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住民を巻き込んだ沖縄戦はなぜ起きた 首里城の地下にあった日本軍の第32軍司令部壕

沖縄タイムス+プラス / 2024年6月20日 10時48分

守礼門近くの地下。進入坑道の階段を下りた地点から、第3坑道を写す。第3坑道は主に砂岩で構成されている。正面奥に見えるのはエンジニアリングトンネル入り口。坑道の幅は2.8メートル前後、高さ2メートル前後で、今回撮影した区間で最も広い区間=4月25日、那覇市・第32軍司令部壕(代表撮影)

●沖縄戦から79年

 沖縄戦から79年の今年は沖縄戦への準備が進められて80年の節目だ。

 80年前の1944年3月、旧日本軍は南西諸島に第32軍を配備し、沖縄で多数の飛行場建設を進めた。7月には日本が占領していた南太平洋のサイパン島が陥落したことで戦況が悪化。大本営は沖縄での地上戦は避けられないとして、第32軍を増強した。日本本土での決戦まで時間を稼ぐための「防波堤」としたのだ。

 沖縄の住民は大人から子どもまで飛行場造りに駆り出された。日本軍は学校や施設を取り上げ、民家などに兵隊が宿泊し、県民の日常は戦争一色に塗り替えられていった。

 8月、疎開船の対馬丸が米軍の潜水艦の魚雷攻撃を受けて沈没。10月には「10.10空襲」で県内各地に壊滅的な被害が出た。この空襲を受けて第32軍は住民を動員し、首里城の地下数十メートルの場所に司令部壕を築いて開戦を迎えた。

 住民を巻き込んだ悲惨な持久戦を展開し、20万人を超える死亡者が出た沖縄戦。その作戦が立案され、命令が出された「第32軍司令部壕」。現在、崩れる危険があり非公開だが、戦争を語り継ぐ「負の遺産」として、市民から保存と公開を求める声が高まっている。県は2025年度に一部の公開を目指して調査を進めている。

●軍の拠点 模型で伝える

 地下の戦争遺産に光を当てたい-。「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」(瀬名波榮喜〈せなはえいき〉会長)は2020年に活動を始めた。司令部壕が沖縄戦の真実を知り、平和を発信する拠点になることを希望。県に保存や公開を要請したり、模型やパネル展を開いたりして壕の存在や意義を広めている。副会長の垣花豊順(かきのはなほうじゅん)さん(90)は「再建される首里城と一体となり、『命どぅ宝』を世界に広げよう」と訴えている。

 アリの巣のように地下15~35メートルに張り巡らされた五つの坑道は南北400メートル、総延長は約1キロ。「司令部壕というから立派なものと思いきや、湿気に満ちて、足元は水浸し。換気も悪い粗末な壕だった」。「求める会」の理事で、建築設計士の福村俊治さん(71)はそう説明する。

 福村さんは2020年6月、垣花さんに要望され、司令部壕の模型作りを始めた。全体模型や、司令官室など主な部屋の模型、首里城との位置関係や断面が分かる模型など、複数の縮尺で、それぞれ2~3カ月かけて制作。兵隊の模型も配置して、リアルさを演出した。参考にしたのは1945年5月末に第32軍が南部に撤退した後、米軍が壕を調べた資料だった。

 米軍資料には天井の高さや幅、断面図や写真も細かく記録されていた。坑道の片側が通路で、片側がベッド。壕には日本兵約千人がいたとされる。福村さんは「司令官室といっても、廊下と変わらない」。

 1945年4月中旬からの米軍の激しい攻撃で、首里城周辺は徹底的に破壊され、日本軍は兵士や武器の大半を失った。「負けも同然だったのに司令部壕にいたのは結局、米軍を沖縄にとどめておくため。本土侵攻を遅らせるために沖縄を『捨て石』にした」

 「わが将兵には進死あるのみ(戦い、進んで命をささげよ)」。沖縄戦時、部下にそう訓示した第32軍の牛島満司令官はこの司令部壕で南部への撤退を決断し、できるだけ時間を引き延ばして戦う持久戦を始めた。多くの住民が戦闘に巻き込まれ、命を失った。

 福村さんは「重要なのはこの壕で沖縄戦の作戦を練り、命令が出たこと。司令部の実体を明らかにしなければならない」。模型で具体的にイメージさせることで、多くの人の関心が高まることを期待している。

 さらに「『昔ここにありました』では将来の世代に伝わらない。司令部壕を広島の原爆ドームやポーランドのアウシュビッツ収容所のような、形が見える戦争遺産として残すことが大事」と力を込めた。

●自衛隊の強化に危機感 

 近年、沖縄を含む南西諸島で自衛隊が強化されている流れを受け、「第32軍司令部壕の保存・公開を求める会」は2023年6月、「沖縄を再び戦場にすることに断固反対する」という意見を発表した。「防衛」や「抑止力」を理由にした沖縄へのミサイル配備や火薬庫の建設などを心配し、「国家間の対立は積極的な外交によって解決すべきだ」と呼びかけた。

 「求める会」の福村俊治さんは「もし第32軍が沖縄に来なかったら」ということを考える。果たして何万人の命が救われていたのだろうか。「沖縄戦では『国を守ること』と『住民を守ること』は違っていた。今の自衛隊の動きが重なってしまう」と話す。

 沖縄戦当時、宮古島で空襲に遭ったという垣花豊順さんは「歴史からすれば戦争はいつも『平和を守るため』という理由で始まる。沖縄や平和を守るためというのは表向きの理由で、軍備の増強は戦争の準備だということを考えてほしい」と警鐘を鳴らした。(社会部・又吉嘉例)

●西原と糸満で壕の模型公開
 福村俊治さんが制作した第32軍司令部壕の模型は6月3~28日に西原町中央公民館、7月10日~8月10日に県平和祈念資料館(糸満市)の企画展示室で公開予定。

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