【証言】戦後70年・安倍談話 「戦争を正当化しない」日本人の“義務”と中国の“膨張主義” 東大・北岡名誉教授
日テレNEWS NNN / 2025年1月19日 8時30分
世界で分断と対立が深まる中、日本は戦後80年を迎えた。なぜ戦争を始め、やめられなかったのか。そして戦後、その過ちとどう向き合ってきたのか。10年前、戦後70年談話の作成をリードした東京大学・北岡伸一名誉教授は「いつまでも謝り続ける必要はない」とする一方で、“日本人にはやらなければいけない義務がある”と語った。(聞き手 日本テレビ報道局長・伊佐治健)
■組閣の1年後に靖国参拝 アメリカが「失望した」
──戦後70年談話の歴史的な価値とは?
総理大臣の談話には重みがある。変なものを作ったら大変だ。戦後50年、いわゆる「村山談話」との関係で、侵略と植民地支配についての謝罪を引き継ぐのかどうかが焦点となった。
もう1つの課題は、当時、日本の歴史認識に対する批判が非常に強かったというのがある。これは、小泉元首相の靖国訪問に始まる。首相は、「名もない戦場に倒れた兵士のために行く」と言っていたが、海外ではA級戦犯を祀っている靖国神社に行くのは、A級戦犯を賛美しているんじゃないかと、誤解、あるいは曲解に基づく批判が多く、大きな国際問題になっていた。
安倍元首相は2012年末に組閣し、その1年後に靖国神社に参拝した。相当な反響があり、特にアメリカが「失望した」と言った。同盟国としてはかなり厳しい批判です。私も、ちょっとこれはきついなと思った。世界の、日本の歴史認識についての見方に対し「いやいや、日本はこう思ってるんだ。そんなことは思っていない」とはっきり出すことは大事だと思った。
■「いつまでも謝り続ける必要はない」一方で“日本人の義務”
──安倍元首相は「戦後レジームからの脱却」を唱え、アメリカなどから歴史修正主義者と見られることもあった。この談話で、そうした印象を払拭する動きにつながったのか?
そうだったと思う。あらすじを私が書いた。
まず「日本は侵略した」。しかし、「世界の多くの国々も侵略していた」と。第一次大戦後、武力による膨張はやめようということになり、1920年代はそういう歩みがあったが、それを超えて日本は侵略してしまった。 国際協調ラインを壊す最初の引き金を引いた。
しかし日本は戦後、謝罪も補償もしてきた。いつまでも謝り続ける必要はない。ただ一つ、日本人がやらなければいけない義務は「日本がこういう戦争をした」と理解し覚えておくことだ。
■“得たものを捨てる” 大胆な意思決定ができなかった
──なぜ日本は戦争に踏み切ったと考えるか?
いくつもポイントがあるので簡単には言えないが、大きかったのは、(1929年からの)世界恐慌だ。日本は第一次大戦で急に成金になった。でも、バブルがはじけて景気が停滞した。そこに関東大震災。その数年後に大恐慌。日本経済に大きな打撃をもたらした。
そんな中、日本が大陸で持っていた権益も色々脅かされた。それを実力で確保しようと軍が出て満州事変が起こったが、短期的にはすごい成功を収め、のちに満州国になるところを取ってしまった。そこに国民は拍手喝采した。やがて満州国を樹立し、これを守るために中国との戦いをした。中国との戦いの行き詰まりを打開するため日米戦争になってしまった。
何度も引き返すチャンスはあったと思う。しかし引き返すというのは、 いくつか得たものを捨てるということ。そういう決断はできなかった。日本の政治システムには、そうした大胆な意思決定、国益のため部分的なものは切り捨ててでも正しいコースを歩むと決定する能力はなかったということだと思う。
──第一次大戦後、世界は平和協調の方に動き始めたが、国際的な流れに逆らうように日本は突き進んでしまったということか?
日本だけが悪いわけでもない。世界恐慌の時、アメリカもイギリスもフランスも自分の勢力圏を守るために関税を上げ日本の輸出が大打撃を受けた。
特に大きな打撃を受けたのは生糸。日本の農村の主要な輸出品だったが暴落して、価格が4割ぐらいになって、大恐慌から 2年ぐらいで日本のGDPは 2~3割落ちた。
話が飛ぶが、関税を切り上げる、切り下げるということについて言えば、米次期大統領のトランプ氏の動きに非常に不安を感じる。自由貿易で、関税をなるべく低くしようというのが戦後のGATT(関税・貿易一般協定)、IMF(国際通貨基金)体制だ。崩れかかっていることに大変危惧を覚える。
■国際協調から一転 戦争支持に回ったメディア
──戦争の兆しは色々なところから出てくると思うが、現在、そうした危機感も覚えるか?
当時はGATTも世界銀行もIMFもなかったし、ODA(政府開発援助)もなかった。今は一応ある。 ただ、色々な国が、自分の利益だけを追求したら、結局とんでもないことになる。基本的にアメリカ、ロシア、中国…。それから多分インドも「自国ファースト」だ。
「自国ファースト」をやりすぎると国際協調のシステムが壊れちゃう。非常に危惧している。
──日本は戦前、自国ファーストになってしまったのか?
