【慰霊の日・写真特集(2)】今も各地で戦争起こり、つらい 体験語るのは苦しいが伝えねば
沖縄タイムス+プラス / 2024年6月24日 11時13分
戦後79年の「慰霊の日」。県内各地で追悼式が執り行われ、多くの人が戦没者の冥福を祈り、恒久平和を願った。太陽が容赦なく照り付ける中、糸満市の「平和の礎」や「魂魄(こんぱく)の塔」では、日傘を差した遺族らが、花や線香を供えて手を合わせた。戦争で命を落とした家族の思い出を子や孫に聞かせる姿も。20万人を超える犠牲を出した沖縄戦の記憶をつないだ
二中健児の塔
那覇市楚辺 約150人
翁長芳子さん(84)=那覇市 県立二中の教員だった父(仲地善吉さん)を追悼しようと毎年来ている。遺骨も見つかっていないので、塔の刻銘はありがたい。今も世界各地で戦争が起こっていて、つらい。特に若い世代は平和についてたくさん考えてほしい。
ひめゆりの塔
糸満市伊原 170人
本永一馬さん(68)=浦添市 伯母はひめゆり元学徒の狩俣キヨ。陸軍病院南風原壕で亡くなった。足に被弾し動けなくなったと聞く。19歳だった。元学徒たちから伯母の最期を聞いて胸が痛んだ。戦争はあってはならない。子や孫に語り継いでいきたい。
開南健児之塔
糸満市山城 自由参拝
安里喜隆さん(76)=北中城村 10人きょうだいのうち4人を沖縄戦で亡くした。18歳の頃から手を合わせに来ている。平和を継続させることは何よりも難しいよ。今は沖縄戦を語り継ぐのが私の務めだと思っている。だから4人には安心して眠ってほしい。
梯梧之塔
糸満市米須 自由参拝
吉川初枝さん(96)=西原町 戦争で艦砲射撃に当たった弟を亡くした。母は爆風で耳から血を流し、自分も背中に弾のかすった傷が今も残っている。人間が人間じゃなくなるのが戦争。争いのない世の中を続けていってほしい。そのために、体験を語り続ける。
南燈慰霊之塔
名護市大西 約220人
大城幸夫さん(95)=名護市 県立三中の3年生で入隊し、八重岳などで部隊間の連絡網を確保する通信隊にいた。切れた電話線をつなげるため山中に駆り出され、友人2人が艦砲射撃の犠牲に。私も連日の艦砲で腕を負傷した。体験を語るのは苦しいが、伝えねば。
島守の塔
糸満市摩文仁 約80人
宮城真治さん(65)=那覇市 母の弟は県庁職員だったが海軍に召集され、銃剣も武器もない中で切り込み隊となり糸満市で戦死した。母が弟のことを打ち明けたのは28年前。ずっとつらかったのだろう。戦争の悲惨さを多くの人に伝え続けていきたい。
沖縄師範健児之塔
糸満市摩文仁
小濱善市さん(85)=本部町 長男(昇さん)に会いに来た。兄が戦死したとき僕は5歳。優秀で、おとなしいが人に優しかったと聞いている。幼かった自分は兄の顔を覚えていない。戦争は兄との思い出までも奪った。兄の人生を思うと本当にやりきれない。
沖縄工業健児之塔
糸満市摩文仁 自由参拝
渡嘉敷真盛さん(85)=豊見城市 家族で宮崎へ疎開していたため無事だったが、先輩方は戦争に強制的に協力させられ、無残な最期を遂げた。今の現状を見ると、この国がどこに向かっているのか気になる。これからも慰霊を続けなければならない。
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