰っていく」「(スーパーがないと)みんな孤独。閉じこもってただけだった」といった声が聞かれました。

地元住民が笑顔になれる場所。この場所を提供しているのも本谷さんです。

藤井キャスター

「もとやスーパーは皆さんにとってどんな存在なんですか?」

「なかったらだめなところやね」「みんなの救世主やわ」と皆さん。もとやスーパーは、町の生活を支えるだけでなく、心のよりどころにもなっています。

■「みんなで町をつくる」という意識

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2度の被災を経験しながらも町唯一のスーパーの明かりを絶やさない本谷さんは今、このスーパーの形を変えていこうとしていました。

豪雨前まで商品棚が並んでいた場所には、ベニヤ板が置かれていました。そこにはスーパーの枠を超えて、復興拠点を目指す未来が描かれていました。その名も「基屋(もとや)base(ベース)」です。レイアウト図を示しながら、本谷さんが教えてくれました。

「ここのスーパーマーケット(の部分)は縮小しようって、ここだけは僕書いたんですけど。ここ漫画置こうよとか、ここVIPルームにしようよとか、みんな関わって楽しくやってくれたんですね」

基屋baseでは宿泊施設なども併設する計画です。本谷さんは「シェアキッチンあったらいいよねって(地元の人が)言って。名前を変えちゃおうよと。当て字で、基地にしようってことで。みんなでつくっていければ」と説明します。

みんなで町をつくるという意識です。

■「復興元年」に…町そのものを再生

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藤井キャスターは「今後、どのように地域に根ざしていきたいと思っていますか?」と尋ねると、本谷さんは「おこがましいですけど、スーパーを中心にした町づくりを1事業者がやって、地方再生のヒントになればいいなと思っています」と答えました。

目指すのは、町そのものの再生です。

藤井キャスター

「災害前はそんなことをやろうと考えていらっしゃらなかったんじゃないですか?」

本谷さん

「不便だっていうことでずれる(町を離れる)方もいるんですけども、この町に可能性を感じている人がいる。ゼロになったっていうことで、新しく町を再建する方向にいっているんですよね」

「今はまだ大きいことはできないけど、元気出したり、笑顔出して、空元気は出せるじゃない。(2025年から)復興元年と位置づけて、高揚感をもってやっていければなと思っています」

(1月1日『news every.』より)

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