日本が満州事変を起こした時、実は誰もあまり反対しなかった。中国もあまり抵抗しなかった。アメリカも世界恐慌の際に、外国のことに関係したくないというのがあって、その中で成功してしまった。
成功して獲得したものを、どうしても守りたいというふうになってしまった。その後、 中国の華北、上海、東南アジアに行って、とうとうアメリカとの戦争になってしまった。どこかで止めることができたら、あんなひどいことにならなかったと思う。
1920年代までは一応メディアは国際協調に賛成だった。しかし、満州事変からメディアが戦争支持になってしまった。当時の新聞のトップは、「こんなことでいいだろうか」と不安に思っていたという話だが、現場は戦争を取材して写真を撮って、景気のいい見出しをつけたら売れるというので、メディアの果たした責任も大きいと思う。
■敗戦の大きな理由…情報戦での敗北
──当時の日本が、「明らかにこの戦争は不利だ」と分かっていながらやめられなかったのは、どこに問題があったのか?
もう勝ち目はないとはっきりしたのは(1944年の)サイパン陥落だ。
上層部はサイパンが落ちたら空爆が始まるとわかっていた。空襲されたら日本の家は燃えやすいことも。昭和のはじめから、アメリカは日本と戦う時は空爆だと思い、計画も立てていたが、日本はそこでは(戦争を)やめなかった。
一度大きな勝利をあげて、それで講和に持ち込むということを考えていた。無理やり講和に持っていくと、軍からクーデターが起こるかもしれないという不安があったためだ。動き出したのは昭和20年になってから。 もっと早く動くべきだった。
あと、やはり情報が足りない。日本がズルズル行った理由は、ソ連(当時)を仲介とする和平を考えていたからだ。「ソ連はいずれアメリカと対立するだろう。その時のためにソ連は日本を味方につけたいと思うに違いない。だからソ連が仲介になった和平はできるはずだ」と陸軍の一部はかなり信じていた。しかし、実はそれはなかった。
ソ連は「ドイツが倒れたら参戦する」と内々に言っていたが、日本はその情報を取れなかった。 情報戦でも完敗。あるいは情報が一部取れたとしても、政府の中枢に入ってない、大本営に入っていない。 大きな敗戦の理由は情報戦の敗北だと思う。
■曖昧な責任 感じた村山談話の「大きな欠陥」
──2015年当時「村山談話は、何に謝ったのかはっきりしなかった」という声を聞いた。
村山談話を安倍元首相が引き継ぐのかどうかが焦点になったが、私は村山談話に大きな欠陥があると思った。「遠くない過去の一時期」と言って、いつ頃の話か書いていない。どこが悪かったのか言ってない。何について責任があるか問われるべきで、「昔悪いことしました」じゃダメだ。
だから、色々あったが、とくに満州事変にも大きな問題があったとはっきりさせた。誰に責任あるかをはっきりさせられる。曖昧なものはよくないと考えていた。2015年ぐらいの雰囲気は、村山談話という良いものを踏襲するかどうかだったが、私はいいかげんなものをやめて、もっと良いものを出そうと考えていた。
──「自存自衛の戦争だった」「国際社会の潮流に反して日本が侵略をした」など、色々な意見があったが北岡さんの認識とは?
日本の一部にアジアを解放するために戦ったという意見がある。そういう人がいたことは否定しないし、戦争が終わった後もインドネシアなど旧植民地で、宗主国からの独立のために戦った人はいた。それは事実だ。
だが、戦争全体はアジア解放のための戦争ではない。色々な最高の意思決定の文章を見れば、そんなことはどこにも書いてない。「アジア解放のためにやったと言って戦争を正当化することはやめましょう」と私は言った。
■安倍元首相は“A級戦犯の分祀論者”だった
──安倍元首相の歴史認識は戦後70年談話で整理された形か?
物事をややこしくしているのは、A級戦犯の合祀だ。靖国神社は戦場で倒れた人を祀るところ。しかし、東条英機や、その他の法執行による死者が入るのはおかしい。それを知って以後、それまで靖国に参拝しておられた昭和天皇が行くのをやめられた。
中曽根康弘元首相は、総理大臣として行きたいと言ったが、A級戦犯合祀の問題があり、必ず中国、その他から反発があるから1回行ってやめた。靖国は、A級戦犯合祀がなかったらアメリカのアーリントン墓地と同じで、国のため亡くなった人のために行くのは違わない、普通のことだ。
実はのちに、数人の研究者と話した時、安倍元首相は実はA級戦犯分祀論者で、できればそうしたいと言われたので驚いた。そうじゃないと思っていた。
戦争は、やはり当時の(政治・軍の)最高指導者に責任があると思う。一般国民の責任は弱いし、のちの首相の責任は前の人より軽い。いまだに若い人が罪の意識に苛まれる事はおかしい。 ただし、あった事は忘れないようにしようと申し上げた。
シンガポールのリー・クアンユー(元首相)は「忘れない。しかし責め続けはしない」と。 ドイツのワイツゼッカー(元大統領)も「国民みんなが責任があるというのは間違ってる」 と言ってる。
ですから私は、国際的な標準的な立場を打ち出して、A級戦犯合祀だけは引っかかるが、それ以外のことは日本がやっている事はちゃんとしていると打ち出したら、実は海外もほとんど納得してくれた。のみならず、国内の右派・左派もほぼ納得してくれた。内外の歴史論争にかなりの程度ピリオドを打てたのではないかと思っている。
──安倍談話を中国がどのように受け止めるかが焦点だった。 習近平国家主席は、「政治・軍指導者の責任の否定は許さないが、一般国民に責任はない」との立場だった。安倍談話では政治・軍指導者の責任を明確にすることで決着を図ったのか?
