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「子供たちは生きたまま焼かれて死んだ。二度と事故が起こらない沖縄を」 石川・宮森小学校へ米軍機墜落から65年 被災者や遺族ら慰霊祭

沖縄タイムス+プラス / 2024年6月30日 11時28分

墜落事故から65年目の慰霊祭で涙ぐむ参列者=30日午前、うるま市石川・宮森小学校体育館

 【うるま】1959年に石川市(現うるま市石川)の宮森小学校と周辺住宅地に米軍嘉手納基地のジェット戦闘機が墜落し、児童を含む住民計18人が亡くなり、210人が重軽傷を負った事故から65年となった30日、同校で慰霊祭が開かれた。被災者や遺族ら約250人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

 石川・宮森ジェット機墜落事故遺族会と石川・宮森630会が主催。犠牲者の名前が刻まれた石碑「なかよし地蔵」に、千羽鶴と亡くなった児童が大好きだったヒマワリを奉納した。

 うるま市出身の音楽家、海勢頭豊さんが事故をテーマに作詞、作曲した歌「630の誓い」を披露。「宮森の子は永久に平和の使徒になる」と歌った。海勢頭さんは「宮森小の子どもたちが事故のことを伝え続け、平和を築き上げることを期待して作った」とあいさつした。

 630会の久高政治会長は「子どもたちは生きたまま焼かれて死んだ。犠牲者を思うと堪え切れない苦しみが込み上げる。事故は宮森小だけ、石川だけの問題ではない。県民全体で取り上げて二度と墜落事故が起こらないような沖縄をつくっていこう」と呼びかけた。

 遺族会代表であいさつした上間義盛さんは弟の芳武さん(宮森小3年)を事故で亡くした。「基地があるが故に悲惨な事故が起きた。それなのに辺野古の新基地建設は進む。さらなる事故が起こる可能性が十二分にある」と怒った。

 来賓で訪れた玉城デニー知事は「戦後79年がたっても沖縄は過重な基地負担を抱える。基地負担軽減に向けて全力で取り組んでいく」と約束した。うるま市の中村正人市長は「平和の尊さを次世代につなぐ活動を続ける630会の活動に感謝している」と話した。(中部報道部・又吉朝香)

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