中国は伝統的に一握りの軍国主義者と一般大衆を分けるという立場。「日本人を分断する作戦だ」という人もいるが、現実を知っている政治・軍の指導者と、よく知らない国民の責任は大きく違う。一般国民になかったわけじゃないし、兵士として行って色々な事をし た人もいるし、そういう政府を支持した責任もある。
ドイツでも、ホロコーストを一般国民は本当に知らなかったのかという議論がある。かなりの程度は知っていた。だって、近所に住んでいるおじさん、おばさんが突然いなくなったりしているから。 ただ、それを強いて問いただそうとはしなかった。
■「侵略と言ったらどうですか?」 批判の的に
──焦点の一つに「侵略」を認めるか認めないか、という問題があった。北岡教授は2015年3月のシンポジウムで「侵略、これを安倍首相には認めてほしい」ということを言った。反発もあったと聞いたが?
安倍元首相は「日本が侵略をしていないとは一度も言ってない」と言った。であれば「侵略した」ということを、「言ったらどうですか」とあるシンポジウムで言ったら、そこだけ切り取られて、バッシングを受けた。 私の周辺の警備が増えたそうだ。
──そのぐらい「侵略」を認める、認めないということは議論が分かれていたと
どう考えても「侵略」だ。侵略という言葉には定義がないから、そういう言葉を使うべきでないという人々もいたが、国連総会でも侵略の定義に関する決議がある。多くの国際政治で使う言葉や、自由とか愛とか平和にも定義はないが使っている。国語辞典的な定義はある。厳密な定義がない言葉は使っちゃいけませんと言ったら何もできない。
──談話には国際社会に向けたメッセージという意味合いもあったのか?
むしろ、それが主だ。もう1つが国民に向けてのメッセージ。 国際社会、アメリカ向けのメッセージだったと考えている。
安倍元首相の祖父・岸信介元首相が1957年にオーストラリアに行った。非常に反日感情が強かった。東条内閣の閣僚だった岸信介が首相になってやってくるということで、結構、警戒・反発もあったが、岸さんは割と率直に謝罪している。その会場はスタンディングオベーションになったという。
懸念から歓迎。それを安倍元首相の周辺に話した。安倍元首相は、キャンベラでのスピーチで成功して、その後ワシントンへというのは、間接的だが私がサジェストした話だ。オーストラリアもアメリカもフェアプレイの国だから、「自分は間違っていた」と潔く認めるのは良いことだ。妙に隠したら、かえってまずい。特にアメリカのインテリ歴史学者は、歴史修正主義に対して非常に厳しい。
それが背景にあったので、アメリカに対し、心に刺さるスピーチをしないとまずいというので、5月に非常に準備したスピーチをした。 この成功は大きかった。そのあと7 月に私たちは報告書を出し、その報告書に基づいて談話ができた。私も随分筆を入れているが、まずアメリカを味方につけるというのは大きな狙いだった。
当時の国際情勢で、「中国はどうも変な国じゃないか。やりすぎじゃないか、南シナ海で中国自身に問題があるのではないか」という認識が、2015年ぐらいから広がり始めた。それも幸いした。 歴史問題を武器として使うことを、中国がずっとやっている。
■安倍談話から10年 新たな談話は必要か
──戦後80年となる2025年。前回から10年経ってもう一度談話を出す必要性は?
国際社会の中で日本はどう思っているかとかは、そういう意味では全く必要ない。(談話を)出すというからには、本人がしっかりした歴史認識を持ち、それを具体化してくれる協力者がいて書けるというなら書けばいいが、それは無理だと思う。
違った意味で「戦後80年、日本は色々な苦労をして発展し、少し停滞したけどまた頑張ろう」という、むしろ国内の文脈で違うものを出すことはあり得るかもしれない。しかし、前のような村山談話、あるいは戦後60年の小泉談話、戦後70年の安倍談話のような、日本の過去を振り返って今後どうする、という談話はもういらないと思う。
──戦後70年談話で「謝罪外交」には区切りをつけたということか?
一つの区切りはついた。これを下手に“寝た子を起こすようなこと”になることはやめてほしいと私は思っている。
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